「夫は2012年10月に亡くなりましたが、1年半ほどの闘病生活を送りました。最期の時まで少し猶予があったのは、私たちにとって幸せなことだったのかもしれません。亡くなるまでの間に夫婦でゆっくりといろんなことを話し、悔いなく夫を送ることができましたから」 



 流通ジャーナリストの金子哲雄さんが41歳の若さでこの世を去ってから12年近くが経つ。常に笑顔を絶やさず、視聴者や読者のためにわかりやすく生活情報や社会情勢を解説する姿は、多くの人々の脳裏に残っている。

 10年以上が経ったいまもなお「見事だった」と言われる金子さんの「最期の迎え方」について、妻の稚子さんに振り返ってもらった。

遺したものはたった二つの…


 夫が患ったのは、肺の悪性腫瘍のなかでもまれな「肺カルチノイド」という病でした。診断を受けたときには9センチ大の腫瘍があり、「常に首を絞められているような状態で、生きていることが不思議だ」と医師に言われたほど。それを知った夫は泣き言ひとつ言わず、現状を受け入れ淡々と最後まで仕事を続けると決めたのです。

 夫が意識していたのは、残された私に一切の面倒を掛けないということでした。亡くなる一カ月半前、夫は葬儀社の人を呼び、自分が入る棺から、通夜で振る舞われる料理、祭壇に飾る花まで自分で決めていました。

 公正証書遺言も作り、さらには自分が亡くなったあとの、私の住まいまで心配をしていました。私のために残り少ない時間を費やして手筈を整えてくれたことには、感謝しかありません。

 自分の荷物の整理ももちろんしていました。皆さんに驚かれるのですが、最終的に夫が残したのは、自分が日々撮影した写真が入ったハードディスク2台のみ。もともと高価な買い物はしない人で、家の中にも本以外のモノが少なかったのですが、亡くなる直前には「このハードディスク以外は捨ててくれ」と言っていたのです。

 余計なものを残したくないという思いもあったのかもしれませんが、おそらく、残された私が『夫が残したこれは、捨てられないな……』と思い悩むことがないように、すべて捨てていいとはっきり指示を残してくれたんだと思います。

二人の時間を大切に…



 不思議なもので、たくさんのものが残っているよりも、何も残されていないほうが夫のことをよく思い出せる気がするんです。モノに思い出を託さないぶん、頭のなかにしっかりと二人の思い出が記憶が刻まれているというのか……なかなか人に勧められることでもありませんが、できるだけモノを少なくしておくというのは、故人のためにも、遺された人のためにも悪いことではないように思っています。

 モノよりも夫が遺そうとしてくれたのは、二人の時間でした。夫とは亡くなるまでの間、いろんな話をしました。それも、夫が自分の死をしっかりと受け止めていたからできたこと。これまでの二人の思い出についてはもちろん、自分が亡くなったあとのことについてもたくさん話をしました。その時間をたっぷりと取ったから、私にも悔いは残っていませんし、夫との結びつきもそれまで以上に強くなったように感じています。

「私が死んだらどうする?」と聞いてみる

  <稚子さんは、夫・哲雄さんの死後「終活ジャーナリスト」として、死の前後に関わるさまざまなアドバイスを行っている。自身の経験を通じて、死や死後のことを考えておく重要性を知ったからだ。なかでも、「夫婦でお互いの最期について話をしておくことは本当に重要なことです」と指摘する>

 自分の経験を通じて、死について話し合うことは夫婦の結びつきをより強くする行為だと思うようになりました。夫や妻と「死ぬまでのこと」「死んだあとのこと」について話し合うのは、なかなか面映ゆいところがあるかもしれません。ただ、冗談ぽくでもいいので、一度「私が死んだら、どうする?」と聞いてみて、そこから仮の話をしてみるのもよいのではないでしょうか。

 夫は私にモノは遺しませんでしたが、たくさんの思い出や、経験、それから私自身が「これからすべきこと」を遺してくれました。夫のおかげで私は人の死について考えるようになり、こうして誰かに終活についてアドバイスをするようになったのです。私の人生を支え続けてくれている夫には、いまも感謝しかありません。毎日心の中で、『ありがとうね』と伝えています。