安倍晋三とこれを取り巻く人殺し政治は、
国会を延長してまで日本から平和を消す。
国会を延長してまで日本から平和を消す。
沈黙の週末でしたが、沈黙なのではなく、
人間の言葉をもってして語るに値しない、
人間の言葉をもってして語るに値しない、
ほどに惨たらしくも汚い安倍の政権です。
敢えて、沈思黙考。
これ以下もこれ以上もない個の命のこと。
一週間と二日が過ぎて、、、、
先週の金曜日、そして先月11月25日、
に残すつもりでいた綴り。
先週の金曜日、そして先月11月25日、
に残すつもりでいた綴り。
去年の今頃は、
今年の春頃は、
そして、
一週間と一日前の11月25日。
生まれて366日、の満一歳の誕生日でした。
母子で心をこめた手作りのケーキです。
まだ生後2ヵ月~3ヵ月の頃。
安全だとか知る由もなく、ひたすら安心の場、
なのでしょうか。
なのでしょうか。
幸せに生きたいとか、楽しく暮らしたいとか、
考えも思いさえもできない小さな「命」です。
考えも思いさえもできない小さな「命」です。
幸せとは何か、なんて思うこともありません。
生きることすらも知ることのない「命」です。
上手に成長していっても希望など知りません。
眠りのなかで、夢、だけはみるようです。
飛びつきたい「もの」は覚え知っていますが、
美味しいものが食べたいと欲張ったところで、
美味しいものがあるかどうか、も知りません。
美味しいものが食べたいと欲張ったところで、
美味しいものがあるかどうか、も知りません。
病気にならないように気をつけたりしません。
ただただ、淋しがり屋です。
そして敏感な臆病ものです。
そして敏感な臆病ものです。
オイラが人間の根性のままでは、
多分、この子は不幸になるかと。
多分、この子は不幸になるかと。
一緒にいてくれて嬉しい、とも言えず、
いつもありがとう、というのは、人間。
いつもありがとう、というのは、人間。
ずっと生きたいという贅沢の持ち合わせもなく、
その時その時の自分を実に素直に表現しながら、
その時その時の自分を実に素直に表現しながら、
「分かってくれる」ものと信じるしかないまま、
いつも「目」を向けて「眼」を伺い気配を悟る。
いつも「目」を向けて「眼」を伺い気配を悟る。
人間の社会で、人間と一緒になって生きるには、
とても可哀相な時代になってしまった日本です。
とても可哀相な時代になってしまった日本です。
親が親らしく、子が子らしく、営まれた暮らし。
安倍晋三が政治の中枢に椅子を構える以前には、
少なくとも人の営みに「らしさ」がありました。
少なくとも人の営みに「らしさ」がありました。
先ず何より、人間の命を思いやる社会ではない。
人間の命を無造作に取り扱う政治になった日本。
オイラの綴りも今年、2016年は年の始まりから、
大半は「ワンコのことになる、、、、だろなあ・・・・」
大半は「ワンコのことになる、、、、だろなあ・・・・」
なんてことを思っていたものですが、意に反し、
点々反則、だらけの世情に輾転反側は変わらず。
点々反則、だらけの世情に輾転反側は変わらず。
【めいろの:年々師走が死和す】2016.12.4