所在地   愛媛県新居浜市金子丙御茶屋谷

城主    金子頼弘~康弘~十郎元政~金子備後守元宅

時期    弘安五年〈1282〉~天正十三年(1585)

 

 

訪城紀行

この城跡にも今回で3度目の訪城である。(平成29年1月28日)前回(平成21年4月日)は妻と二人で訪れている。先に近くにある金子氏の菩提寺、慈眼寺に訪れ城主の墓所にお参りして寺の後方の金子山へ登るために「滝の宮公園」へ行く。広い駐車場がありアスファルト舗装された遊歩道が山頂の城跡まで続いている。

 

 

 

慈眼寺  金子氏の菩提寺

 

 

本堂の裏、金子氏の墓所へも階段

此処を登ると金子備後守元宅の墓所がある。

 

 

金子備後守元宅と真鍋六人衆の墓が祀られている。

真鍋家は元宅の母親の出里。

 

 

左側の五輪塔が金子備後守元宅の墓。

 

 

江戸時代に建立されたと言う

金子備後守元宅の墓石。

 

 

金子対馬守元春公の供養塔。

 

 

 

慈眼寺の後方の山が金子城跡。

 

 

 

金子城跡の麓にある「滝の宮公園」の入り口にある石碑

 

 

山頂(標高90m)城跡への入り口にある石碑。

 

 

山頂、主郭に建つ石碑。

 

 

主郭全景

 

 

金子城跡、主郭から東方面。

 

 

 

 

沿革

築城者は金子氏の一族の金子十郎宅世であろうと考えられている。金子氏の名は弘安五年(1282)で新居郷の地頭職として金子頼弘の名が残っている。続いて暦応元年(1338)には金子廉弘が細川氏の味方となって生子山城を攻略している。

この後、新居郡内は高尾城主石川源太夫の暗殺を契機として地頭間の派閥争いが起こり、錯乱に苦しんだ。これを鎮めたのが金子十郎元成である。以降、金子氏は高峠城主石川氏の配下にあって台頭目覚ましいものがあった。元成の子金子備後守元宅は、先代の高峠城主石川備後守通清の妹婿にあたる事から、当時わずか八歳の城主である虎竹丸の後見役として新居、宇摩両群の実権を握るようになった。

天正十三年(1585)、小早川隆景、古川元長らの侵入に対して、新居、宇摩両群の武将は金子備後守元宅を総大将として高尾城に立て篭もり、居城の金子山城には弟の金子元春以下若干の留守兵を残し元宅は西条の野々市の戦で戦死し、弟、元春らも金子山城に立て篭もり最後の一戦を試みたが皆、討ち死にし、城は落城する。7月14日の事である。

 

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