名古屋観光はメシぐらいだで | 山口粧太オフィシャルブログ『東京生活』

名古屋観光はメシぐらいだで

カメラの中身が警察に没収される危機を回避したので、ヤバくないネタをお披露目しよう。
と言っても、食い物ばかりだが。

……
渡部夕貴という事務所の後輩が名古屋出身なので、年末に彼女を車に乗せ、夜の東名を飛ばした。
出掛けにメシを食わせたせいか、東名に乗るやいなや、
「眠くなっちゃったで~す」と言うので、
「勝手にどうぞ」と寝かしたのだが‥ 
4時間近く、全く起きない。

……
味仙(台湾料理)

出発前に、「夜中の1時過ぎに名古屋インターに着いたら、“味仙(ミセン)”に間に合うんだ」「やった~2時に閉店ですもんね~」と話をしていたので、俺は休憩もせず、ひたすらアクセルを踏んだ(渡部起きないし)。
そしてやや渋滞はしたのだが、名古屋インターを1時15分に通過する事ができた。

目的地の味仙・藤ヶ丘店はここから10分足らずだ。
この支店は俺は初めてなのだが、ナビによると閑静な住宅地の中にポツンと店を構えているようだ。
「渡部起きろ、もう着くぞ」と肩を揺すると、「早いですね~、またご飯でしゅか~、ムニャムニャ」だって。こいつ大物だわ。
店の近くに路駐して、足音さえ響く深夜の路地を、「なんか誰もいないね」「住宅地ですからね~」と息をひそめて俺たちは進んだ。
看板は‥点いている。
「やってるのかなあ?」「どうでしょね~」。
期待やや半分で、店の自動扉の正面に立った。
グイーーーン。ゆっくりと扉は開いた。
すると‥
驚いたことに深夜にも関わらず、広い店内は大勢の客でごった返していた(なんと2階席まで)。
ひえ~~~
運良く2人分の席が空いたので、俺たちは寒空の下で待つこともなく座ることができた。

さあ、久しぶりの酢豚を食おう!

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味仙の酢豚は塩味。独特のにんにくの味付け。これが美味いんだわ!(今池の本店だけは何故かケチャップ味なので注文してはいけません)。
あ、台湾ラーメンの写真撮るの忘れた。看板メニューなのに。

……
菊井カツ(串カツ)

「おばちゃんこのメニュー、串カツ定食しか載ってないよ」
「え?あらゴメ~ン!それ昼のメニューだわ。こっちだわ」とソフトパンチパーマのおばちゃんが、隣のテーブルのメニューを渡してくれた。
「おばちゃん、これも昼のメニューだよ」と言うと、
「あら~なんなの!テーブルに出とるのは全部お昼のだがね!誰が換えんかった~!!」と大砲の様な声を他の店員さんたちにぶつけた。
「悪いねえお兄ちゃん、で何本にする?」
「じゃあ20本」

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この“菊井カツ”の串カツは、なんと馬肉である(今は豚肉もある)。
なので肉自体はあっさりとして、しつこくなく、一人で20本は食べることができるのだ。
店の歴史は古く、実はウチの親父が子供の頃からの馴染みでもあり、昔は店主のおやじが屋台を引っ張って営んでいたらしい。多分当時は馬肉が安く手に入ったんだろうね。
ちなみに値段は10本で520円。安っ!
*Vシネ俳優顔負けな“大砲おばちゃん”がいるのは黒川店です。

……
寿がきや(ジャンクラーメン)

このソウルフード、俺は過去に1000食は食べたかも。

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マクドナルドが登場するまでは、“寿がきや”のラーメンは名古屋の少年少女たちのジャンクフードの帝王だった。
今でこそ290円に値上がりしたが、俺が名古屋にいた頃は190円ぐらいだった思う。
味は“あっさりとんこつ・かつおダシ風味”とでもいうのだろうか、特に個性的な味付けではない。だから飽きずに1000食もいけたのかも。
以前名古屋ロケがあった際、東京出身の俳優、野村祐人に食わせたら、
「めっちゃ普通じゃないすか。不味くはないけど、美味くもないっすよ」だって。
確かに初挑戦の大人の味覚では、決して期待すべき代物ではないのかもしれない。
俺ら名古屋人にとっては、赤ん坊の頃から食っとる、ソウルフード だでね。

……
まことや(味噌煮込み)

新幹線を降りたすぐの地下街(エスカ)には、かの有名な老舗の山本屋があり、堂々の味噌煮込みを提供してくれる。
値段は1260円。少々値が張る。地元民がちょいちょい口にするには安くない金額である。
で、俺が紹介するのは760円の、“まことや”の味噌煮込み(写真は天ぷら入り945円)。

