番外公演The other にご来場下さいました皆様、

ツイキャスでご視聴下さった皆様、

「観劇三昧」でこらからご視聴下さる皆様、ありがとうございました。

団体を代表致しまして厚く御礼申し上げます。

 

当初今回の公演企画を立ち上げた際に、私は「実験公演」というタイトルも考えました。事実、内容的に相当実験しました。しすぎました。しかし、再演中心の公演であっても、楽しむことを目的にやってくるお客さんに対し、少しでも日常を離れた時間を提供できなければやる意義がないと思い直しました。日常を離れるとは未知の体験をして頂くことです。もちろん既知の心地よさに浸る演劇もあります。歌舞伎などがそうです。「決まりました!」という大向こうからの掛け声は「そこでこうあって欲しい」という観客の思いを板の上で実演した俳優への賛辞に他なりません。

が、朗読パンダは伝統藝能ではありません。常に新しいことを試み、驚いてもらう。そんな非日常を提供する団体でありたいと思っています。そこでタイトルから「実験」という言葉を外し「番外」としました。実験と銘打たなくても実験的でなければならない、実験的なのは言うまでもないこと、との思いです。

結果的に随分実験してしまい、今回も綱渡り興業になってしまいました。

 

当日パンフレット記載のQRコードを使ったお題取りからのアドリブギャグは毎日演者に多大な重圧をかけ続けましたが、大受けした回、やや受けだった回、会場をシュールな空間にした回、すべて含めて私はやってよかったと思っています。アンケートにも「〇〇〇」と書いたけど採用されず残念だった、というご意見が多数寄せられました。それだけ観客の皆さんが積極的に参加し、集中して観て下さっていたということですから。今回採用されなかった皆さんごめんなさい。またいつかやりますから、またのご応募お待ちしております。演者は「冗談言っちゃあいけねぇ!」というかも知れませんが、成功した実験は継続してひとつの形にしてこそです。またそれを恐れて尻込みするような連中ではありません。先述のように「未知」こそ魅力なのです。

影絵。これは簡単に結論を言えるものではありません。回転灯籠がうまく機能せず、場当たりで時間を使い、その後の予定を狂わせてしまったのは私の計算の甘さでした。何も小屋入りしてから実験を開始する必要はなく、事前にもう少し作り込んでおくべきでした。

 

アンケートやSNS上で演出を褒められると非常にうれしいのですが、今回のやり方が影絵として完成形かというと、課題はあると思っています。予算の問題もありますが、もっと影の見せ方に種類があっても良かったとか、「自粛」より「ダメ、絶対!」の方がパンチがあったな等々思うところはあります。

それでも朗読に影演出を盛り込んだ試みはやってよかったと結論付けたいのは、演出をする立場の方(とりわけ朗読を主催される方)から評価して頂けたことが大きいです。同じ世界のライバルに負けたくないですからね。

私が3本すべてを演出したこと。「冗談言っちゃあいけねぇ」「二度とやるか!」と言えない自分がいます。正直、私が3本担当したのは偶然であり、半分はアクシデントのようなものです。当初演出を担当する予定だった者が他現場に行くことになり、私が担当することになったというのが実情です。おまけに風邪をひいて3週間声が出なくなり、特に最初の1週間は全く声が出ず、演者・スタッフには多大なご迷惑をおかけしました。ですが、なんとか声も戻り、演者・スタッフの力のおかげで板に乗せるかたちにこぎ着けました。

 

私は、演技のせいで作品が完成しないときに焦りますが、絶望はしません。予算やテクニカル面の心配は常にしていて、これに関しては相当ビビり症です。が、演者の力量が足りずに作品が完成しないとき、困ったとは思いますが、その困ったにはいくぶんの楽しさがあるのも事実です。どうしてくれようと悩む時間はあってしかるべき時間であり、その苦悩が充実感を与えてくれます。全員が最初からできるなら稽古は1日も必要ないということになり、そんなことはどの現場でもありえません。それに演技をどうしようと頭を使うのは前向きな悩みです。

つくづく私は運のいい演出です。作品ができたのも、実演でアイデアを次々と投げてくれる演者や優秀なスタッフさんのおかげです。演出にきりはありませんが、これからも前向きに悩んでいこうと思っています。

