24/6/28 | クリスチャンリンゴ事件簿、アッパールーム編のブログ

外の言葉と内の言葉

信仰によって外の言葉と内の言葉はそのまま死と生に直結するようなまっすくな光線(タテ糸という神の眼差し)を私に与えてくれている。それは見える言葉(外から見える私の肉体)と見えない言葉(肉体が消された魂の言葉)を意識する機会として、神から我が身に病気()が与えられている。医師という客観(科学的な実証)と、その検体(我が身)によって苦しめられている患者(主観)である私との相互交流という新しい世界が展開されていくことになる。それは客観でもなければ、主観でもない互いの間であり、そこに私は信仰の世界を見い出すことになる。

 

私たちの主イエスキリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。神は、あらゆる苦難に際して私たちを慰めをくださるので、私たちも神からいたたくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々が慰められることができます…第二コリント1:3~4

 

苦しみの中の感謝という心境は、死(検体である我が身)に心から関わってくれている人々の献身を苦しみを通して伝わって来るのであり、イエス体験としての受難を通した透明な愛の虹彩ということになる。私の五臓六腑は、世の出来事と物事のように、見える価値の健康(貧富の格差によるあらゆる弊害という世界の病気)に侵されているという戦場のイメージであり、病気の我が身から世界情勢というものが見えて来る。世の政権への執着による野心と欲望という業火(ガザ地区の惨状)によって焼き尽くされる大地が日々のニュースによって告げられ、それと同じに私の臓器(体内の都市機能)も焼き尽くされていく

 

キリストの苦しみが満ち溢れて私たちにも及んでいるのと同じように、私たちの受ける慰めもキリストによって満ち溢れているからです。私たちが悩み苦しむとき、それはあなたがたが慰めと救いになります。また、私たちが慰められるとき、それはあにたがたの慰めになり、あなたがたが私たちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです…第二コリント1:5~6

 

外の言葉、内の言葉、互いの間の言葉、それらの三つの点が結び合わされ三角形(トライアングル)となって、内なる世界観を形成していく。神(人類発祥の時から語り告げられている)は、幾何学を通して宇宙(イメージ)を創造(生命現象)していることを告げ知らされる。

 

  • 宇宙が何でできているかを調べてみると、我々が知っている、陽子や中性子など”目に見える”(観測されている)物質は全体の約5パーセントにすぎません。その5~6倍は未知の物質(ダークマター)が占めていると考えられます。残りはダークエネルギーと呼ばれている正体不明のものです。これまで宇宙の観測に利用されてきたのは、主に光やX線、赤外線などの電磁波ですが、暗黒物質というのは、電磁波での観測では見ることができないため、暗黒(ダーク)という呼び名がついています…XMASS
  • 芸術(アート感覚)の基礎は情動的な把握、目に見える現象の背後に潜む「未知」への感覚、光の洞察と宇宙的気分を、目に見えるか聴くことのできる形式に再構成することである。事物と現象が魂となって顕現する感覚(自分と相手の共通感覚)である。完全な宗教はその構造に、宗教、芸術、哲学、科学を統合する。これは完全な芸術にもあたはまる。それに対し完全な科学(出来事と物事の整合性)あるいは完全な哲学(生き方)は、宗教と芸術を内包(心象)する。科学と対立する宗教、宗教と対立する科学、これはひとしく虚偽である…ウスペンスキー

24/6/25ブログ参照