「夢を追うのにもリスクがある。沼ってあるんです」社長からの暴行、子宮頸がん…32歳グラドルが年内で引退を決意した理由







 林美佐さん(32)は過去に7枚のDVDをリリースした中堅グラビアアイドルだ。現在は舞台を中心に女優として活動する。赤ちゃんのような顔をくしゃっとさせる笑顔が印象的な人だ。



【写真21枚】「私はかなり枕をやらされた方だと思います」と赤裸々に明かす
 そんな彼女から連絡がきたのは11月の半ばだった。子宮頸がんと診断されたといい、12月12日からスタートする主演舞台「誰が為の歌姫」(17日まで、新宿スターフィールド)を最後に芸能界を引退するという。舞台は林さん自身の人生を重ねた脚本だというので、その人生を聞き驚いた。夢のために進んだ道のりは痛ましく、そしてあまりに残酷だった。【徳重龍徳/ライター】

いじめられた小中学生時代、歓楽街での恐怖

 愛知県出身の林さんは、小さいころから芸能界に憧れていた。今はスレンダーな体型だが、小学校、中学校と太っていて、いじめの対象だったという。

「当時はめちゃくちゃ太っていて65キロくらいあったんです。それでも芸能人になりたいと思っていたから化粧をして学校に行ってました。それを男子が年配の女性の先生にチクったら、その先生に放課後呼び出されて『なんだ、この化粧は』と殴られたこともありました」

 それでも芸能界入りを夢みて、児童劇団に所属しオーディションを何度も受けた。ただ16歳ごろから精神的不調となり、それ以来現在まで薬が欠かせなくなった。

 高校生になり「グレ始めた」という林さんは名古屋の歓楽街である錦を夜な夜なうろつくようになる。

「一人で歩いているといろんな人が声をかけてきて、知り合いが増えていきました。いわゆる夜の世界の人で、お酒を飲んだり遊びまくっていました」

 ある日、友人だと思っていた女性にだまされて、暴力団も絡む恐怖体験をする。そこから夜の世界が怖くなり、錦には足を向けなくなった。心も体も傷ついた林さんを支えたのは芸能界への夢だった。

「女優になってドラマ、映画に出るんだ。主演するんだ。夢のために私は生きるんだって、自分のベクトルをすべてそこに向けました」

 18歳から地元のモデル事務所に所属し、21歳からは農業をPRする音楽ユニット「トランスファーマー」のメンバーとして3年間活動する。

 一方でメンタルの不調は悪化。高校を卒業し、演技の専門学校に入るも「精神が不安定で、過呼吸発作になったり、屋上に行って飛び降りようとしたり……。その頃は専門学校よりも精神病と戦う時間が長かったです。ただ両親は根性論の人で『あんたが気が弱いだけだよ』と言われるので、薬もこそっと飲んでましたし、発作のことは言いませんでした」

ホームレス体験、念願の事務所入りも給料はゼロ

 名古屋で芸能界入りを夢見ていた林さんに東京の芸能事務所に入るチャンスが訪れる。

「ある事務所のオーディションに受かって、所属はできないけれど半年間レッスン料は無料になったんです。レッスンは大体週2~3日なんですが、そのためには上京する必要があったんです。東京に通うため、他の日はアルバイトをして、お金をためて東京に毎週来ていました」

 スーパー銭湯に居酒屋、スナック、塾の講師と必死でアルバイトをした。それでもお金は足りない。

「東京のホテル代って馬鹿にならないじゃないですか。心配するので、親にはカプセルホテルに泊まっているよと嘘をついて、実際は路上に泊まってました。新宿コクーンタワーの下です。周りのホームレスのおじいちゃんたちもウェルカムでしたね。季節は冬で寒かったんですけど、あのときダンボールの温かみを知りました」

 そこまでして通ったレッスンだったが、事務所に所属することはできず、今度は別の事務所の養成所に、お金を払って入所した。

「親は芸能界入りには反対していたので、費用は兄から借りて通っていました。でも実は事務所は名前を貸しているだけで、全く別の事務所が運営していたんです。なので仕事も全くきませんでした」

 ある時、養成所と提携している事務所のタレントが水着撮影会を急遽休むことになり、代わりに出られる子はいないかと話があった。

「名古屋で水着撮影会にも参加していましたし、水着に抵抗感もなかったので、すぐに手を挙げました。撮影会に参加すると、それをきっかけにその事務所に入ることができたんです」

 念願かなって芸能事務所に所属した林さん。24歳で上京し、東京での生活をスタートさせたが、厳しい現実が待っていた。事務所から給料が払われないのだ。

「その事務所に所属した期間、一度も給料明細を見たことはないです。DVDを撮ってもお金はくれませんでした。ただ、人気のある人には払っていたみたいで、先輩タレントの家賃を聞いて『えっ、すごい』と思ったことはあります。お金は深夜、飲食店で毎日働いて稼いでました。あとは当時の彼氏にちょっと補助してもらっていました」

