裏切りまでの道のり⑧
姑にとっても本当に扱いやすい都合のいい嫁だったと思います。仕事で自分の間違いを押し付けた所で口答え一つしないし、喧嘩して口の聞きたくない夫との間ではうまく立ち回ってくれるし、体調が悪いと聞けば料理も作って持って行ったりしてました。
彼のキレやすい性格や少し偏った考え方などは『この環境でこの両親に育てられたからなんだ』と思うと、ある意味 彼も被害者に思えて可哀相に感じていました。だから私は『私と結婚して家族になる事で彼に穏やかな心や人を思いやる気持ち』を持ってもらえたらいいな・・・と必死に尽くしていました。本当に『尽くす』というのがピッタリの日常だったと思います。
結婚して暫くは仕事も忙しい時期で、疲れ切ってるダンナは常にイライラして すぐにキレて怒鳴る事が多く、私はいつも顔色を伺ってるような感じでした。しかも忙しいのは義父母も同じですから毎日ピリピリムードで息が詰まりそうでした。
このままでは自分の心がもたないと思った私はまず姑の『自分のミスをなすりつける』という現実を打破する為に、ダンナや義父母には『私もちゃんと仕事を覚えたいので』という名目で姑が全く触れないパソコンで事務的な管理や集計したり、会計ソフトの導入もして、姑に中途半端な引き継ぎをさせないように徹底しました。私が全て管理するようになるとミスが減り、得意先にも『わかりやすくなった』と喜んでいただくようになりました。そうなると姑は私のせいにする事は少なくなりましたが、逆に言うと私のせいに出来なくなった分、ミスを怒る舅と揉める事が増えていきました。
つづく
彼のキレやすい性格や少し偏った考え方などは『この環境でこの両親に育てられたからなんだ』と思うと、ある意味 彼も被害者に思えて可哀相に感じていました。だから私は『私と結婚して家族になる事で彼に穏やかな心や人を思いやる気持ち』を持ってもらえたらいいな・・・と必死に尽くしていました。本当に『尽くす』というのがピッタリの日常だったと思います。
結婚して暫くは仕事も忙しい時期で、疲れ切ってるダンナは常にイライラして すぐにキレて怒鳴る事が多く、私はいつも顔色を伺ってるような感じでした。しかも忙しいのは義父母も同じですから毎日ピリピリムードで息が詰まりそうでした。
このままでは自分の心がもたないと思った私はまず姑の『自分のミスをなすりつける』という現実を打破する為に、ダンナや義父母には『私もちゃんと仕事を覚えたいので』という名目で姑が全く触れないパソコンで事務的な管理や集計したり、会計ソフトの導入もして、姑に中途半端な引き継ぎをさせないように徹底しました。私が全て管理するようになるとミスが減り、得意先にも『わかりやすくなった』と喜んでいただくようになりました。そうなると姑は私のせいにする事は少なくなりましたが、逆に言うと私のせいに出来なくなった分、ミスを怒る舅と揉める事が増えていきました。
つづく
裏切りまでの道のり⑦
いつもどんな時も黙って受け入れていた私の小さな変化を彼は見落としませんでした。怒って帰った翌日は朝早くから何もなかったように電話をしてきて、『早く新居を探しに行かないと』とか『俺は早く一緒に住みたいねん』と私に何かを言わせまいとしているかのように喋り続けていました。
今でも『あの時 やめておけば』と思う事はあります。けど、やめていたら宝物たちには会えていなかったのですから・・・。
小さい頃から結婚式や披露宴などは何だかこっぱずかしくてしたくないと思っていた私の意向で、(と言っても彼も二度目の結婚ですから、その方が有り難かったはずです) 家族だけで会食し入籍するという形でプロポーズから3ケ月後に結婚しました。このスピードも全く私の気持ちは無視でした。早くしたいという彼の気持ちとめでたい事は春がいいという彼の両親の一言であれよあれよと決まっていきました。
会食・入籍した日に引越もし、翌日には商売人の嫁としての生活が始まりました。朝は4時半に起きて朝食とダンナの弁当を作り、6時前後に彼が出勤したら洗濯と掃除をして、晩御飯の仕込みをして。8時には舅・姑と3人で仕事を始めるという毎日です。(ダンナは配達がメインなので基本的に留守。)納期がない時はもちろん朝6時から仕事でした。けど体のハードさより、精神的な疲労の方が積もる一方でした。姑は私が嫁に来た事で自分が嫌だった仕事をどんどん私に押し付けるようになりました。得意先との連絡や事務関係は姑の不得意分野でしたので私がやるのはいいのですが、任せるのではなく電話などは『こう言って、あ~言って』と一言一句チェックしたり、ボールペンを持ってきて『ここにこう書いて』と私に書かせるので『これは何ですか?』と聞くと『いいから書いて』と。私はサッパリわからない数字や日付を記入だけさせられるのです。そして何かトラブルがあると、その記入したノートを見て『あー、これ間違って書いてやるわー』と私のせいに。嘘みたいなホントの話です。
つづく
今でも『あの時 やめておけば』と思う事はあります。けど、やめていたら宝物たちには会えていなかったのですから・・・。
