不安なのは、触診や問診ではがん本体の姿がみえないと言う事だ。

 

2月9日仕事を半休にして健康診断、偶数年の婦人科健診もある。

マンモを終えて、外科の診察も希望した。担当医師は顔なじみの医師

この時

マンモは2年振りだね、でも一年ごと超音波とマンモと交互にやった方がいいとアドバイスを受けた。次回は超音波をお願いしよう。

特にこの時何か言われた訳でも無く、2週間後健診の結果が届く。

中を開けると、綜合判定は5、マンモの結果はカテゴリー3、要精密検査とあった。

 あの時特に何か問題がある様子でも無かったし多分大丈夫だろう。

2月27日病院へ電話、外来の予約を取る。

外来の予約ができたのが

 

3月13日

3Dマンモと、技師による超音波の検査その後医師の診察

3Dマンモの画像を見て、右と左が明らかに違うでしょ

ここに固まってある石灰化が気になる

そしてここに、はっきりしない形の悪い影みたいなところが気になると

ここで、もう少し詳しい検査が必要であるかから造影剤を入れてのMRI検査

私は、以前造影剤でアレルギー反応を起こしている。

大丈夫か?医師は大丈夫だと言った。早い方がいいだろうからと、

3月15日に造影剤を入れたMRIと、超音波今度は自分が直接見るからと

ここである程度の事はわかると言われる。

 

3月15日

造影剤によるMRI検査、ここで問題が発生、機械の故障だ。あの中で半分頑張って造影剤はいります。そこで機械が故障したといったん外に出された。あの中であの体勢でずっと

がんではありませんように とずっと呪文のように唱えて、終わるのをひたすら耐えたのに、

そして外でしばらく待ち、またあの機械へ戻され、造影剤なしでの撮影をする。

検査着のまま、今度は超音波室、医師が来た。悪かったね 途中で検査できなかったみたいで、今画像見てくるから待っててと言われた。

医師による超音波検査

しこりはないんだよね。ここには昔からあるのう胞、でもここが少し厚いのわかる?

脇のリンパは腫れてないと思うけど、左も見せて

13日に見た時よりも確実にがんの疑いが上がったと医師から言われる。

3月22日再度造影剤を入れてのMRI検査と、マンモトームの予約

医師から、今日のMRIの検査代金は請求しないからねって

またあのMRI検査か

私の乳がんの疑いは右側

こちらのおっぱいは20歳くらいの時だったかしこりがあって、検査をしている。この時の傷は薄いけどまだ残ってる。

 この時取って欲しいと言ったら、ブドウの房のようになっていて取れないよって言われた気がする。

 

3月22日

また造影剤を入れてのMRI
そしてマンモトーム検査

麻酔をしてちょっとした手術になる。

医師から

残念だけどまた確率が上がったと言われた。

検査後車いすでリカバリー室で1時間休んで帰宅となる。お会計は31,680円

明日は傷の確認と消毒、本日はお風呂はダメ

 

3月23日

外科外来へ

圧迫してテープを外して傷の確認なんだか傷口から、浸出液が出ているようで、

下着を汚すといけないからと厚めにガーゼと絆創膏を貼ってもらう。

お風呂に入り、絆創膏を外すと、3・4日は取れないと言われたテープがはがれてしまった。出てくるわ、浸出液血が少し混じってるから赤い。

 

乳がんの疑いで検査をしていることは、まだ家族に言えてない。

心配をかけたくないし、まだ決まった訳じゃないって、間違いって事もある。も少しはっきりしてから、なんて言おうとずっと考えていた。

 

主人は単身赴任で、子供たちはそれぞれ家庭を持ち独立、そう私は今一人暮らしです。

要精密検査の通知が来てから、不安な気持ちはあったけど、大丈夫検査したらなんともなかったよってなるはずだった。だから無駄に心配かけたくないと思っていたから、

でも、検査が進むにつれて、乳がんの確率がそのたびに上がってきている。

もし手術が先に出来る状態であれば、4月19日になるかもしれない。

久しぶりに5月に子供や孫たちに会う計画もこのままだとどうなるかわからない。

 

娘に、乳がんになったかもしれないと伝える。

電話の向こうで泣いていた。

 

私は娘が高校生の時に直腸がんになっている。あれから17年、今度は乳がんに

まだ言えてない、主人と長男に 31日マンモトームの検査結果と、造影剤を入れてのCT検査

 

3月24日

外科外来へ電話

まだ浸出液が止まりません。2・3日は剥がれないと言われたテープが一緒に剥がれてしまったことを伝える。

そのまま手持ちの絆創膏でいいから貼って、土・日それでもまだ止まらないようなら、月曜日外来へ来てください。先生に診てもらいます。

途中確認絆創膏の上に置いたティッシュに少し浸出液がしみてる感じ、絆創膏を貼り替えた。今日はシャワーだけで帰ろうなるべく絆創膏を貼った胸をだれにも見られないように

 

3月25日

浸出液は止まった。

今日はいつもより風呂に人が多いな、胸に張った絆創膏は誰にも見られたくない。

4月1日娘と一緒に主人の所に行くことに決めた。

 

 

家族には言えてないけど、職場には言った

乳がんかもしれないと

これから検査のため病院に通わないといけない。働いている以上職場に迷惑をかける事になるし、病院通いに協力をしてもらわなければならないからだ。

私は小さな団体の事務職をしている。コロナの影響でパートさんは9時から12時までの時短勤務で受付業務のみ3人交代、私は事務職とパートさんが帰った後の受付業務の二刀流。