 自分にはお金が入ってこないグラビアの仕事だが、林さんはすごく楽しかったと振り返る。

「カメラの前にいると、自分はこのために生きているんだってすごく感じられたんです。DVDの撮影をしていると、もうその時間が何時間でも続いてほしいと思っていました。子どものころから夢見ていた芸能人になれている。今の自分は夢に向かっているんだ、夢を叶えているんだって。それまでの経験から自分に価値を見出してなかった。だから自分が必要とされることが楽しくて仕方なかったんです」

「あそこの社長と寝てこい」

 しかし、林さんの人気は思うように出ず、グラビアのDVDを出してもどんどん売り上げは落ちていった。すると事務所からは枕営業をするように言われ始めた。

「事務所の人に『今からあそこの社長と寝てこい』と言われて。事務所にもそういうことが当たり前な雰囲気もありましたし、私自身、芸能界のイメージ通りだなとも思っていました。ただ周りと比べても、私はかなり枕をやらされた方だと思います」

 これまで取材する中で枕営業の話を聞くことはあったが、その見返りがあったというグラビアアイドルはほぼいない。芸能事務所は大切に売りたいタレントと、そうではない枕営業用のタレントとを線引きする。枕営業をするタレントはどんなに権力者に抱かれても、その恩恵は自分ではなく、別のタレントの手に渡ってしまう。

「ホテルに呼び出されて抱かれたのはテレビ局のプロデューサーだったり 、制作会社の上の人とかでした。でも私の仕事には一回もなっていないですね。給料ももらっていないのに、枕営業は続けていて。その頃は感覚がバグっていたんです」

 苦しみだらけの林さんの半生だが、さらに彼女を度重なる不幸が襲う。

 グラビアアイドルで、現在は舞台を中心に女優として活動する林美佐さん(32)。10月に子宮頸がんと診断された彼女は、12月12日からスタートする主演舞台「誰が為の歌姫」(17日まで、新宿スターフィールド)を最後に引退する。舞台は林さん自身とも重なる物語だが、その半生はあまりにも衝撃的だ。記事の後編では卵巣腫瘍、事務所社長からの暴行、そして引退を決めた今の胸中を明かしてくれた。

 林さんは事務所から給料も払われず、枕営業するよう言われながらもグラビアアイドルを続けていた。だが、26歳のころ、突然度重なる腹痛に襲われるようになる。

「急性胃腸炎に3か月連続でなって、おかしいなと思って消化器内科にいってレントゲンを撮ってもらうんですが、原因がわからない。それで別の病院に行くと『下の方も撮りましょうか』と言われて、レントゲンを撮ると、お医者さんから『林さん、卵巣腫瘍です。子宮が4倍くらいに腫れていて、破裂寸前です。手術してください』と言われて。一歩間違っていたら破裂していたんです。たしかにおなかの痛みも生理のタイミングできていました。ただ、それまで生理不順もなかったので、突然でした」

手術は内視鏡で済んだものの腹には4つの小さな穴を開けた。その穴が目立つため水着はしばらく着られなくなった。所属していた事務所からは「グラビアがやれないならもういいよ」と言われ、事務所を辞めることになった。

 1年間の病気療養後、別の事務所へと入り、再びDVDを出した。ただ事前の宣伝などもなく、売り上げは芳しくなかった。

「もともとグラビアがずっと好きだったので、まだやりたい、まだやりたいという気持ちは持っていました。でも27歳という年齢もあって、ニップレスをつけただけというほぼ裸にならないとDVDは出せないと言われてしまって、それでDVDは卒業しました」

 その後、林さんは事務所を転々とする。有名事務所に入るも仕事をもらえなかったり、再び給料未払いになったりと良いところには巡り会わなかった。ただ、ある事務所の仕事で舞台の主演を務めたことで、そこから舞台の仕事が入るようになっていった。

台本の読み合わせのはずが……

 舞台女優を目指そうと、役者が多く所属する事務所を知り合いに紹介してもらう。

「事務所に入る際には演技のテストもあるし、ここは本格的だなと思っていたら事務所の社長から『スタジオをとってあるから、そこで台本の読み合わせをしよう』と言われて。言われた場所はマンションだったんですけど『スタジオがついているんだ』と言い切られて」

 マンションの部屋に入ると、そこにスタジオはなくただの部屋だった。

「部屋に入ると、社長から『全身チェックするから脱いで』と言われたので『演技のテストだって言いましたよね』と怒ったんです。すると『うるさい』と殴られて、そのまま暴行されて……。社長は70歳くらいだったんですけど、男の人なので力は強くて。訴えようと思いました。でも相談した人に『部屋に入ったのはあなたですよね。しかも未成年でもない。その際の写真とか録音はありますか? 証拠がないと難しい』と言われ、泣く泣く諦めました」

子宮頸がんの発覚

 林さんは現在、知り合いの事務所に預かりという形で所属している。徐々に舞台で主演を張るようになり、舞台俳優として生きていこうと考えていた。しかし10代の頃から続く精神的な不調がそこに大きくのし掛かった。

