「曾我もの」について

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曾我ものは、 曾我兄弟の仇討ち を題材としたもののことを指します。

曾我兄弟の仇討ちは、「赤穂浪士の討ち入り」と「伊賀越えの仇討ち」に並ぶ、 日本三大仇討ち の一つです。

助六由縁江戸桜、矢の根、草摺引、外郎売、寿曽我対面 などなど・・

これらが曾我ものに分類されます。

大体は工藤との対面、討入り前がかかれ、討入りの様子はかかれていません。



以下に曾我兄弟の討入りの発端を書きます。





工藤祐経が在京している間、伊東祐親工藤祐経が継いだ伊東荘を押領し、更には妻である万劫御前まで奪い、土肥遠平に嫁がせてしまいます。


押領に気付いた工藤祐経は、都で訴訟を繰り返しますが、伊東祐親の根回しによって失敗に終わります。


このことから工藤祐経伊東祐親を怨み、殺害を図ります。

そして1176年の10月。

郎党に命じ、伊豆奥野の狩り場から帰る道中の伊東と一緒にいた、嫡男の河津祐泰を射殺します。


残された河津祐泰の妻は、子の一萬丸箱王を連れ、曾我祐信に再嫁します。

そして兄は曾我十郎祐成、弟は曾我五郎時致となります。


そして1193年の5月28日。

富士の裾野で行われた源頼朝主催の巻狩の夜、この曾我兄弟が、親の敵である工藤祐経を討ち果たしたのです。


兄はその場で新田忠常に討たれます。

弟は、将軍の源頼朝に駆け寄ろうとするところを捕らえられ、亡き父の仇討であると述べます。

いったんは頼朝に許されるものの、後日、工藤祐経の子である犬房丸(後の伊東祐時)の願いで斬殺されました。





こんな感じです。

家系図を書くと、以下のような感じになります。

曾我もの

歌舞伎の演目の中では、兄の曾我五郎時致は荒事、弟の曾我十郎祐成は和事で演じるのを常としています。