所在地   大分県大分市南鶴崎3

城主    吉岡長増~吉岡監興~加藤清正~細川氏

時期    室町時代後半~江戸末期

 

 

訪城紀行

県道208号線を北上し鶴崎駅前で国道197号線に出て右折して鶴崎小

校を目指す。

小学校の東側の住宅地の一角に車を止める。小学校は生徒の帰宅時間で校庭には児童が大勢いたので正門から入り、

先生に理由を説明して校庭に入り、城跡の写真を写したい事を話すと職員室に案内され校長先生の許可を貰ってくれた。生徒を写さないと言う条件で許可してもらい、校庭の一角にある石碑と説明板のみを写す。遺構は何も無かった。

旧町名に城町と言う名残が残っていた。

 

 

鶴崎小学校の校庭に鶴崎御茶屋の説明板がある。

 

 

大友氏の家臣、吉岡長増によって増築された。

 

 

鶴崎城跡には鶴崎小学校が建っている。

 

沿革

室町時代の後期に大友宗麟などに仕えた吉岡長増、戦国武将により築城される。

この城が歴史上に登場するのは天正十四年の島津家久による豊後侵攻に置いて妙林尼

(吉岡長増の子である吉岡監興の妻)により籠城戦が行われ和睦に持ち込み城を守り切ったとされる資料があるためである。

なお、この城自体は大友氏が改易となり鶴崎が熊本藩の所領となった。支城にしようとしたが果たせず廃城となり、結局細川氏の統治時代に熊本藩鶴崎御茶屋という統治機関が置かれた。御茶屋というのは藩主が領内を監視する時や参勤交代で江戸に往来する時の

宿泊所である。

 

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