2011のごあいさつ | 山口粧太オフィシャルブログ『東京生活』

2011のごあいさつ

箱根駅伝の放送以来テレビを見ておらず、久しぶりにスイッチをいれたら、お笑いタレントさん達が、新橋のガード下の風景写真を囲んで、それぞれコメントをしていました。
「これって、昭和ですよねえ」「うわ~昭和だなあ」「なんか懐かしい」等々。
それを見ながら思ったのは、

そうか。今年は平成23年で、昭和が終わって既に四半世紀が経とうとしているのか。ということ。

先日、大学4年生で野球部で俳優志願の井田圭紀(ケイキ)君という青年を火野正平さんに紹介する機会がありました。

「圭紀はいくつだ?」と正平さんが尋ねると、
「21歳です」
「ん、平成生まれか?」
「はい。平成元年です」
「俺が61歳だから、40歳もちがうんだなあ。圭紀の両親はいくつだ?」
「父が50歳で、母がええと‥」

「46歳。俺と同級生ですから」
と私が会話に加わりました。実はこの圭紀君、私の同級生の息子なのです。

「そうか。粧太の同級生が圭紀の母ちゃんか」
「はい」
「圭紀は彼女はいるのか?」
「いえ、いません」
「それはダメだ。頑張らなきゃいかんぞ男は。俺は今でもそれしか考えてないんだから」
「はい。両親から火野さんの事は伺いました」
「なんて言ってた?」
「ええと、そのう、大変おもてになる方だと」
「‥それがなあ、最近はあかんのや。でもこの歳でも頑張ってるんだから、圭紀も頑張れ」
「はい。頑張ります」
「この前、バイアグラみたいな薬をもらってなあ‥」
いつもの事ですが、話が大きく脱線してきたので、

「正平さん。その話はいいですから」と私が間に入ると、

「まあ野球においで。それから、さっきからいじっている前髪を切れ」
「自分、さわってましたか?」
「男が前髪を気にしてどうする。俺なんか、何も無いんだから」
「はい。いえ。はい」
どう返事をしていいやら困った圭紀君は、やはり前髪をいじっていました。

「いいか圭紀。俺の役者生命はあと10年だ。粧太だって20年やれるかどうかだ。草食系かなんか知らんが、新人だからって舐められるなよ。やられたら、やりかえせ」
「はい」
「俺は若いころ、後先も考えずに鶴田浩二さんや若山富三郎さんと喧嘩した事があるんだけどな、そのあとは案外、『あいつ、おもろいヤツやな』。と思ってくれたりしてな‥ ま、そんなもんだ」
武勇伝を語るのは嫌いな正平さんですが、頼りなさげな若者には、時にこういう話も必要でしょう。
私が出会った頃の、昭和の時代の正平さんは、酒場で数人の酔っ払いを相手に、しょっちゅうビール瓶を振り回してました(もちろん売られた喧嘩で)。
そんな勇姿?も、最近は見られなくなりました。

取っ組み合いの喧嘩。これも昭和の風物詩なのかもですね。

「これからの時代を造っていくのは、お前たち平成生まれだ。舐められるなよ。アホな先輩とか、侵略してくる外国とか」
「は、はい」
「俺は憂えているのだよ。今の日本に。これからの将来に」
また話が脱線してきたし、空の徳利もボーリングのピンみたいに並んでは転んだので、今宵はこのへんで。
圭紀君、頑張って下さい。髪が抜けるほどにね。

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箱根駅伝は盛り上がりましたが、年末に怪我をした私の脚は完治していないので、年があけても未だに走れていません。
今年は花粉も多く飛ぶと聞いたので、やはりマスクは必要になるでしょう。
おかしな走り方で、しかもマスクを付けている私をどこかで見かけたら、どうかその時は、

憂えて下さい。

では、今年もよろしく。 粧