F観光設立に参加 | 来し方はパラパラ漫画

来し方はパラパラ漫画

1943年ヨコハマ生 振り返れば満足の人生
遊びも仕事も夢も野望も七転八起
つれずれにヒトコマを想起してみti

 

Aホテルを退社したころ

私はホテルの東京の寮を出て

阿佐ヶ谷駅近くの下井草で妻と暮らし始めていた

妻は22才私は21才だった

 

Aホテルの顧客に神田で電気店を営んでいたS氏に声をかけられて

旅行会社F観光設立に加わった

当時は「旅行業取扱管理」の制度が無かったので許可は届出だけで良かった

 

F観光は老舗電気店の顧客の旅行斡旋で多忙だった

また神田駅近くとの立地からフリー客も多かった

近くに肉の万世/喫茶店小鍛冶など 

東京のど真ん中での勤務に高揚感があった

 

湯河原の母から中居が辞めてしまって困っている

とのことで妻の賛意を得て湯河原に再び転居

 

妻は旅館で仲居、私は湯河原から神田へ通勤する生活となった

朝5時半にバスに乗って湯河原駅へ

帰りは東京駅10時半ごろの東海道線で帰宅するという無茶な勤務だったが

母と妻との折り合いも悪く1年足らずで終局した

 

妻も私も横浜生まれの横浜育ち

横浜の伯母の元へ転居した