「メンタルの部分で、芸能活動を続けていくのがしんどくなってきました。16歳の頃にかかった精神科で『30歳までには落ち着く』と言われたけれど、30歳になってもひどくなる一方。一つの舞台で精神的発作で3~4回は倒れるんです。過呼吸とパニックになって、自分の頭を強く打ち付けたり、物を壊し始めたりもする。それが本当にしんどくって。年内で芸能界を引退しようと考え始めました」

同じ元グラビアアイドルの浜田翔子が妊活を頑張っていると聞き、引退後は婚活、妊活をしようと考えた。しかし、試練は続く。ことし8月、卵巣の定期検診にいくと医者から卵巣腫瘍の再発の疑いがあると告げられた。

「20代は本当にいろいろ大変なことがあって、だから30代はもう大丈夫でしょと思っていたんです。それが、まさか再発するとは思っていなかったので、落ち込みました」

 それでもまた腫瘍だけを取ればいいと思っていた。親にも再発を知らせ「でも落ち込まなくていいよ」と伝えると、悲しそうな声が返ってきた。

「親から『実は前の卵巣腫瘍の際に、先生から次に再発したら子宮摘出になりますと告げられていた』と明かされて。親的には再発する前に結婚もして、子どもも生まれるだろうと考えて、言わなかったみたいなんですけど」

 妊活を考えた矢先、手術をすることで子どもが産めなくなることを知った。そして10月、医師から子宮頸がんの陽性反応が出たと告げられた。

「自分自身、12歳から児童劇団で初めてステージに立って、そこからずっと夢に向かって走ってきた。今は32歳。節目じゃないですけど、ちょっと走りすぎてきて疲れた部分もあって。1回、頑張るのをやめてみるのも人生の選択じゃないかなと思ったんです。夢、夢、夢できたけれど、さすがにがんというワードは響きましたね」

 子どもの頃からの芸能の仕事につくことだけを夢見て走ってきた。でも引退すると決めたとき、気持ちがふっと楽になった。つらいことが多すぎた夢への道に、やっと終止符がうてると思った。

「夢を追い続ける。言葉にするとかっこいいじゃないですか。でもそれだけではなくリスクがあるんだなって。がむしゃらにやってきたけど、いつかプツンと切れる瞬間がある。私、すごく嫌いな言葉があって。『人生落ちたら、上がるだけ』『神様は乗り越えられる人にしか試練を与えない』というやつ。それを聞くと、綺麗事を言うなって思うんです。底だと思っても、まだその下に落ちていく。沼ってあるんだよって」

最後の舞台への思い

 林さんは今月12日から芸能生活最後の舞台「誰かの為の歌姫」に立つ。自身がプロデューサーを務める舞台は、“西成の歌姫”と呼ばれる坂田恵子さんをモデルに、林さんの人生を重ねた物語だ。

「最後だからと事務所が舞台を企画してくれて、脚本まで書いてくれました。演出家の意図としては御涙頂戴で終わらせたくないということで、内容は人生の寄り道ハートフルコメディです。脚本家の方も私の病気を知ってくださった上で『これから治療するにせよ、いつでも戻ってこられる場所はある』という意味も込めて台本を書いてくださって。本当に私のための舞台なんです」

 今回、林さんにとって嬉しいことがもう一つある。芸能活動についてよく思ってはいなかったという両親が、初めて舞台を見てくれるという。

「父親は芸能活動にはずっと反対でした。ご当地アイドルをやっていた頃もグラビアをやっていた頃も絶対見ないと言っていたんです。でも実家に帰った時に、探し物を頼まれて父親の机を探していたら、私がライブをしている写真が出てきて。私が雑誌に掲載されたものも切り抜きでちゃんとファイリングしていてくれていて」

「子宮頸がんになったとき、親からは『もういいから早く帰ってきて』と言われていたんです。でも12月までは自分の人生を、夢をテーマに生き抜いていこうと決めたので。20年間エンターテインメントの世界に生きてきて、自分の最後の姿をどうしても親に見てほしい。そして今までやってこなかったけれど、舞台が終わったら頑張ってきた自分を褒めてあげたいんです」

「親孝行ってなんですかね?」

 引退後は実家に戻り、まずは親と一緒にいたいという。

「これまで病気とかいろいろありましたが、病室で目を覚ますとそこにはいつも親がいてくれて、その安心感がすごくかったんです。なので引退したら実家に戻って親との時間に向き合おうと思っています。そして病気にちゃんと向き合いたいです」

 林さんはそう話すと「親孝行ってなんですかね?」と私に質問した。壮絶な人生を聞いた後、なんと言っていいか迷ったが「親より長く生きることじゃないかな」と答えた。だからこそ林さんに生きていてほしいという思いもあった。

 芸能人・林美佐としての最後の舞台の幕がもうすぐ上がる。少女の頃に抱いた夢への道のりは荊(いばら)という表現でも生ぬるいほど厳しく、刃物のような現実に血を流しながら歩んできた。そして舞台を降りれば、再び病気との戦いが始まる。その人生を知ればいつかハッピーエンドがやってくるとは軽々しく言えない。ただ神様がもう少し彼女に優しくあることを願う。