1 通説の問題点 | 邪馬台国 九州周旋説

邪馬台国 九州周旋説

魏志倭人伝の通説的解釈に対する問題点の提起
邪馬台国の場所の推定

魏志倭人伝の「女王国以北」に関する通説の問題点とその解決策

通説は「女王国以北」の解釈を誤っている。そしてそのことが倭人伝の解釈を極めて困難なものにしている。そこで通説の解釈がなぜ誤っているのかを問題点を具体的に指摘して明らかにし、本来為すべき解釈を提示しつつ、さらには倭人伝が伝えようとしている邪馬台国の場所を明らかにしていきたいと思う。


便宜上文節ごとに(A) (B) (C)と付けて説明する。
(A) 自女王國以北、其戸數道里可得略載
(B) 其餘旁國、遠絶、不可得詳
(C) 次有斯馬國~(中略※)~次有奴國 此女王境界所盡
※以下の21か国が列記されている。
斯馬国、己百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、 好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、 呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、爲吾国、鬼奴国、邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国

通説の訳と(A)の解釈を以下に示す。
(A)「女王国より北は、戸数と道里を略載することができたが、」
(B)「その他のまわりの国は遠い絶境にあるので、詳しくはわからない。」
(C)「次に斯馬国が有る。・・・次に奴国がある。女王の境界の尽きる所である。」
(解釈)「女王国以北」は、邪馬台国に至るまでの8か国についての記載であり、その戸数道里は「略載」である。(概略である、または簡略化して記載した)

1.通説の問題点
(1) 通説の解釈により直接生じる疑問・問題点
 ① 戸数道里が「概略」であることが、後出しになっている。本来、具体的な記載の前に宣言すべき事柄である。

 ② 冗長である。通説の解釈通りなら(A)の記載は殆ど意味がない。仮に簡略化されていても読み手は、数値で直接判断できるからである。また(C)には「官」の記載もないことから説明としては不正確である。(A)の記載がなくても前後の意味は十分通じる。

 ③ そもそも意図した簡略化はしていないと考えられる。なぜなら、戸数道里は東夷伝の他の国と同様の記載ぶりだからである。簡略化する理由も見つからない。

 ④ 女王国の地理の定義が無いまま唐突に「女王国より北は~」と切り出している。

 ⑤ そのため女王国はもちろん、いわゆる以北の国々の定義が曖昧になっている。

 ⑥ また「邪馬台国」ではなく、何故「女王国」以北なのか、という疑問も出てくる。

(2) (B)(C)から(A)を切り離して解釈することにより生じる問題点
 ⑦ (B)の旁国を(C)で説明しようとするため、旁国の解釈が困難になっている。

 ⑧ また、「女王の境界」の倭における相対的な位置が全くわからない。

 ⑨ 邪馬台国に至る陸行1月の間、他の国々を通過しているはずである。ならば通過した国の記載がどこかにあるはずだが、通説では(C)の国々を旁国と捉えてしまっているため通過国を提示できない。

(3) その他の問題点
 ⑩ 同名の奴国が2つ存在することに合理的な説明をつけにくい。

通説
$邪馬台国九州説・周旋説/女王国以北の誤った解釈-mondai_011a


周旋説※
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※周旋説 山島内を巡りながらほぼ地理的順番で各国が記載されていると考える説。なお、いわゆる「佐賀伊都国放射説」を前提とする。佐賀伊都国放射説とは、榎一雄の「伊都国を起点とする放射説」を採り、倭人伝の距離と方角に、より忠実に佐賀市付近を伊都国に比定する説。

2.「周旋説」を前提とする解釈
(1)以上のように通説の解釈では問題が多いため、思い切って解釈を変えてみることにする。(A)の最初の「自」には「起点」を表す意味があるため、そこで起点が変わると考える。またある物事を説明する場合、先ず全体を説明してから詳説に流れるという、一般的な記述の原則にしたがい、(A)は(B)とともに後ろに続く文章の導入部と考える。これらから「周旋説」を採って次のような解釈を仮定してみる。