 

今回、初めて演出助手を相勤めてくれた加藤輝子さんには本当に感謝しています。尊敬してやまない志の輔師の名作「歓喜の歌」に登場する「主任」の如く現場で「加藤君、加藤君」と次々問題を投げるのですが、加藤君はそのすべてに応えてくれました。初めての演助でこんな人なかなかいません。

朗読パンダはこうした人に支えられて本番2週間前にオール・ソールドアウトの公演を打つことができています。が、大切なのはここからです。この完売人気者団体であるという事実を大切な武器に秋の本公演に向かうことになります。

次回コラムは各話ごとの総括と秋に向けての具体的な取り組みについてお話したいと思います。(つづく)

 

 

座付き作者・大塩竜也

コラム「いつか必ずミュージカル・パンダ~追悼ノーキー・エドワーズ」

 

元ベンチャーズのギタリスト、ノーキー・エドワーズさんが亡くなりました。82歳でした。60年代、日本に空前のエレキブームを巻き起こした立役者であり、当時間違いなく世界のトップギタリストの1人であった偉大なミュージシャンでした。その頃の様子は名盤中の名盤『ベンチャーズ LIVE IN JAPAN’65』や芦原すなおさんの直木賞受賞作「青春デンデケデケデケ」(大林宣彦監督で映画化)などから知ることができます。

 

私は結婚式などで一席演れとご所望頂いたとき出囃子はベンチャーズの「十番街の殺人」にしており(結婚式で「殺人」てどうなんだ?)、朗読パンダでいつもお世話になっている香田泉さんにお願いして同曲をコンピューターで三味線と和太鼓の寄席囃子風にアレンジしてもらい使用していました。出囃子とは袖から高座に上がるまでの短い時間にかかる曲ですが、その数秒間で「いくぞ!」という高揚感を作り演者も観客も「気」を昂めて高座につくために非常に大切な役割を果たす音楽です。私は数あるベンチャーズの名演の中でもとりわけ「十番街の殺人」のドライブ感、グルーヴ感が好きでした。「一丁やってやろう」とい気持ちにさせてくれる曲です。

 

舞台で音楽の果たす役割の大きさについていまさら言及するまでもありませんが、ミュージカルは舞台藝能(藝術という言葉が嫌いなので私はエンターテイメント全般は藝能もしくは藝事と言っています)の究極形態でしょう。ジョン・レノンもまだビートルズ時代に「将来の夢」は「ミュージカルを書くこと」と答えていました。いつかミュージカルをやりたい思いは僭越ながら私の中にもあります。しかし今はまだそのときではありません。ミュージカルにとって一番大切なことは楽曲の良さ。これに尽きます。劇中で歌われる曲がよければ筋は粗くても成立しますが、その逆はありえません。どんなに物語が面白くても曲がよくなくてはミュージカルにはなりえない。だからいい曲がズラッと並ぶまでミュージカルは上演できないのです。

 

良い曲を並べる方法は2つあります。ひとつは既存の名曲を選ぶこと。「〇〇(作曲家)の名曲で綴る物語」というコンセプトで作る方法です。これは外しがないのですが、曲頼みな部分が多く新味にはかけます。また使用楽曲によっては煩瑣な権利関係のクリアや安くはないお金もかかります。もうひとつの方法は新曲を用意することです。こちらはその公演用に書き下ろした曲ですから権利を明確にしておくことは比較的簡単で、よほどの大家に依頼するのでなければ費用も巨額というほどにはかかりません。ただ問題は良い曲を集めるのが難しいことです。その芝居の世界を体現し、耳に残る(心に残る必要はない)曲をそれも何曲も用意するのは至難の業です。非常に時間のかかる作業になります。それで今はまだそのときではない、と申し上げたのです。

 

目下朗読パンダは4月の番外公演(アンコール上演+強烈な新作)、10月の本公演(過去最大規模)を同時進行で準備していますが、それだけではありません。制作会社さんと協議を詰め、来る201920年の活動も水面下で進行中です。そこがミュージカルになるとは断言できませんが(多分そうはならないと思います)、いつか必ずミュージカルを朗読と融合させたいと考えています。朗読パンダについて色々言いたいことがある方もいらっしゃるかもしれませんが、これだけは断言できます。弊団はやるといったことは実現してきた団体です。その朗読パンダの座付きとしてお約束します。いつか必ずミュージカル公演を実現させます。

