こんにちは
これから9回にわたり90年代ベストナインの選手
に対する思いを紹介する第1回は
僕が投手の中で
プレーだけではなく人間的にも好きな野球選手
桑田真澄投手について紹介したいと思います。
桑田真澄 1968年4月1日 大阪生まれ
PL学園では一年生から甲子園に出場し
春夏5季全て出場し
2度の全国制覇を含む通算20勝
打者としても一年生の夏の甲子園の準決勝で
当時無敵と言われていた池田高校の水野雄仁から
ホームランを放つなど才能を発揮
時代が違えば間違いなく
大谷翔平よりもはるか先に二刀流が
できた選手
そのご1985年ドラフト一位で巨人に入団
プロ2年目から本格的にローテ入り
プロ野球でも甲子園の活躍同様
才能を、いかんに発揮
エースの階段を登る
同じころ活躍していた槙原寛己、斎藤雅樹と三本
柱を形成
90年代のジャイアンツの屋台骨を支える
そして、この三本柱といえば
94年のペナントレース
中日と同率で迎えた最終戦
勝った方が優勝の試合で
長嶋監督がこの三本柱に全ての命運を託し
見事に優勝した。
その時の胴上げ胴上げ投手だったと覚えている方
も多いだろう。
94年まで野球選手として順風満帆に階段を登っ
てきた桑田投手に翌年、野球人生最大の危機が
訪れる、、、
95年バント処理で小フライをダイビングキャッチ
を試みた際に投手の命でもある右肘を痛める。
そこから約2年マウンドから離れる
今でももしこの怪我さえなければ
通算200勝は楽々出来ていたのかもしれない
と思う人いるかもしれない。
しかし、桑田投手自身
あのリハビリの2年間があったからこそ
今の野球人生があったと話している
甲子園で優勝することよりも最多勝を取ること
よりもあのリハビリを経験したことで
純粋にまた野球をやりたいと書記にかいてありま
した。
そんな、桑田投手を本格的に見るようになったの
は復帰した97年でした。
というのも僕自身が野球に興味を持ち始めたのが
この年からでした。
最初は身体もそんなに大きくもないし
球そんなに早くもなかったので
なんでこの人がすごいピッチャーなんだろうと
思ったのが第一印象です。
しかし、周りの人が桑田ほど野球に真剣に取り組
む選手はいない。
まず、野球をやるときに手本すべきな選手などと
言われ興味を持つようになりました。
その後、桑田投手に関する雑誌、動画などをみる
うちになんて謙虚な人なんだだろう。
普通、これだけの実績があったら誰も文句なんか
言わないだろうに
以前甲子園で20勝してることを
インタビューで聞かれたとき
『でも3回も負けてるんで』と応えたのを
見たときこの人はどんな人に対しても
けしておごることなく誰にも同じように
接し偉そうになっちゃいけないと思いました。
絶対誰にも負けないぐらいの努力をしてるだろう
にそいう人柄に僕は惚れました。
最後に僕が桑田投手の本で1番好きな言葉を紹介
します。
『今は、野球から離れたかもしれないけれど
野球から沢山学び、育てらたと思う。
だから、プロ野球選手にはなれなかったけど
みんな永遠の野球人だから野球関わった時間、仲
間を大切にして欲しい』
その言葉を胸に日々前向きに仕事に取り組みたい
と思います!!
#桑田真澄#PL学園#謙虚