所在地   大分県大分市荷揚町

城主    福原直高(石田三成の妹婿)~早川長俊~竹中重利~重義~日根野吉明~

       松平氏

時期    慶長二年~明治4年

 

訪城紀行

鶴崎から国道197号線の大分川を渡り、大分県庁の前を通り過ぎると右側に府内城跡が見えて来る。

大手口を過ぎ、次の交差点を右折すると城内の無料駐車場に車を止める事が出来る。

以前は大分文化会館が建っていた場所である。府内城は24時間開放されている。

しかし、この駐車場は8時から18時までしか開いていないらしい。夕方まで城内を探索して

今日は早めに城の近くで宿を探すことにした。

大分駅の近くの国道10号線沿いの「アネックスホテルクドウ」というビニネスホテルを見つけることができた。宿泊料金3750円

朝、6時30分にホテルの朝食を食べ、自転車で大分駅前に行き大友宗麟の銅像を見てその後、府内城まで行く。

今日は城の外周を一周して櫓などを写真に撮り、最後に藩主竹中重利公の墓のある浄安寺に行く。

 

 

 

大手門

府内城の玄関口にあるため大手門と呼ばれているが、正確には

多聞櫓門という名称である。

 

宗門櫓  人質櫓と共に現存する江戸時代の建物である。現在の建物は

安政六年(1859)に再建されたものであるが、当所の規模、工法を修理

したと考えられる。 

 

西南隅櫓  此の櫓も復元するとき、石垣による櫓台を設けずコンクリート

の柱と梁により支えている。さみしさを感じる。

 

廊下橋  山里丸側から写す。

 

 

内堀と西の丸北側の土塀

 

天守台

 

 

天守台  慶長七年(1602)に四重櫓の天守閣が築かれていたが

賢保三年(1743)の大火により焼失。

 

帯曲輪

 

人質櫓  現在の人質櫓は、文久元年(1861)に再建されたものである。

 

 

茶到櫓

 

藩主 竹中重利公の墓

 

 

浄安寺にある藩主、竹中重利公の墓所

 

 

 

沿革

大分市荷揚町に所在する「府内城」は府内藩主の居館及び武家屋敷により構成された

近世城郭の特徴を色濃く残す城です。大分川と住吉川に挟まれ、かつて海辺に面した

府内城は、白土の塀によってまるで水上に浮かぶその姿から「白雉(白地)城」とも呼ばれている。

府内城は、大友氏が国を去った後、豊後を治めていた早川氏に続き、府内に入った福原

直高により、築城が行われ、其の後、竹中重利により、現在の府内城の形が出来ました。

府内城下町も同じ時期に形成され、今の大分市街地のおおよその形は、この頃に作られました。

 

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