所在地   愛媛県新居浜市神郷町上郷

城主    藤田孫次郎~藤田山城守芳雄~藤田大隅守俊忠

時期    天文年間~天正十三年(1585)

 

 

 

訪城紀行

この城跡には今回で4度目、最初に訪れたのは平成10年4月28日だったが踏切の無い線路を渡った事しか覚えていない。2度目は平成21年4月26日でこの時は妻と二人で訪れている。国道11号線を新居浜インターへの交差点を反対側に右折して、道なりに走ると途中からゴルフ場のネットが見える県道336号線へ入る。右側前方に「市清掃センター」の建物が見える。JRの高架の下を潜り、すぐの信号を右折すると「瀬戸広告店」の隣を右折する。

細い道で奥に鳥居が見えるが注意して見なければ通り過ぎてしまう。鳥居の横に車が一台止められるスペースがある。車を止め踏切の無い線路を渡ると正面にもう一つ鳥居がある。この鳥居の下を潜り階段を登って行くと城跡に着く。また線路を渡り線路沿いに右折すると薬師堂が建っており、すぐ前に城主の藤田山城守芳雄の墓と伝えられている。

3度目は平成28年7月10日に前回来ている山麓の薬師堂のみである。そして4回目は平成29年1月28日の訪城となる。

 

 

国領川下流の東側にある郷山の山頂にある岡崎城の北麓にある

上徳寺境内にある薬師堂の前にある宝篋印塔

 

 

室町時代に建てられたと思われる宝篋印塔、城主の山城守芳雄

の墓と伝えられている。

 

 

城山中腹にある鉾前神社の鳥居。

ここが岡崎城跡への登山口。

 

 

中腹に建つ鉾前神社。

神社の右側から城跡への登山道が延びている。

 

 

山頂、主郭全景。

 

 

Ⅱ郭

 

 

Ⅱ郭の南側に石積

 

台所郭

 

Ⅲ郭

 

 

Ⅳ郭

 

 

城址より西側、」新居浜市街を写す。

 

 

 

 

沿革

天文年間(1532~55)に藤田孫次郎が出て、西条の高峠城主石川氏の麾下に属し七カ村3千石を領有した大豪族で郷山に岡崎城を築いた。室町時代末期には藤田山城守芳雄、大隅守俊忠が出て、金子備後守元宅らと共に天正十三年(1585)、西条の高尾城に立て篭もり、小早川軍との野々市の戦で敗れ、父芳雄は討ち死にし、子俊忠は逃れて安岐三原に逃れた後、帰国し、その子孫は近世郷村の庄屋を勤めたと言う。

 

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