(2)(A)の初めの「自」により、起点が伊都国から女王国に移る。(A)と(B)はセットで(C)の導入部となる。(A)の詳説を(C)とする。(B)は「不可得詳」だから詳説は存在しない。上記を踏まえた上で以下に訳す。
(A)「女王国の北部は、戸数と道里の情報も得ているが抄録するに止める。」
(B)「その他のまわりの国は遠い絶境にあるので、詳しくはわからない。」
(C)「(邪馬台国の)次に斯馬国が有る、・・・・女王の境界の尽きる所である。」

3.上記2の解釈を基に、通説の問題点を考察する。
$邪馬台国九州説・周旋説/女王国以北の誤った解釈-map1

Ⅰ 魏志倭人伝冒頭の倭国の地理説明は、先ず末盧国に上陸後、南東方向の伊都国周辺を紹介し、突然大きく南下する。そして邪馬台国で北へ折り返す(A)。つまり、山島全体を順に巡りながら、およそ地理的順番で倭国を描写していると推定できる。ただし、その描写を完結させるためには巡らした円を閉じる必要があるが、これにより、2つめの奴国の説明がつく。なぜなら、その円の終点(交点)を表すため奴国が再掲されたと解されるからである。(⑩)(奴国は2万戸の大国なので必然的に交点となりやすい)

Ⅱ 同時にその終点は女王国の境界を示す役割もある。つまり、女王の境界は烏奴国と奴国の間とわかり(⑧)、さらに(A)女王国北部~(C)女王の境界までが、対となって女王国の地理・構成を説明していることが明らかになってくる。これにより唐突な「女王国以北」の記載にも説明がつく。まさにこれから女王国を定義しようとしていたからである。(④⑥)
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Ⅲ その結果、女王国の地理・構成が明確になる。(⑤)そこで折り返したということは、邪馬台国は山島の南端にあると推測できる。邪馬台国は女王国の南部にある。女王国の北は奴国に接する。女王国は邪馬台国と斯馬国~烏奴国+伊都国の22か国で構成される。したがって、その反対解釈により対馬国~投馬国は女王国ではないとわかる。ただし、伊都国は、女王国または準女王国である(「統属」の解釈次第である)。(A)を厳密に解釈すれば、構成国20国中に「官」はいないことになる。

Ⅳ 陸行1月の通過国は、構成国の前部に含まれていると推測できる。(⑨)

Ⅴ なお、(C)直後の「其南に狗奴国が有る」の「其」は、直前の「奴国」を指すと解する。これにより奴国は、南で女王国と狗奴国に接していることがわかる。南面だけでも2国と接していることから、奴国は地理的にも大国であると推測できる。
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Ⅵ (B)から(C)を切り離すことにより、(B)の旁国の解釈も無理がなくなる。(⑦)

倭人伝の記載から推測できる倭の地理の概要
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4.その他の問題点
(1) 他国と比較して、邪馬台国の7万戸は過大と思われる。しかし、構成国の個別の戸数が省略されていることから、既に7万戸の中にその省略した戸数が含まれていると解釈することもできる。(投馬国の5万戸も同様の問題があるが、これも単純に領土が広かったか、複数の構成国をもつが単に記載していないだけと解釈することができる。)

(2) (B)旁国の記載位置について
 (B)旁国は、狗奴国のあと、最低でも(C)女王境界のあとに記載するのが自然な流れと考えられる。しかし、「遠絶」の基準が邪馬台国(または女王国)であることを明確にさせるため、あえて(A)に付随して記載したものと推測できる。

5.その他
 卑奴母離(ヒナモリ)について
 北部九州を広義の「奴」と考えるなら、副官に卑奴母離がいる国※は、かつて邪馬台国と戦っていた国であり、卑奴母離は、旧敵国を監視するために邪馬台国から派遣された役人と考えることができる。また邪馬台国は北部九州と戦った際、伊都国を足がかりにしていたと推測できる。
※対馬国、一支国、奴国、不弥国の4か国

6.結論
 2.で仮定した周旋説は、1.で提起した通説の問題点を全て解決する。これにより、(A)の女王国以北とは、邪馬台国に至るまでの8か国を指すのではなく、女王国の構成国20か国を指すことが明確になった。(3.Ⅲ)
 また邪馬台国は女王国の中の1国であり、九州南部にあった可能性が高いと考えることができる。(3.Ⅲ)
                                              

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