小さい頃から結婚式や披露宴などは何だかこっぱずかしくてしたくないと思っていた私の意向で、(と言っても彼も二度目の結婚ですから、その方が有り難かったはずです) 家族だけで会食し入籍するという形でプロポーズから3ケ月後に結婚しました。このスピードも全く私の気持ちは無視でした。早くしたいという彼の気持ちとめでたい事は春がいいという彼の両親の一言であれよあれよと決まっていきました。
会食・入籍した日に引越もし、翌日には商売人の嫁としての生活が始まりました。朝は4時半に起きて朝食とダンナの弁当を作り、6時前後に彼が出勤したら洗濯と掃除をして、晩御飯の仕込みをして。8時には舅・姑と3人で仕事を始めるという毎日です。(ダンナは配達がメインなので基本的に留守。)納期がない時はもちろん朝6時から仕事でした。けど体のハードさより、精神的な疲労の方が積もる一方でした。姑は私が嫁に来た事で自分が嫌だった仕事をどんどん私に押し付けるようになりました。得意先との連絡や事務関係は姑の不得意分野でしたので私がやるのはいいのですが、任せるのではなく電話などは『こう言って、あ~言って』と一言一句チェックしたり、ボールペンを持ってきて『ここにこう書いて』と私に書かせるので『これは何ですか?』と聞くと『いいから書いて』と。私はサッパリわからない数字や日付を記入だけさせられるのです。そして何かトラブルがあると、その記入したノートを見て『あー、これ間違って書いてやるわー』と私のせいに。嘘みたいなホントの話です。
つづく
裏切りまでの道のり⑥
私の報告を聞いた両親はまず『お前はそれでいいんか』と聞きました。黙って頷いた私に『それなら、おめでとう』と。涙が止まらない私を見て、ただの嬉し涙ではない事を理解してる両親は
『ただ今回だけは1つだけ言っておくけど・・・
お父さんもお母さんもオマエの事 ちゃんとわかってるから。いつでも帰ってくる場所はあるんやから心配せんと行っておいで』
と背中をさすってくれました。今となっては『あの時 力づくでもやめさせるべきやったな』と両親は笑って言いますが(苦笑)。
そんなこんなで私と彼は結婚する事となりました。彼は私の両親から結婚の承諾を得ると、もう気持ちはスッカリ嫁さん扱いで、また仕事に借り出される日が続きました。私は一人っ子で、本当に仲のいい家族だったので嫁ぐ前ぐらい穏やかに両親と過ごしたいという思いが募りました。両親だってそのはずでした。それでも文句一つ言わず、私の幸せを願い心配してくれるだけの両親に申し訳ない気持ちも膨らむばかりでした。もう最後なんだから・・・と、彼にその思いを伝えて家に帰りたいと言うと
『商売してる家に嫁に来るんやぞ。今、忙しい時期なんわかってるやろ。もっと覚悟決めてもらわんと・・・・ もう ええわ。帰れやっ』
とまた怒鳴られました。一応、家まで送ってはくれましたが彼は怒って一言も喋らず帰っていきました。その夜、自宅のお風呂で髪を洗うと気持ち悪い程の髪が抜け・・・めでたく私の頭に500円玉ハゲができたのでした。
それを見つけたのは母だったのですが、さすがに母も『ここまできて もう遅いとか思ってないか? 無理せんと白紙に戻してもいいんやで』と心配を言葉にしていました。
その頃の私は結婚はやめにしたい。けど、この結婚をやめたら子供は諦めないといけなくなるかも・・・・という思いばかりで踏ん切りが尽きませんでした。もうすぐ33才になろうとしていました。
つづく
『ただ今回だけは1つだけ言っておくけど・・・
お父さんもお母さんもオマエの事 ちゃんとわかってるから。いつでも帰ってくる場所はあるんやから心配せんと行っておいで』
と背中をさすってくれました。今となっては『あの時 力づくでもやめさせるべきやったな』と両親は笑って言いますが(苦笑)。
そんなこんなで私と彼は結婚する事となりました。彼は私の両親から結婚の承諾を得ると、もう気持ちはスッカリ嫁さん扱いで、また仕事に借り出される日が続きました。私は一人っ子で、本当に仲のいい家族だったので嫁ぐ前ぐらい穏やかに両親と過ごしたいという思いが募りました。両親だってそのはずでした。それでも文句一つ言わず、私の幸せを願い心配してくれるだけの両親に申し訳ない気持ちも膨らむばかりでした。もう最後なんだから・・・と、彼にその思いを伝えて家に帰りたいと言うと
『商売してる家に嫁に来るんやぞ。今、忙しい時期なんわかってるやろ。もっと覚悟決めてもらわんと・・・・ もう ええわ。帰れやっ』
とまた怒鳴られました。一応、家まで送ってはくれましたが彼は怒って一言も喋らず帰っていきました。その夜、自宅のお風呂で髪を洗うと気持ち悪い程の髪が抜け・・・めでたく私の頭に500円玉ハゲができたのでした。
それを見つけたのは母だったのですが、さすがに母も『ここまできて もう遅いとか思ってないか? 無理せんと白紙に戻してもいいんやで』と心配を言葉にしていました。
その頃の私は結婚はやめにしたい。けど、この結婚をやめたら子供は諦めないといけなくなるかも・・・・という思いばかりで踏ん切りが尽きませんでした。もうすぐ33才になろうとしていました。
つづく
