私記(伯母の死) | 山口粧太オフィシャルブログ『東京生活』

私記(伯母の死)


名古屋の伯母が急死した。
風呂場での心不全だった。
祖母と同じ場所で、同じ死に方だった。

……
40年ほど前に婆ちゃんが逝った。それが俺にとっての最初の人との死別であった。
いつも陽気な大阪の親戚達が、みんな黒い服を着て悲しむ姿が不思議で、不気味だった。
誰も遊んでくれず駄々をこね、予想外に酷く叱られた。
線香の煙の中に響く坊さんのお経が怖く思え、鰻の寝床の家の一番奥にある風呂場に逃げ込んだ。
入った瞬間、婆ちゃんが死んだ場所だという事に気づき更に怖くなった。
風呂場の白茶けたタイルの赤い柄(ガラ)が血に見えて仕方なかった。
今までに経験の無い、痛みとは違う悲しみが足先から登ってきて身体を締め付けた。
とうとう泣きそうになった。

だんまりの黒い服と、薄暗い部屋に浮かぶ煙とお経と、そして冷たいタイルが、初めて俺に “ 人の死 ” というものを教えてくれた。

……
伯母(オバ)ちゃんは一人暮らしだった。
90歳が目前の死だった。
最近は会う度に、13歳年下の末弟である俺の父の話をする事が多かった。
戦争で兄弟の疎開先がバラバラになり、父(弟)を一人ぼっちにさせてしまった事と、大学に行かすお金が無かった事をいつも悔やんでいた。
「仕方が無かったのだけれども‥」とも。

生涯独身だったおばちゃんは俺の2人目の母親だった。
親戚は名古屋には他にいなかったので、ほとんど家族だった。
自分の子供の様に姉と俺を大人になっても可愛がり、それ以上に心配してくれた。
8年前に母が他界した時は家族よりも落ち込んでしまった。女兄妹のいない伯母ちゃんにとって母は妹そのものだったのだ。

爺ちゃんと婆ちゃんの面倒も、伯母ちゃんは仕事をしながら最期まで看た。ずっと同じ家で暮らしながら。
今思えば凄い事をしていたと思う。

膝の具合が悪くなった伯母ちゃんの家には、今年からヘルパーさんが週に一度来ていた。
そのヘルパーさんが、ベルを鳴らしても出てこない伯母ちゃんを心配して父に電話を掛けてきたのだ。
鍵を開けてヘルパーさんと共に中を捜すと、おばちゃんがバスタブに沈んでいた。

父は刑事3人と外の消防車2台に応対し、役所へ行ったり、検死を済ませたりと、ようやく夜になって事態が収拾した。
翌日、俺と姉が到着した時には、すでにやることは何もなくなっていた。
静かすぎる古い家の中で、眠る伯母ちゃんをただ見つめるだけだった。

大正生まれらしい、気丈な女の姿だった。
陛下から勲章を頂いた事を自慢した、あの時と同じ顔。

……

身内の死をこの場に書くこともないのだろうが、72歳の退官まで大学で教鞭を執っていた伯母の突然の死であったので、やはりお知らせも兼ねて記す事にした。

……

お世話になった皆様、ありがとうございました。
ひとり、病などで苦しむこともなくサッと逝きました。
この急死は、100歳越えを確信していたほどに元気でしたので本当に驚きましたが、伯母らしい引き際でもありました。

テレビの横の机の上には、350枚もの今年の年賀状があり、本当なら皆様ひとりひとりに連絡をしたかったのですが、そんなわけにもいきませんでした。
遺言状なども無く、身辺整理の準備も、もちろん何も無いままだったのです。
家族葬にしたのも、それが大きな理由のひとつです。
御理解していただければと思います。

本当に89年間、ありがとうございました。
伯母に変わりお礼申し上げます。


山口粧太(甥)


追伸。
整理下手の本だらけの部屋は相変わらずでした。
冷蔵庫の中も皆様から送られてきた品々で満載でした。期限切れのカニ缶とか佃煮とか‥(食べきらなくてごめんなさい。代わりに謝っておきます)。

お墓は名古屋南東の有松にあります。
その方角に手を合わせていただければ嬉しく思います。
え? 何か叔母が言ってます。
大学のある星ヶ丘にしてくれ、ですって。

最期まで、うるさい先生ですね。

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伯母は引退後、油絵を楽しんでいました。
沢山あったのですが、私は特にこの絵が気に入ったので自宅で持つことにしました。
そして戸棚からは古いラジオが次々と出てきました。
実は絵とラジオは私の趣味でもあります。
やはり同じ血なんです。下手くそなところも。


レモン杯が好きだったおばちゃん、さよなら。
教え子の親戚だというプロデューサーをフジテレビまで押し掛け頭を下げて俺の事をお願いしてくれたおばちゃん、さよなら。
入院した時に画材をあげたけどやっぱり下書きをしなかったおばちゃん、さよなら。
3年前の最初で最後の父たちとの兄妹旅行を心から喜んでいたおばちゃん、さよなら。
歩行器で初めて外を歩いたら近所の人に立派な年寄りだねと言われて2度と歩行器を使わなかったおばちゃん、さよなら。

いつもいつもいつも俺が角を曲がるまで手を振ってくれたおばちゃん、さよなら。


強がってるけど、やっぱり、寂しいよ。