漱石と並ぶ明治の文豪森鴎外の史伝を含む幾つかの作品には、その

文章の清潔なしなやかさと同時に、どこかに悲しみがあるようだ。

このことに気付かされたのは、先日小塩節先生の最新刊『随想 森鴎外』を

読んでからである。

たとえば『山椒大夫』の文中の1節に、安寿が厨子王を京都へ逃がしてやろう

として、二人で芝刈りに行く山道の場面に、

  安寿は畳(かさ)なり合った岩の、風化した間に根を降ろして、小さい菫の

  咲いているのを見付けた。そしてそれを指さして厨子王に見せて云った。 

  「御覧。もう春になるのね」

という箇所がある。

作品を読んでいない人には分かりにくいと思うが、もうあまり長くない病の身の

安寿が、足元の小さい菫を見てふと口にした言葉である。この「御覧、もう春に

なるのね」という何気ない言葉に、安寿の清廉さと悲しさが表れている。これは

まさに鴎外の心情そのものであろう。私たち日本人なら誰もが素直に心に響く

言葉であろう。

『山椒大夫』を読み返して改めて文豪鴎外の素晴らしさに気付かされたのだった。