とても久しぶりです。


振り返ると、穴があったら入りたい的な後悔が心を埋めるから、人生振り返るのは苦手で、だからこのブログもずっとお気に入りにあったけど、ずっと見ないで過ごしてきた。


でも今日ふと開いてみた。どんな心境の変化かはよくわからん。とにかく気づいたら開いてた。


まだ学生だった。開いたらまだ学生の私がいた。


子どもじゃない。すごい大人な私がいた。よく考え、よく悩み、よく努力している私がいた。


この1年半、私は仕事の技術は身につけたけど、思考力はまったく鍛えてこなかったと思う。仕事というのは思考を停止させても全然こなせてしまうものだから、ついつい、多くの日をそんな風にして過ごしていたら、気づけばこんな自分になっていた。


今の自分も嫌いではないが、かっこよくない。


どこかひねくれてて、どこか妬みがちで、日焼けして、、、


まぁどうでもいいけど、とりあえず、最近、特に佐賀に行ったあたりから、なんかしっくり来ない。やることやること振り返ると後悔ばかりだ。


でも、今ふと思ったけど、最近は「動く」ことによる後悔が多い。つまり、これまではひっこみがちで、「動かない」でその場をしのいできた。その結果多少の後悔と将来の狭まりが生じていたんだ。でも、最近はどういうわけか結構動く。以前自分にそんなに自信はないし、人と話すのもそんなに好きじゃないので、できれば一人でひっそりしていたいけど、


なぜか動いてる。


まだまだ「動かない」側面もたんまりあるけど、「動く」が増加しつつあることは確かだ。


何かをしないことによる後悔は、何かをすることによる後悔より大きい


的な教訓を聞いたことがあるが、きっとこれは本当だと思う。


さらに言うと、


何かをしないことによる後悔、何かをすることによる後悔にくらべじっくりじわじわあなたの人生を喰っていく


んーあんまりきれいじゃないね。でもそういうこと。動いたことによる後悔は目に見えるからすぐ感じるけど、その分反省もすぐできるし、すぐ一回り成長した自分がまた動き、次のステップに進める。でも、動かないことによる後悔は何も生まないから、その存在になかなか気づかない。でも、気づくと人生はどんどん薄暗くなる。


やっぱ今の方針でいこう。動いて、動いて。さらに頭ももっと動かして。


私は今農業の、農政の何をどうしたいんだろうか。


目的は何か、それを考え、そして動こう。


毎日の仕事だって、とてもくだらないものが多いけど、「自ら計らわず」。そこは農業・農政のためになるものである以上、組織人として、忠実に上司をサポートしようと思う。


ただ不満や抵抗するだけの組織人にはなりたくない。

毎日のように色々と教訓めいたことを感じ考え、「よし、これで明日から私は聖人君主のようになるはずだ」と感じてベッドに入る。


でも違う。また同じ自分がいる。


東京にきてかれこれ2ヶ月。再び家族と生活を共にするようになって、自分のキャパが狭くなっていくように感じる。


人と接するってことはとっても精神力を使う。思い通りにはいかないことだらけだ。


とりあえずこの生活の中でもキャパの余裕を広く保てるようにトレーニングしよう。


現時点で一番大切な私の軸は、


「自分を嫌いになるようなことはしない、つまり、自分が嫌だと思うことはしないし思わない」


きっとこれは一番大切な軸だと思う。自分の好き嫌いが価値観だもん。それに従う。そして好きなことばかりをする自分を私はとっても愛するはず。


でも勘違いはいかん。私は食べるのは大好きだけど、心の底では不要な食事はいかん!って思ってる。ってことは間食は私の嫌やことであり、それを続けることは自分を嫌いになることに繋がる。だからしない。もうしない。いや、しないようにしたい。


人に当たることもしたくない。


彼に愚痴ることもしたくない。


人見知りすることもしたくない。


いや、ネガティブはいかん。


人には全力の優しさと愛情と寛容で接する。


彼とは楽しい話ばかりをする。まじめな話も込み。


初めて会う人とも出来るだけ積極的に接する。ネタなんて考えないでいい。感じたことを素直に。


ふぅ。


きっとこの2週間がいっぱいいっぱいだったから疲れたのかもしれない。


でもこれからはそんなこと言ってらんない。


気楽に。楽しむんだ。


自分が笑顔で心底楽しんでいたら、周りもそうなる。


求めれば出会う。



ある本の第二章までを読んで・・・


政治や行政バッシングがマスコミをにぎわせている。今日も某番組では議員のうはうは特権という特集がなされていた。


確かにおかしな特権はたくさんある。不祥事や地位に甘んじた行為、既得権益のために保身に走る人々・・非難されるべき点はたらふくある。


しかし、同時にそこには怠慢な私たちの姿がある。


例えば「食の安全を確保しろよ!」と私たちが騒ぐ時、私たちはその安全を少しでも高めるための自助努力をしているであろうか。


何で出来ているか定かではないファーストフードやスナック菓子を食べ、何処産なのか明らかでない出来合いの弁当を食べ、冷凍食品を解凍し毎食を済ませる。


子どもが給食から弁当に変わると、野菜不足の傾向が強まるという。親は料理において安全・健康というものを真剣に考えることを怠けている。


大人は政治や行政は批判するが、自らの行為は批判しない。当然、それは人間の心理として理解できる。実際私もそうだ。


しかし、冷静になれば誰もがわかることではないだろうか。食の安全の不透明性を拡大するような食生活を求めてきたのは私たちだ。利便性ばかりを追求して、ファーストフードや出来合いのものを求めてきたのは私たちだ。当然そこにはビジネスチャンスがあり、企業はそれに応じた商品をつくる。


政治も行政も、あくまで社会全体の規制やセーフティーネット作りが仕事だ。


私たちが「何を食べるか」「何にお金を使うか」「いつ結婚するか」「誰と結婚するか」「何人子どもを生むか」決めるのは私たちであって政治家でも官僚でもない。そんなこと彼らには決めてもらいたくないはずだ。


であれば自らの責任・役割・権利・自由・義務の範囲をもっとしっかりと確認し、その範囲で自らのため、あるいは未来世代のためにしたいことすべきことをしっかりとするべきはずだ。


それもせずに国に向かって叫んだところで、制度は出来たとしても私たちがそれを選択しないのだから効果は出ない。


いくらトレーサビリティーが充実したこころで、それを駆使しなければ安全性も安心も高まらない。トレースしてみたところでどんな農薬がどう作用するのか知識がなければ意味がない。


市民の怠慢は目に余る。目の前の生活が良くなればいい、そんな単純な思いでもいい、それならばそのためにまずは自らが努力するべきだ。


国だけに頼るな、ましてや次世代に頼る・押し付けることだけはしてはいけない。そんな思いではいけないはずだ。


欲望のままに生きていて、そこに未来はあるのだろうか。