仮止めの選択。
最近、「“答えはない”というのが真実の答えだ」という主旨の本や主張をよく見かける。
たぶん、手っ取り早く誠意があるように見せられるから、受け入れられやすい論なのだろう。
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私はこの論に対して反対はしない。
しかし、生きている限り選択を避けることは不可能なことだ。
(何かを主張しない、という行動を選択することは可能だが)
(「選択」と対になる単語が存在しないことも、その事実の現れか)
選択を避けるという行動そのものが正義であるとは、私は思わない。
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誠意ある選択と誠意ある無選択は、同じくらいの価値を持つのではないだろうか。
同じく、無意識(思考停止)のままされた選択と、無意識(思考停止)状態による無選択も、詰まるところ似たようなものだ。
そういう前提があったうえで、覚悟を持って何か主張をする人に、私は敬意を払う。
それに人が行き着く答えなんて所詮、仮止めせざるをえないことだ。
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この宇宙に無限にあり得る組み合わせの中で、人は結局何かを選んでいる。
様々な角度から想像する力は無論重要だが、いずれは何かを選択している。
生きる限り、選ぶしかないからだ。
だから、「編集」という概念を私は大事にしているのかもしれない。