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これもまた、ウチの親父が昔から通っている店で、店主が両脚で踏んづけてコネるうどん(ざるうどん)が評判になり、しかも安かったので、ウチの親父は若い頃によく通ったらしい。
その後ウチの親父は休みの日になると、度々、粉まみれになりながら自宅でうどんを踏んづけていた。
特大の麺棒を転がしながら「店主の直伝だぞ」と親父が言った時、まさか脱サラして“まことや”になるのか?と不安に思った小3の夏であった。

……
風来坊(手羽先)

東京では山ちゃんが有名だが、実は歴史が古いのは、“風来坊”である。

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20年前、世良正則さんのライブが名古屋であると聞き、俺は仕事先の京都から駆け付けた。演奏後、
「粧太も打ち上げに来いよ」
「どこでやるんすか?」
「栄の山ちゃん」
「はあ。山ちゃんって?」
「おまえ名古屋だろ?知らないなんて笑わせるぜ」
「何屋っすか?」
と、地図を片手に向かった思い出がある。
錦という繁華街に、とても綺麗とは言えない店構えの山ちゃんを発見した。
店に入ると、既に世良さんを含むバンドのメンバーが座敷を占領していた。
テーブルの上には大皿に乗った超大量の手羽先。
乾杯の音頭と共に、全員が手羽先に飛びついた。
「これ美味いっすねえ世良さん」「名古屋のお前が言うかよ」。
しばし皆が無言でがっついた後、俺は世良さんに弁明した。
「俺が名古屋にいたころは、山ちゃん無かったすよ」「いいから食えよ」。
ざっくりスルーされたのだが、これは半ば事実でもあるのだ。
山ちゃんの出店は1981年。俺が16歳の時になる。
当時は噂の“食べログ”も“ピア”もなく、5時サタ・マガジンというローカル番組ぐらいでしか、この手の情報はキャッチできなかったし、番組で紹介されるのは新しいカフェぐらい。知らなくて当然なのだ。←立派な弁明だよね。え、言い訳?。
なんだか山ちゃんの紹介になってしまったが、風来坊の方が出店は1963年とかなり古い。
そして山ちゃん同様、風来坊の存在を知ったのも、俺が東京に住み始めた後の事だ。
今の様にネットがあれば、当時あの娘をデートに誘ったのに。

……
昔は名古屋の名物は何故か海老フライだった。もちろんこれは嘘。
そんな屈辱的な噂に苛立ち、奮起したかどうかは判らないが‥
天むすを、当時東京から干されていた鶴瓶さんと、そして兵藤ゆきさんらが深夜のローカルラジオやテレビで紹介して、キー局が食いつき、それに追随して手羽先や、ひつまぶしや、あんかけパスタや、コメダのシロノワールなどが、次々に世に広まったと思われる(何故か“ういろう”はいつも蚊帳の外)。
金のシャチホコとコアラしか観光がなかった名古屋は、地味にこうして頑張ってきたのだ。

下世話な食い物ばかりを長々と書いてしまったが‥
俺が京都人ならば、内容はまるで違ったものになったのかも。
でも、名古屋はこんなもんです。でもこれが、俺らの味なんです(名古屋代表か!)。

……
おまけその1
タイトル:『あこがれ』

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三河ナンバー(名古屋市の東)の車だが、車内には存在しない、六本木ナンバーが!
ああ、恥ずかしい。田舎者丸出し。大いなる田舎なのですよ名古屋は。。


おまけその2
タイトル:『つぶやき』

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中日をクビになった落合さんが、言ったとさ↑


おまけその3
タイトル:『未来への扉』

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高校時代にバイトしていたお店。
今は店名もオーナーも変わったようだ。
当時は新築のピカピカのビルで、店名は『ジャム・ポッド』というパンケーキを出すカフェだった。
夕方から店に入り、パンケーキを毎日焼いていた。
焼き立てのパンケーキにスライスしたバナナを載せ、チョコシロップをたっぷりとかけ、自家製の生クリームをムニュムニュっと盛り付け、大きなマグカップのアメリカンコーヒーを一緒に出していた。
お客さんの喜ぶ顔を見るのが楽しかった。
小さな子供連れの家族も、よく来店した。
生クリームを顔中に貼り付けた子供たちが、スプーンを楽器にお皿を叩く音が厨房まで響き、その音に合わせて俺はフライパンのパンケーキを空中に踊らせていた。
もう、30年も昔の事。
思い出はセピア色に染まってしまった。こんがり焼き目の付いたパンケーキの様に。

でもあの味は、俺と子供たちの宝物。
ずっと心に残っている。