「竹島のアシカ絶滅は日本のせい」韓国主張に領土館がパネル展示、不法占拠直後「数百頭」
竹島(島根県隠岐の島町)とニホンアシカの関わりを紹介する領土・主権展示館のパネル展示=25日午前、東京都千代田区(奥原慎平撮影)© 産経新聞
韓国が不法占拠する竹島(島根県隠岐の島町)を巡り、領土・主権展示館(東京都千代田区)が1954年の武力占拠直後に数百頭のニホンアシカの生息が確認されていたことを示す韓国側の記録をパネル展示している。ニホンアシカは75年を最後に目撃情報が途絶えており、韓国側では日本人による無差別な乱獲で絶滅に追い込まれたという主張がある。パネルはこうした主張に対し「なぜ、ニホンアシカが姿を消したのか、冷静で学術的な議論が必要だ」と指摘する。
不法占拠中に絶滅か
パネル展示は、親子向け夏休みイベントのミニ企画展「どうぶつウォッチング!~北方四島・竹島・尖閣諸島のなかまたち~」で、9月1日まで紹介されている。
かつて、竹島はニホンアシカの一大繁殖地だった。
江戸時代には米子(現・鳥取県)の商人が竹島に渡航し、幕府公認でアシカ猟を行っていた。明治になると隠岐(現・島根県)在住の漁業者、中井養三郎が過当競争によるアシカの減少を懸念し、1904(明治37)年、政府に竹島の貸し下げを願い出た。翌年1月に竹島は島根県に編入され、猟は県の許可制となった。
明治後期には、年間679~約2800頭が捕獲され、油や革製品として重宝されていた。昭和期になると生け捕りにして、動物園やサーカスに売っていたという。竹島のアシカ猟は先の大戦直前の41年に中断される。
戦後、韓国は58年、竹島に沿岸警備隊を常駐させる。75年に同島で2頭が確認されたのを最後に目撃事例が途絶えており、韓国の不法占拠が続く中、絶滅したとみられる。
韓国の主張は韓国の記録でも無理が
一方、韓国では「戦前の日本の乱獲で全滅した」などと唱えられている。慶尚北道独島史料研究会は2014年、「独島(竹島の韓国名)のアシカを滅亡させたのは日本だ」と主張した。
今回のパネル展示はアシカについて、韓国の国立海洋調査院が13年の報告書で「1958年に少し(200~500頭前後)生存と報告。保護政策はなく、捕獲を継続。75年の最後の目撃以降、絶滅したと推定」と指摘した記録や、韓国の研究者が78、79年に世界自然保護基金(WWF)に提出した報告書で「(約500頭のアシカが)57年まで独島(竹島の韓国名)に生息していたが、駐留した武装警備隊に恐れをなして移動してしまったようだ」とした点を盛り込んでいる。この報告書は「繁殖地の回復にもっともよい方法は島から警備隊を撤退させることだ」とも指摘している。
パネルはこうした韓国側の報告について「『日本人がアシカを絶滅させた』という主張は、韓国側の記録からみても無理がある」と指摘した。(奥原慎平)