受付業務だけは午後の時間もパートさんに回してもらわないといけないから。

迷惑をかけることになるけど今は私に協力して欲しいとお願いした。

 

3月26日

一人きりだと、起きているときは全て乳がん事、パソコンの前

考えることは全てがんの事、食事も作る気にならず、それにあまりお腹もすかない。体重は減ってくる。夜も眠るまでがんの事、目が覚めるとまたがんの事、何をするにもがんの事で

頭はいっぱいだ。

 私はスポーツジムで軽く運動してお風呂に入ってきている。ほとんどお風呂会員みたいなものだけど、もう15年くらいは通っているかな。

でもこれもどうするかだ、休会か退会か、

 

でも、15年もいると大体はみんな顔なじみで、急に私が来なくなったらどうしたかって思うだろうし、かといって誰かに話せば、たぶんすぐにみんなが知ることになるだろう。

どうする。どうしたものか

 今日は時間ずらしていこうと思ってる。いつものメンツには正直あいたくない。胸の絆創膏も見られたくないし・・・

 私は隠し事が出来ないタイプで、意外とみんなが私の事をよく知っている。何も自分のことをしゃべらない人もいるが、

コミュニケーションをとるための手段として割とすべてを話してしまってる。後悔もするけどこれは性格だろう。

 だから周りは私の事をいつも元気な人、少しの事には動じない人みたいに思われてるようだが、実は気が小さく小さな事をくよくよして、まだ起こりしない事まで心配する小心者です。あの日からストレスでのどが渇いて口はいつもからからです。

 乳がんかもしれないとわかったときから、自分のおっぱいを触ってみる。そんなに大きくないおっぱいだけど、鏡に映るおっぱいがもしかしたらなくなってしまうと思うと、

ジムのお風呂でも、乳がんになって全摘した人もいるし、部分切除した人も知っている。

だけどそれは今までは他人事で、今度は自分の事、お腹の傷とは違うのだ。

 直腸がんで開腹手術、そして4年前胃腸炎と言われ、実は盲腸で開腹したら、盲腸はすでに融けてなくなり小腸と卵巣を取る事にと言う訳で、お腹には2度も開腹した傷がある。この時からなんとなく身体は不調、年齢もあるからと、触れさせるべきものでないところを2度空気に触れさせたからかと思っていた。

よくわからない血管炎、寒くなると悩まされるしもやけ

私の身体はいったいどうなってるんだろう。

去年なかなか治らない紅斑を皮膚科で生検、結節性多発動脈炎の疑いで大学病院を紹介され、皮膚アレルギー性血管炎との事、あの時みたいに乳がんじゃなかったって事にはならないだろうか。

 不安の中で過ごす精神状態は、食欲不振、体重減少、睡眠低下、気力減退、ネット依存

どこかで吐き出さないと落ち着かない。書くことで不安を文字にする。

 どうかどうか間違いであって欲しい。

 

3月26日

 夜携帯に電話 局番は07・・・

 病院から

 ご主人が病院の駐車場で心肺停止の状況で今集中治療室だと、心臓が一度止まっているため脳にダメージが残るかもしれないと言われた。これから来れますか?

 主人は単身赴任でそちらに伺うのは明日になると伝えた。

原因はまだわりませんが、心筋梗塞も考えられますので、これからカテーテル検査を行い、日をまたぐかもしれませんが、連絡しますとの事

 

3月27日

自分の事とパパの事で、もう何をどうしたらいいのかわからない。

4ヶ月前にも沖縄で病院へ運ばれている。この時は一週間ほどの入院で2日自宅療養で仕事

朝こちらを出て病院へ、タブレット越しに顔がみれた。呼びかけには反応が出来た。頭へのダメージは無かったと思われる。

医師からの説明を受け、私の乳がんの疑いの件も医師に伝えた。これからどうしたらいいんだろう。

 

3月28日

病院へ向かう途中電話、もしや何かあったのか

ICUからHCUに本日移りますとの事、安心した。

 

3月31日

今日は先日受けたマンモトームの結果と、胸部CT、血液検査、検尿

そして、造影剤を入れてCT、以前造影剤を入れて、重度のアレルギーを起こしているため、技師も慎重に検査をしてくれた。特に症状もなく検査は済んだ。

そして医師からの説明

覚悟はしていたが、やはり悪性 乳がんでした。

3月13日から少しづつ、乳がんという現実に覚悟が出来ていたため、なんかやっぱりそうだったかっていう気持ち、でももしかしたら違うかもっていう気持ちもあった。

だけど、私は乳がん

 

検査結果は

先日行いました検査結果により、乳癌となりました

初期の乳がんと思われるが、1mmだけ浸潤しているため現在わかっていることは

浸潤がん

早期

と言う事だけ、後は手術に向けて、次の検査に進むことになる。

4月11日 形成外科予約

            家族への手術説明

4月12日 歯科口腔外科 入院説明

4月24日 手術予定(右胸全摘)

 

結局主人には私の乳がんの事は伝えられてない。

本当は3月31日にはっきり確定したところで、直接伝えるつもりだったが・・・

 

主人の様子

一般病棟へ移れるようになった。昨日医師から電話があり、4月3日病院へ行く事になる。本人は一度心臓が止まった事を知っているんですか?と聞いたらそこまでは話していませんと言った。

       

4月1日

嘘であったらよかったのに・・・・・