■2019年4月28日■
昨日、夫は無事に退院しました。


ですが……ショックな事に緊急事態が発生。


大学病院を出てからたったの18時間後に救急車で大学病院に戻りました。


ことの起こりは深夜0:30頃。
夫は突然、原発の腫瘍がある身体の右側のわき腹から背中にかけて痛みを訴えた。


寝ているのが辛いと言い出した。


それから1時間半、身体を起こしてベッドに座って様子を見た。


「眠いのに眠れない」


と、とても辛そうにしていた。


横になると身体の右側が痛むと。
呼吸するのも痛くて辛いと言っていた。


だから、動けなくなった。


いくらか落ち着いてきたと横になってみると
今までにない激痛で涙を流し苦しみだした。


私はすぐに119に電話をした。


そして、15分後に救急車が到着。
まずは地元のK病院に搬送。


救急車が到着前に入院セット、車イスを用意し
私は救急車に同乗。
父がアイシスを運転した。


そして、K病院に到着後痛み止の筋肉注射をした。


なんとかレントゲンはとれたが、CTまでは無理だった。


とにかく横になると痛むと。


筋肉注射をして様子を見る事になり、待つ事2時間ちょっと。
私も寝不足であまり覚えていない……


残念なことに、痛みはそれほど治まってはくれなかった。


K病院の救急担当医も、大学病院と何度かやりとりした結果…
大学病院に夫を運ぶ事になった。


ドクターヘリは夜間飛行不可能。
自家用車でも当然、無理。


再び救急車で大学病院に行くことになった。


その間にいつもの腫瘍熱が出てしまい
K病院と相談してロキソプロフェンを飲ませた。


念のため、搬送中に痛みが悪化しないように筋肉注射をもう一度打った。


大学病院へは、通常よりも20分も早く、1時間10分で到着。


CTの結果
転移先の腋の下のしこり(腫瘍)が増大し
恐らく、神経に触れたための癌性疼痛による痛みだと判断された。


はじめての癌による激痛。


すぐに入院する事が出来ず診察室で朝9時半まで待機した。


うとうとしながらずっと待った。


その間に、流石に夫はトイレに行きたくなり
初めて尿瓶に尿をした。


幸い、担当医のW先生が病棟に出勤していた。
(初めてお会いした………)


病棟に移動して夫が朝食を食べてる間に
まずはW先生に別室に呼ばれて私1人で話をした。


CTの結果の詳細を聞いた。
原発はそこまで変化はないが、転移先の腋の下、腹膜が一段と大きくなっていると。


でも、テセントリクはもう一度だけ投与してから効果判定をした方が良いと言われた。


ただ、ペインコントロールが今1番するべき事。


その為、医療麻薬オキノームを朝食後から投与すると言われた。


そして、副作用の説明を受けた。

①便秘
②吐き気
③呼吸抑制

この呼吸抑制は

副交感神経と交感神経が入れ替わる朝方に起きやすいと…………

そのため、いつ何が起こってもおかしくないと念をおされた。


GW明けまで入院は必須。
カンファレンスを行い、ペインコントロールが出来れば外出なども可能になると言われた。


その他に、眠くなるとか、幻覚、せん妄も出やすいよう。


夫の実家にも連絡をして明日、来てもらう事になった。
私は大学病院の近くに明日、明後日、宿を手配し夫の側にいる事にした。


GWだから契約出来るかわからないけれどウィークリーマンションを借りる事も検討中。


遅い朝食後、オキノームを飲むと夫は直ぐに眠りについた。


昼過ぎに私と父は大学病院を後にした。


明日も早くに大学病院に行く予定。


今日は夫と楽しみにしていた花見の予定だった。
夫は帰宅の際に、家の隣の満開の桜は一瞬しか見る事は出来なかった。


花見のためのお弁当の下準備もしていた。
花見をして、しばらく一緒に夫と過ごせると思っていた。


なのに、悔しくて悲しくてたまらない。
夫にはバレないように、自宅への帰り道も何度も何度も今日は泣いてしまった。


例えようのないほど心が苦しくて、私まで胸が痛くて。


でも、隣の桜を見せてあげただけでも良かったのだと今は思いたい。

そして、ペインコントロールしてもう一度自宅に帰ってきてほしい。























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