 

初めてノーキーさんにお会いしたとき(赤坂のライブハウスでした)、最後に彼は私の手を取り「また会おう」と言いました。翌年、別の場所でしたが再会することが出来たとき「約束した通りまた会えましたね」と言う私に「ああ、次もまたな」と答えてくれました。こんなやり取りが年に1度、数年続きましたが、2016年秋の「ファイナルツアー」が本当に最後になってしまいました。「ファイナル」と銘打ったツアーでしたが、彼は終演後私に「また会おう」と言いました。この「また」がいつどこのことなのか私にはわかりません。が、偉大な偉大なギタリスト、ノーキー・エドワーズとベンチャーズが残してくれた名曲名演の数々を聴くたびに私たちは彼に会っているわけですし、「十番街の殺人」を背に高座に向かう瞬間はともに闘っている感覚でもあります。錯覚だというご意見もありましょうが、それでも良いのです。

 

心臓の大病を患って以来、ノーキーさんは歩くことも辛い状態でしたが毎年来日し素敵な演奏を聴かせてくれました。そして「また会おう」と帰ってゆきました。いま、初めて彼と会ったときの写真を見ながら彼と交わした”We promised”という会話を思い出しつつ、ここに新しい約束を記しておきます。いつか必ずミュージカル。

 
さようならノーキー・エドワーズ。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。いつか、また。
 

大塩竜也

 

グレイテスト・ショーマンが人気だ。

自分の周りでも観てきた人、感動した人が多い。

主演のヒュー・ジャックマンと言えば、

同じミュージカル映画「レミゼラブル」を思い浮かべる人も多いだろう。

レミゼと今作、一番大きな違いは前者が158分で、後者が105分という尺の違いだろう。

重厚過ぎず、すっきり観られるのはいい映画の証拠だと思う。

(別にレミゼが悪いわけではなく)

※以下、ネタバレを含むので、観てからお読みください。

 

物語は主人公の幼少期から始まる。

19世紀アメリカの実在の興行師P・T・バーナムは、

幼い頃から貧しい暮らしを余儀なくされていた。

彼の立ちはだかるのは、お金持ちと貧乏人の、埋められない格差である。

この物語には一貫して、格差、差別、偏見などの重いテーマが横たわっている。

19世紀らしいといえばそうだが、

そこに抗う手段として、彼が斬新なエンターテイメントを武器にしている点がいい。

 

映画の中で、古典芸術(クラシック)に浸透している金持ちたちの鼻をあかすシーンはいくつかあるのだが、

なんといっても見ごたえは黒人女性・キアラセトルの歌だ。

それは「虐げられてきた者」たちの魂そのものだった。

 

「わたしたちは戦士 戦うために姿を変えた」

「気をつけろ 私が行く」

 

歌詞と、メロディと、シチュエーションがすごくいい。

扉を開ける(メタファーではなく、文字通りに)アクションと、

決意に塗り固められた表情(演技)に、説得力がある。

先行作品で言えば「アナと雪の女王」のアナが、氷の城を作ったときに似ている。

いい意味での開き直り、全力全開の自己肯定である。

私たちは多くのコンプレックスと戦いながら生きているが、

時々こうして、誰かがそれをぶち壊してくれると、

溜飲が下がるのだから本当に不思議だと思う。

 

ザック・エフロンの長すぎる睫毛が気になるのはいつものことだから置いておくとして、

本当にいい映画だと思う。

一つ惜しむらくは、1時間45分の尺にしては、途中でドラマを詰め込みすぎた点だけだろう。

途中で主人公が完全に消えてしまう(観客の意識から)のはもったいない。

冒頭で丁寧にP・T・バーナムの半生を見せているだけに、である。

群像劇にしたいならば、やはりレミゼのように2時間38分は必要なのだ。

 
結論。
ミュージカルやりたい。

いつかは、朗読パンダ・ザ・ミュージカルを。