思考停止の脱サラ賛美
最近、会社を辞めて夢を追い始める人、
要は脱サラ組を称賛する声を聴くことが多い。
なんか、違和感あるんだよな。
いや別に、人生はその人のものなんだから好きに生きればいいんだけど、
辞めてしまった職場側の方に想像を働かせる人は、一体どれだけいるのだろうか。
そんなことが気になってしょうがない。
その人が辞めてしまっても、大丈夫な状態だったのだろうか?
重要なプロジェクトの主要メンバーで、大事な局面で突然の脱サラだったとしたら?
人員不足で、皆ろくに寝ずに働いている中での脱サラだったらどうだろう?
その他様々な事情やバランスで成り立っているのが、職場というものだ。
仮に、自己の欲望のみを見つめての脱サラなのだとしたら、
仮に、相手の声を無視できるような心性なのだとしたら、
その人が、そうまでしてやりたいことってどれだけのことなのだろう。
まぁ前提として会社というものは普通、
誰か一人が辞めたくらいで回らなくなるとか先が暗くなるとか、そうはならない。
ただそれはマクロな視点で会社を見たときの状態であって、
誰かがチームを脱した負担は、必ずや他の誰かに降りかかっている。
脱サラ称賛組は、そんなところは気にもならないのかな。
それとも、それを考慮したうえでもやっぱり脱サラって無条件に称賛に値するもの?
なんか夢を追っている感じがカッコイイ?
リスクを負ってまでやりたいこととは、その時点で価値のあるものに変わるの?
逆転して、脱サラ組に向けて皮肉を発する人々も存在するわけだけど
これはなんだろ、多かれ少なかれ、僻みなんでしょうね。笑
もっと世の人全体的に、
視点を増やすよう励まないといけない気がしてならない今日この頃。
世界はきっと、より各様な視点から捉えられる。