「ありがとう」という世界 | 山口粧太オフィシャルブログ『東京生活』

「ありがとう」という世界

五木寛之さんのエッセイ本より・・

 人間は四つの段階をへて変わっていきます。
子供から少年時代にかけては、「おどろく」 ことで成長します。
やがて 「よろこぶ」 時代をすごす。
そして、ある時期から 「かなしむ」 ことの大切さに気づくようになってくる。
しめくくりは 「ありがとう」 という世界ではないか。

・・・・
新宿駅。夕方の山手線は、いつもながら混んでいた。
発車間際に乗り込んできた、おばあさんが、「すいません、すいません」 と車内の人に頭を下げながら、端の席に座る俺の前に近寄り、「ああよかった。つかめたわ (縦の手摺に)」 と、ホッとした様子で呟いた。
見たところ、かなりの高齢。

「座ってくださいな」
俺が席を譲ると、「ありがとうございます」 と素直に腰を降ろした。
おばあさんは小さめのリュックを背負ったままチョコンと座り、そして少し陽に焼けた様子の顔が、なんだか嬉しそうだ。
満員の電車は、2つ進んだ高田馬場駅で多くの人が下車し、おばあさんが、「空きましたよ、どうぞ座ってください」 と、オイデオイデをしてくれたので、俺は並んで腰掛けることにした。

「どちらに行かれたんですか?」
そう俺が訪ねると、
「軽井沢に3泊してきたんですよ」
なるほど、それでリュックに日焼けした顔なのか。
「軽井沢ですか、いいですね」
「ええ。 私には冒険でした」
「冒険?」
「いつもは息子が車で旅行に連れてってくれるんですけどね、今回は初めて電車とバスを使って。それも一人で」
「え、お一人で、ですか?」
「はい。私、88歳なんですけど、一人旅をしたことがなかったので、やってみたかったんですよ」
「そりゃ、すごいな」
「この歳だし、来年はもう無理かもしれませんでしょ」
「同じ台詞を毎年言ってるんでしょ?」
「あらいやだ。息子と同じことをおっしゃるわ」
照れ笑いをしたおばあさんの皺は、どこまでも優しげだ。

「私達の世代はね、若い頃は皆忙しくて、旅行なんか夢のまた夢だったんですよ」
「戦争とかありましたしね」
「ええ大変でした。でも今はこうして一人でも旅行に行けるんですから、ほんとありがたいです」
「じゃ今度は海外に一人旅ですね」
「そんなそんな(笑)。日本でもまだ沢山行きたい所があるし、それで十分です」
そんな話が続く中、電車は俺の降りる駅に到着した。

「おばあさん、それじゃまた。お元気で」
「ほんとにありがとうございました。あなたも、お元気でね 」
走り去る電車の窓から、おばあさんがいつまでも小さな手を振っていた。


「それで十分です」 か・・
等身大の正直な言葉に聞こえた。
いつの頃か、「かなしむ」 ことの大切さに気づいたおばあさんは、今では全てのものに 「ありがとう」 って言えるんだろうな。

そんなことを考えながら、少し肌寒くなった、陽の沈んだ夜道を歩いていた。
高架を走る山手線の上に、物言わぬ白い月が、穏やかに浮かんでいる。
ふと、何故かは解らぬが、若い頃に岸田今日子さんに言われた言葉を思い出した。それは、
「あなたたちは大変ね。最近は沢山の情報がいろんな形で溢れてるから。あなたたちは何でも知ってるでしょ?そんなに知らなくてもいいの。いっぱい捨てなさい。大事なものだけ、とっておくの」 って。


俺自身、未だ老いたとは思わないが、あのおばあさんにも、そして亡き岸田今日子さんにも、今晩は素直にに言える、
「ありがとう」 と。

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この写真のかたは、故・川上さん。
18年前の映画 「天河伝説殺人事件」 の衣装さんです。
市川昆監督が、「俳優たちの衣装は、着崩れた感じにしてくれ」 と依頼され毎夜、水に濡らした衣装を、川上さん自らが着込んで寝ていたのです。
もちろんそのエピソードは、数人しか知りません。
俺は岸田今日子さんに後日聞きました。

偉大なる酔っ払いの川上さん、その節はお世話になりました。

ありがとうございました。