23/12/12 | クリスチャンリンゴ事件簿、アッパールーム編のブログ

物から命へ

昼の言葉には衣食住を満ための物流という社会システム(サプライチェーン)が必要であり、それは国の安定の上に成り立つシステムという意味となる。今、イスラエルとパレスチナの間に起こっている戦争は、爆弾と物流の遮断という二重苦にパレスチナの民は置かれていることになる。それは私たちの内にある人間のエゴ(支配欲)による永遠の迷路(人類の心理現象)の具現(一人一人の心の内)を指し示されていることを知る。それを表面の有識者(政治経済だけの知識による覇権争い)たちが解決することなどできない命題であり、地球上に住む私たち一人一人の問題(すべてつながっている)ということになる。聖書では、キリストの最初の奇跡として、カナの結婚の場面が指し示されている。それは、物流(ぶどう酒)の問題提起から事が始まっている。

 

更に言われた「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたたちは見ることになる」。その話のあとの三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちと婚礼に招かれていた…ヨハネ1:51~2:2

 

結婚(二つの異なる価値)とは、二つの国(男と女)が和解(いい気分)により交流が始まる意味となる。二つの個性は異なる生き方をしてきたが、片方に支配権を奪われるという契約が行なわれている状況が、今のイエラエルとパレスチナであるとしたら、不平等の結婚ということになる。物の世界は格差によって世界の出来事と物事が推し進められているイメージてあり、その極端な例が、戦場の映像(子供を置き去りにした意地の張り合いの夫婦喧嘩)として私たちにに示されている。カナの婚礼の比喩は、格差(物流の権威)を通して、結婚生活に破綻(有識者たちの忖度)が訪れることを予知したイメージとして見ることができる。

 

ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに「ぶどう酒が足りなくなりました」と言った。イエスは母に言われた「婦人よ、私とどんな関わりがあるのです。私の時はまだ来ていません」しかし、母は召し使いたちに「この人が何か言いつけたら、その通りにしてください」と言った…ヨハネ2:3~5

 

イエスのぶどう酒は命の象徴であり、世のぶどう酒は物の象徴ということになる。命が結ばれる結婚と、物の格差によって強制させられる結婚とのイメージをイスラエルとパレスチナに見ることができる。そこに、ぶどう酒が足りなくなるイスラエルの側のエゴ(相手の困窮)が示され、我慢の限界が、周辺の人々に伝わり一時停戦という治療(その場しのぎ)が今ということになる。でも、世話役(婚礼に招待された世界中の有識者)たちは、一人一人の命(世の召し使いたち)によって運ばれたぶどう酒の樽(物流とトラックがパレスチナに入る)のことを知らない

 

世話役はぶどう酒に変わった水を味見した。このぶどう酒がどこから来たのか、水を汲んだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿(イスラエル)を呼んで、言った「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったところに劣ったものを出すものではが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました」…ヨハネ2:9~10

 

命とは、その国の一人一人の民の心であり、イスラエルとパレスチナの民は同じ命のぶどう酒を心の内に持っている。だが、世話役たちはそのことを無視して戦争に明け暮れている。世話役(エージェント)とはいったい誰のことかを一人一人に問われているのがイエスのメッセージということになる。世の現象を見て、心のなか私(夫婦喧嘩を見ている私)は途方に暮れて〝何なん〟と世に問いかけて見る。

 

  • 「コンフィデンスマン」とは英語で「confidence man」と記述して、「confidence man(コンフィデンスマン)」の前半「confidence(コンフィデンス)」とは、信用、信頼、自信、確信、などといった意味になるとの事。男性、や、人間、との意味の「man(マン)」と合わせて「confidence man(コンフィデンスマン)」として、自信のある人、信頼の人、との意味になるのかと思いきや、信用させる、との意味で、詐欺師、ペテン師、といった意味になるのだそうです
  • 8日放送のフジテレビ系「バイキング」(月~金曜・前11時55分)では、昨年4月の「池袋暴走死傷事故」で、自動車を運転し11人を死傷させた自動車運転死傷行為処罰法違反(過失運転致死傷)に問われた通産省工業技術院元院長の飯塚幸三被告(89)が初公判で無罪を主張したことを報じた

23/12/4ブログ参照