父の病 | 毎日ゆったり、ていねいに ⭐浸潤性小葉がん

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2015年2月浸潤性小葉がん手術。それから1日1日を大切に過ごしたいと思うようになりました。
病気に関することや日々の気付きを残していきたいと思います。

ここ数週間、
病院通いに奔走した。

私ではなく、父の。

父は2、3か月前より調子が悪かった。
『何だか食欲がない』
『気持ちは悪くないけれどいつもお腹いっぱい』
『胸あたりが苦しくなるときがある』
『背中が痛くて仰向けで寝れない』
『体重が1.2キロ減った』
『かかりつけ医に診てもらって採血したが異常なしといわれた』

等だった。


少々臆病者の父は
なかなか大きい病院へ行こうとはしなかった。
でも、いよいよ体が辛くなり、
地域の基幹病院へ駆けつけたのが先々週の月曜日。
主訴のはっきりしない父は『総合内科』に回された。


総合内科の先生は、その日のうちに採血と上~下腹部のCTをオーダーしてくれた。
そして結果を待つこと2時間近く。

たまたま父本人がトイレにたった隙に、私が呼ばれた。

『ALPが1400超え、PSAがあまりにも高く現在再検査となっています。CTで見ると、広範囲に骨にも転移していることがわかります。前立腺がんです』

だった。

私はその瞬間
『そっちかー…』
と声をあげてしまった。
何かあるとは感じていた。
私は食道や、すい臓ではないかと恐れていたから。

『ご本人へはどこまでお話ししますか?』

『もちろん全て話してください。』とお願いした。


父は約30年前に胃がんをしている。
その頃の病に対する扱いは、
『本人にいかにうまく隠して治療を頑張らせるか』だった。
告知されたのは要するに母だけだった。
本人の緊急事態なのに本人は知らず、一番支える人が全ての病態を任された。治療の選択も、本人ではなく周りの人に託される時代だった。
今思うと母はどんなに大変だっただろう。
少しして、母は三人姉妹の長女である私にだけ打ち明けてくれた。私は当時、看護学生だった。


病を得ると、
本人はもちろん周りの人も闘病体制になる。
そこで本人に隠して治療を進めていくことは、周りにとっては時には嘘でごまかしたり、
本人のいないところで本当の話を聞かされたり、
それは周りの人にとっても大きな負担となる。
私は今回は、そんな状況を避けたいと思った。


その後、父本人とその診断を聞いた。
父は『そうですか…』
としばらくだまっていた。

その時に再検されたPSAの結果は、4400超えだった。


基幹病院へ駆け込んだ父は、
その日のうちにがん闘病が始まることとなった。


長くなりそうなので、一旦ここまで。