そんな訳で、、、、(って、どんな訳、だ?)
明日にも6月がやってくるようですが、
別に楽しみが待ってるわけじゃない。
別に楽しみが待ってるわけじゃない。
あれやこれやと選り好みしなけりゃ、
楽しみに置き換えるもの、有るかも。
楽しみに置き換えるもの、有るかも。
平和憲法を踏み躙り、国民を蹂躙する政治が、
「節目」を根拠にして「70年」を破滅の道にする。
「節目」を根拠にして「70年」を破滅の道にする。
戦争を資源としてきた米国が、冷戦の終結後、
テロの種を蒔き、テロを育て、テロを実践させ、
ブッシュによる「これが新たな戦争」に仕立てた。
テロの種を蒔き、テロを育て、テロを実践させ、
ブッシュによる「これが新たな戦争」に仕立てた。
世界中にばら撒いて、「断固戦う」目的の為に。
凡そテロとは無縁の日本に出現した安倍晋三。
同時多発テロとの連動といっても過言ではない。
戦争の申し子として出た安倍晋三のテロ政治。
「断じて許されない」ことを実は「やらせている」。
「戦争こそが人間の世界」でしかない安倍晋三。
中国や北朝鮮をどんなに嗾(けしか)けようと、
「戦争にならない」から国民をウヨクに仕立て、
ウヨク・ネトウヨを使い「日本人」を攻撃させる。
「戦争にならない」から国民をウヨクに仕立て、
ウヨク・ネトウヨを使い「日本人」を攻撃させる。
これが2013年からの日本社会の現実の実態。
「誰でもいいから殺してみたかった」人間増産。
安倍晋三が標的にするのは「日本国民」だけ。
さてさて、
「②」にしては入り口の扉を間違えたようです。
「②」にしては入り口の扉を間違えたようです。
遡る70年前、つまり1946年、つまり昭和21年。
そして、6月。
ひょっこり譚のひょう「誕」からの続きですが、
オイラがこの地上の「この月」に生まれ出た、
ということは、トーちゃんカーちゃんの励みは、
それを10ヶ月遡る前年の8月の頃といえます。
オイラがこの地上の「この月」に生まれ出た、
ということは、トーちゃんカーちゃんの励みは、
それを10ヶ月遡る前年の8月の頃といえます。
1945年、昭和20年の8月。
大日本帝国の末期が終末になった「時」です。
ちょっと話しが変わりますが、
1年のカレンダーが「月捲り」ですと紙は12枚。
1年のカレンダーが「月捲り」ですと紙は12枚。
捻くれもののオイラのカレンダーもそうですが、
1枚目から12枚目まで「1」から「12」の順数字。
1枚目から12枚目まで「1」から「12」の順数字。
(当ったり前だろ、そんなもん)
で、今月5月の紙も取り除くことになるわけで、
目につく「5」の数字の横には「今月の星座」。
目につく「5」の数字の横には「今月の星座」。
そこに「からす座」と記されています。
6月を確かめてみました。。。。ら、「さそり座」。
オイラ、おんなの人から、聞いたこつある。
6月の生まれなのに、「さそり座」じゃない、筈。
捲って7月を見てみましたら、「こと座」です。
6月の下旬の星座が消えてるんじゃないか?
横ばい「かに座」がサソリとコトの腹ばいで。
イザコザ起こしたくないので、話しを戻して。
6月の終盤線上の27日の未明に「おぎゃー」、
と、生まれ出たらしいのがオイラなのですが、
その日から「とつきとうか(十月十日)」前は、
原爆投下を経て15日の玉音放送後になります。
と、生まれ出たらしいのがオイラなのですが、
その日から「とつきとうか(十月十日)」前は、
原爆投下を経て15日の玉音放送後になります。
国東半島の山里という田舎では、果たして、
戦争終結の「実感」には程遠かったでしょう。
戦争終結の「実感」には程遠かったでしょう。
「本当に戦争が終わったのか?」
「本当に戦争しなくていいのか?」
2~3日、1週間は「疑心暗鬼」の不安な安堵。
国東半島の上空を南から北へ編隊のB29。
その爆音を聞くことがなくなってからの暫らく、
やっと、オイラの両親の安堵は安穏になって、
生死の境にかまわず精子が制止を放棄した、
のだろう、と、ずーーっと感じての人生です。
やっと、オイラの両親の安堵は安穏になって、
生死の境にかまわず精子が制止を放棄した、
のだろう、と、ずーーっと感じての人生です。
そして「とつきとうか」が経った頃の産声が、
人間としての「容器」をつくらせてくれました。
人間としての「容器」をつくらせてくれました。
どっちかというと妖気を蹴散らす陽気さです。
故にオイラの細胞は「安穏」と「平和」しかなく、
心に突き刺さる痛みには強く耐え忍びますが、
身に感じる血の痛みには、ひどく弱いのです。
心に突き刺さる痛みには強く耐え忍びますが、
身に感じる血の痛みには、ひどく弱いのです。
暮れなずむ・・・・景色も暮れれば早い。
黙然と静寂(しじま)に身を委ね、
ボク、寝んとする。。。。
暑くなってきました。
大阪付近の街中ですと、
夕涼みの情緒に乏しい。
夕涼みの情緒に乏しい。
【めいろの:無明・無命・感無量】2016.5.31-②