24/8/12 | クリスチャンリンゴ事件簿、アッパールーム編のブログ

結び合わせるパターン

デジタル環境は、線が錯綜するネットワークが電子信号によって即時に整合性の数値化を得ることができる。だが、それは物という外観を通した記号による世界であり、私たちは、デジタル空間(言語の海)という暗闇(内なる世界)から、一人一人の生命現象という光を内に秘めた生き方を模索していく日々を過ごしている。それは聖書の文言の世界であり、タテ糸(父から子へと継承されていく何か)という透明感を通した、結び合わせるパターンという造形感覚によって生きて行く。

 

我が子よ、私の教えを忘れるな。私の戒めを心に納めよ。そうすれば、命の年月、生涯の日々は増し、平和が与えられるだろう…箴言3:1~2

 

父親の考えている心の内というものを察知するためは、子は父に対してどのように接すればよいのだろうかと考えるとき、子は自分の世界というものはゼロ(白紙)であり、父という無意識に対して、何かの行為を通して父の意識を知ろうとする。ゼロ(無垢の子)と無意識(空白)が接する前の世界は、既成事実という出来事と物事が錯綜している暗闇(時代の心の覆い尽くされている)であり、物としての自分と、物としての社会が線的に錯綜しているデジタル環境の場に置かれていることになる。そこでは、内なる世界というものが無効であり、父もいなければ、自分もいない。ただ、自らの外に生命(個々の星の光)を失った出来事と物事が、メディアメッセージとして自らが貨幣に変身することで、時代にすべてを奪われて格差社会のただ中に放置(貨幣によって生きるすべての時間を奪われる)されることになる。

 

慈しみとまことがあなたを離れないようにせよ。それらを首に結び、心の中の板に書き記すがよい。そうすれば、神と人の目に好意を得、成功するであろう…箴言3:3~4

 

貨幣には、心という内なる世界が消されている。心と思われる場は他者によって占領され、自他の区別ができなくされている。私は外と内を区別(一枚のドア)し、外への沈黙(さよならの影)を通して、内なる部屋から結び合わせるパターンというイメージの造形(今から先の幻想)を外に表現している。部屋の消されたデジタル族(さよならの影)からは無視される世界。

 

心を尽くし、主を信頼し、自分の分別に頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば、主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。自分自身を知恵のある者と見るな。主を畏れ、悪を退けよ…箴言3:6~7

 

内なる部屋から、相手の心へと結び合わせるパターンは、暗黒宇宙に星座を結び合わせるようなイメージ(空想)を相手に伝えていく。

 

  • 結び合わせるパターン。どうして学校ではこんな大切なことについてほとんど何も教えないのだろう。真に重要なものは何ひとつ触れまい、教えまいと賢くも考えいるからだろうか。教えないからこそ、彼らは死の接吻の運び手となっているのだろうか。カニとエビを結び合わせ、ランとサクラソウを結び合わせ、これら四つの生き物と私自身を結び合わせ、その私とあなたを結び合わせるのパターンとは? そして我々六個の生物を、片やアメーバーへ、片や病棟の檻の中の分裂症患者に結びつけるパターンとは…ベイトソン
  • 空想がめざすのは、妖精の技であるところの「魅惑」であり、そして空想が成功したとき、あらゆる人間の芸術のかたちのなかで、最も「魅惑」に近いものになるのです。人間によって創られた妖精についての多くの物語の中心には、あからさまに現れている場合もあれば、包み隠されている場合もある。また、純粋な、あるいは不純な場合もあるでしょうが、準創造たる芸術に対する生きた、自覚された願望が存在するのです。この願望は、単なる魔術(マジカル)とは言えず、人間の「空想」の中心に存在する欲求と、志向とは何であるかを学ぶことができるのは妖精たちからなのです。たとえ妖精たちが、人間の「空想」の産物に過ぎないとしても、そうであればあるほど、そう言えるのですJRRトールキン

24/8/9ブログ参照