今週から始まりました、週末は、我が家の猫による、わが家トピックスをお送りします。
皆さん、土曜の朝は、いかがお過ごしでしょうか?Dj ちぃです。
今日は、うちの母ちゃんが昔、ヘヴィーメタルバンドのボーカルだった問題をとりあげます。
誰が興味あんねん!ですが、母ちゃんは、毎日ブログを更新したいらしく、ネタが切れないようしないといけないと言う大人の事情に、僕はおつきあいさせられた訳で。
ボランティアと思って最後までお付きあい下さいませ。
うちの母ちゃんは、今は、地味な感じで生きておりますが、みんな騙されてるだけ。もう、何でもやりたがりのじっとしてられない人なんですよ。
父ちゃんも「お前は好きに生きて芸人か。芸人を妻にもった俺は大変や」
って言ってたし。
(えっ。それは、あの曲🎵芸のためなぁら~女房もなかすぅー🎵の影響では?)
そんな、お母ちゃんが音楽に目覚めたのが、中学生の時。友達のお家に行ったら、NHK の番組で、ジャパニーズヘビーメタルバンドのライブ特集をやってた時に、「これだー」って思ってヘビメタバンドのボーカルになったそうな。
高校生だったけど、友達と一緒に、京都会館の横にある別館って言う場所を借りて、機材はインディーズバンドの方のご好意で、ただで貸してもらえたそう。でも、会館の貸し料金が一日15万円。当時の15万円は結構なお値段よー。
なので、出演バンドをいっぱい集めて、皆で割り勘にして支払ったそうな。
ヘビメタバンドばっかり、10バンドで、一日中演奏するって、しんどいわ!けど、面白かったらしいよ。
当時は、京都の街も面白かったそう。今も面白いけどね。
のちにデビューしたインディーズバンドのメンバーらが、新京極って大きな商店街で修学旅行生相手に、お土産用のペンダントの後に、お名前を掘るバイトをしてる姿もよく見かけたそうな。
インディーズバンドの自主製作レコード(CD じゃないよ)を売ってる店もあったらしいし。
その頃は、X JAPANもデビューする前で、たけしの元気が出るテレビの大運動会企画に、ヘビメタチームとして出て来て、YOSHIKIとToshIかムカデ競争をやってる姿を見た母ちゃんは、椅子ごと、こけたそう。
椅子ごとこけるって、文枝師匠がテレビでよくやるやつやん。
JUDY AND MARYのベースの人もヘビメタバンドにいたような?ちがったらごめんよー。
まぁ、そんな母ちゃんの音楽的野望は続いてるみたいだけど・・・その話はまた、次回。今日はこの辺で。
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