電子書籍考 | 宇宙旅行記*

電子書籍考

を、乱雑にメモ。

 

「革命を」の文字と共に最近目にする、 読書 とは、いったい何なのだろう?

 

本は、モノである。内容は、コンテンツである。そう考えたときに

コンテンツの波をざぶざぶと泳ぎわたることが読書なのか。

それとも、モノにしか宿らない何かを感じ取ることが読書と呼ばれるのか。

(後者であるとすれば、電子書籍で読書はできない。)

(どちらか一方に絞れるものではないのかもしれない。)

 

先日、先輩の実家にある蔵で、詳細は省くが、ものすごい体験をさせて頂いた。

その時に直観したことがある。

うまく言葉にならないけれど、「本ってやっぱり、思想だったんだ」、って。

蔵の中にある大量の書物を眺めながら、ページはめくらずとも、そのモノに宿る何かを、

私は、確かに感じたのです。

 

逆に考えると、思想でない本は、モノでなくてもいいのかも?

大量生産され、大量消費され、時が移ろうにつれ、自然と消えゆく商業用書籍。

これらは「革命」された読書体験の中でこそ活きていくかもしれないね。

資源も守られるし。ただ、紙をめくるという読書体験が減る要因にはなるだろう。

長い目で見たときに、それは資産か、負債か?

 

恋愛でよくある「見た目は関係ない」とか「この人の性格や精神性が好きだ」というのを

本に置き換えて考えられるだろうか? 例えば……

「この本に書いてある思想が好きだ。尊敬している。それはどこで読んだって変わらない」

ということで、電子リーダーやケータイ、PC等に映された文字の羅列を見て、

本(モノ)で読んだ時と同じような感動と敬愛の念を抱く。

 

うーん、きっと無理。違う体験になるんじゃないか。

そう考えると、容れ物ってすごく重要だな。

内容が一緒でも、違う媒介で触れればそれは別物になるのだから。

(恋愛と一緒…… でいいのか?笑)