きつねのおんがえし
ワイン全品2割引き
近所のスーパーの酒コーナーに貼られていたA4の広告。
いつもは店員がいないこの売り場に、今日は特売日の為か、見覚えの無いおばさんが、あれやこれやと客にワインを薦めていた。
俺は相変わらずの、短パン・タンクトップ・雪駄履き、の蝉取りファッション なので、ちっとも相手にされない(相手をされても面倒だが)。
都合よく、スーツ姿の旦那におばさんが手をスリスリしていたので、俺はおばさんの横を通り抜け、奥のワイン棚へと進み、3リットル入りの紙パックのイタリアワインを手に取った。
お、お値打ちじゃん。
そこへ上客の旦那を取り逃がしたのか、おばさんがフラフラと俺に近づいてきた。
「ああ、それは、ワインよ」
と、まるでやる気のない声を俺の背中にコツンとぶつけてきた。
- ワインよ -
判っとるわ、俺は途上国の難民か。
振り向くと、おばさんは冷たい視線で俺を値踏みし、憐れみの微笑みさえ浮かべていた。
なので‥ちょいとからかってやるしかあるまい。
「ロゼのドンペリはある?」
「え、ドンペリ~!」
「2割引きでしょ、3万切るかなあ」
「ああ~どうしよう~」
「5本ほしいんだ」
「ごめんなさい、今日は在庫が‥」 もちろんこの店にドンペリが無い事は先刻承知の俺。
「そっか、残念」
「何かのお祝いですか?」
「いや、自宅用」
「ひええ、あんな高価なシャンパン、私は飲んだことございませんお客様ぁ」
と、先程とはコロっと態度を変えた。
ひきつった顔からオシロイが降って落ち、疲れた顔をした女が、ポツンとそこに現れた。
その姿を見た途端‥ なんか‥
「冗談冗談、俺だって飲んだことないよ。それに3千円しか持ってないし」
「は?」
おばさんは 狐 につままれた顔になった。 どちらかというと 狸 だが。
「もう勘弁してくださいよお兄さん。あたしどうしようかと」
「すまんすまん。俺はこの紙パックのワインで充分なんだ」
「ビックリさせないでえ~、ヤダわ~お兄さん」
おばさんは緊張が解けたせいか、はたまた白いお面が落ちたせいかは判らないが、急に旧知の友の様な姿に変身した。ドロン。
「ねえお兄さん、あっちの特設コーナーはご覧になった?」
「特設コーナー?」
俺は導かれるまま、雪駄をカランカランと鳴らして友に付いて行った。
するとそこには別種類の紙パックワインが数点置いてあって、
「お兄さん、これが超安いの。この値段から更に2割引きなのよ」。
見ると、確かに安い。
んーだが、紙パック安ワイン・ソムリエの俺が、過去に見たことのない銘柄であった。
どうせ水替わりにソーダ割りで飲むだけだから‥ と、過去にまとめ買いをして失敗した覚えがある。不味い物はどう手を加えても不味いのだ。
んーしかし、ご機嫌なおばさんをここでがっかりさせるのも悪いし、隠した鋭い爪で引っ掻かかれるのも嫌なので、「1本だけ貰うね」と、俺はワインを購入することにした。まあ持ち帰って合格なら、もう1本買に来ればいいのだ。そこで、
「2割引きは今日だけなの?」と尋ねてみると、おばさんはシュッと神妙な顔つきになり、あたりを見回した。そして、
「お兄さんの為に‥1、2本隠しとくわ。安心して」
と小声で囁き、舌をペロっと出した。
おばさんは、何を思って言ったのか‥
真意は判らないのだが、圧倒的な好意に押し倒れそうになったので、
「助かるよ。ありがとう、おねえさん」と、頭をなでる勢いで言葉を掛けた。するとおばさんは、「ウフフ‥」と言いながら後ろ向きにステップを踏み、落ち葉をかき分けるように自分の巣へと帰っていった。ドロン。
これぞ狸の恩返し。あれ、正しくは狐だっけ?
じゃあ‥
小太り狐の恩返し。
おしまい。
……
渋谷の生地屋で可愛い和柄の布を見つけたので、エツコ先生のスタジオに差し入れたら、数日後にお返しが届いた。
おお、あの布が煙草入れに変身! ありがとう!!
煙草入れ 鶴の恩返しと名付け 月うつす
字余り。。