2019年5月14日
22:22


夫は42年9ヶ月と14日を
最期まで必死に生き抜いて
永眠しました。









最期は私と父で無事に見送る事が出来ました。





脳転移から水頭症となり脳ヘルニアを起こして
呼吸困難の中、旅立ちました。



今は解放されて安らかな優しい顔をしています。


浮腫んでしまった顔を固定器具で修正していただき、浮腫む前の顔に戻してもらいました。




夫はその日、午前中10時頃から
先日のように苦しみだした。



呼吸も苦しくなり
頭をふったり、身体を何度もジタバタさせて
何かを掴もうと手をのばしたり。
印象的だったのは頭をふる回数がとても多かった事。


あまりに夫が苦しむから
看護師さんを何度か呼んだけど

「大丈夫ですか?」

と聞かれても

「うん」

と答えていた。


夫は毎日


楽にしてほしい。
死にたい。


と言っていたけど………
もしかしたら意識を保っていたかったのかもしれない。


 側にいつもいて夫を見ていたからか
夕方3時過ぎに夫の意識がそろそろ失くなるかもと何故だか感じて。


まずは夫の母親に電話をして
スピーカーで話をしてもらった。


私の父にも電話をして


早く来て。
今日は一緒に病室に泊まって。


とお願いをした。



そして、鎮静剤を投与してほしいと
先生を呼んだ。


K先生、看護師さん、緩和ケアの方が来てくれて
夫を囲んで話かけながら夫の反応を見守っていた。


その間、私はずっと夫の手を握りしめていた。


夫は語りかけに反応をして
私の手を握り返してきた。


しばらくして、父も病室にきて。
夫の手を握りしめた。
夫も父の手を握りしめた。


皆で1時間位夫を見守っていた。


そして、いよいよ鎮静剤の投与を決めた。

先生は少量から投与して
様子を見ながら追加をすると言っていた。


投与後、40分した頃に
夫はようやく眼を閉じてくれた。


この時に夫の意識は失われたんだと思う。


それでも呼吸困難は続いて
口呼吸をずっとしていた。


私と父で夫を見守っていた。


私は度々夫の側にいって


「愛してるよ」


と、頬にキスをした。

父にはそっとしといてやれと注意されたけど………


22時を過ぎた頃に父も夫の側に行き
夫に泣きながら話しかけた。



「こんなボロ家にきてくれてありがとう」

「婿養子になってくれてありがとう」

「お前は頑張りすぎたんだな」

「いつも父ちゃん父ちゃんって言ってくれてありがとう」


と。

私はそんな父と夫を見守っていた。

すると父が

「かっちゃんの呼吸がゆっくりになった」

と言い出して
私も慌てて夫の側にかけよった。


夫は2回、ゆっくりと呼吸をして
動かなくなった。


「かっちゃん、嫌だ」
「嘘でしょ」


私の最期の言葉はそれしか言えなかった。



それからしばらく呆然としていた。


父に先生呼べ
と言われて
我にかえってから
先生を呼んで死亡宣告を受けた。



しばらくは耳は聞こえてるときいたので


「やっと楽になれたね」
「今までありがとう」
「ずっと愛しているからね」


と夫に話しかけた。



看護師さんと身体を拭いてあげて
着替えをさせて
死化粧もして。



夜中の1時頃、夫はようやく自宅に戻った。



動かなくなった夫を前にしても
まだ信じられなくて…
涙もなかなか出なかった。


父と母が買い物にでて二人だけになった時に

「かっちゃん」

「かっちゃん」

「どこにいるの?」

「かっちゃん」

「かっちゃーん」

と何度も叫びながら夫の名前を呼んだけど。


返事はなかった。


お通夜は18日に決まった。
まだしばらくは夫と一緒にいられる。


夫と同じ部屋に私も寝て。


ただ、眠ってるようにしか見えない夫に
沢山、話をしようと思う。




かっちゃん
今までありがとう
永遠に愛しているよ















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