ふるいおとこ2 | 山口粧太オフィシャルブログ『東京生活』

ふるいおとこ2


恵比寿に出た。

恵比寿といえばガーデンプレイスだが、それ以前は六本木への乗り換え駅、もしくは代官山への買い物の起点ぐらいでしかなかった。
他に思い出せるとしたら、
「うーん‥香月かなあ」(俺世代調査結果)。

という訳で、ラーメン店の香月を目指し、駒沢通りを代官山に向かって歩き出した。
恵比寿はここ数年、最も空きが出ない人気の商業地区らしく、それだけに入れ替わりが激しいせいか、こ洒落たバール風の店とか、つけ麺屋とかが所狭しと立ち並び、今のトレンドが一目で判る。
駅から100mほど離れた場所に信号があり、その手前の右側が目的地だ(そういえば昔のギバさんちはこの先だったなあ。何でいつも血だらけのデコピン大会だったんだろ)。

随分と御無沙汰だし腹も減っているので、暑い日中の最中ではあるのだが、歩く速度は少し早まる。
すぐに到着した。 いや、到着しなかった。

無くなっていた。

やはり有名店とはいえ、今のつけ麺ブームの大波に飲み込まれてしまったのだろうか。
その後ネットで探してみると、どうやら三軒茶屋に移転したらしい。家賃高騰の為と記してある。
「恵比寿といえば香月だった」と言う程、大層なモノでもないが、それ故に忘れ去られていくのだろうか。六本木のどんパの様に(←マニアック)。

*どんパは水出しコーヒーの店で銀座にはまだあるようです。機会があれば是非アイスコーヒーを飲んで下さい。スタバには完璧完勝の深い味わいなのです。

……
日比谷線に乗った。

六本木への交通手段として、過去何度この地下鉄に乗ったことか。
飲み会といえば六本木。ディスコといえば六本木。心中すら六本木という時代があったのだ(←それは歌だろ)。

平日の午後の車内は、ちょうど席が埋まる程度の客数だった。
6割が若者で、例によってスマホ相手に全員が、シャ~、ペロンと忙しく指を動かしている。
恵比寿駅を出発してしばらく経った。
が、シャー、ペロンが止まらない。ロマンチックも止まらない(←だから古いって)。しかも全員。
もしやと思い、俺は折り畳みの携帯を取り出してみた。
もしやもしやは的中した。

ずっと、バリⅢ。

霞が関で乗り換えたのだが、その間電波は途切れなかった。
駅の連絡板は、黄ばんだチョークの落書きぐらいしか出番がないだろう。まるで縁日の、端っこに追いやられたリンゴ飴の屋台の様に。

さて残りの4割。
子供は少なく、中高年のおやじがほとんどだった。
おやじ達の手元にも、もちろんスマホがっ!
んな訳はなく、文庫本が2名とハードカバーが3名。メモ眺めが1名と新聞が2名。その他は目を閉じているか、もしくは死んでいる。
俺は、「死ぬにはいい日だ」とは日比谷線の中では言いたくない(地下だし暗いし)、かといってスマホも持っていないので、文庫本組に仲間入りする事にした。ところが‥
老眼鏡を忘れた。
やはり死体にならざるを得ないのか。

……
神宮球場3連戦。

『昔の名前で出ています』という小林旭さんの歌が流行ったのは1975年。
で、その前年の昭和49年は、中日が巨人の10連覇を阻止した伝説の年である。当時の俺は全力の小学生。
名古屋城が崩れる程、街が歓喜に揺れたのを鮮明に覚えている。

さて今回の神宮は、『レジェンドユニホーム2012』というイベントで、各チームが伝説を作った年のユニホームを着用するのだが、中日はもちろん巨人を葬った1974年のユニホームを採用した。高木監督が現役時代に着ていた物だ。
ベンチに座る高木さんのその姿を見ると当時を思い出し、感動すら覚えるのだが、現役選手の姿に目をやるというと‥、
黄ばんだパジャマにしか見えない。強そうには、あんまし見えない。

なので今回も1分2敗。

突然の雨に2日降られ、ヤクルトにもとことん振られ、巨人はただ逃げていくばかり(←切ない演歌か)
伝説は、やはり伝説で眠らしておいた方がいいのだろう。
それを笑うように、青い満月が雨雲の隙間で歌っていた。
 
 昔のユニホームで、出ちゃあ、ダーメーよ~♪

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さ、屁こいて寝よ。