所在地   大分県竹田市竹田29

城主    緒方惟栄(文治元年、1185)~志賀貞朝、(建武元年(1334)17代、260年)~

       中川秀成(文録三年1594~明治2年1869)

時期    文治元年、1185年~明治2年、1869年

 

 

訪城紀行

総役所跡が駐車場となっており、此処から大手門へと登る道が付いている。料金は高校生以上が300円、小、中学生150円で午前9時~午後5時までが利用時間となっているが、特に入城制限されているわけでなく、時間外でも散策することは可能である。

 

 

駐車場にある城の石碑

此処から3分ぐらいで大手門下に出る。

 

岡城跡案内図

入場券売り場の横にある。

 

駐車場より大手門を写す。

 

 

大手門

登城坂の城塀

 

大手門の石垣

 

 

大手門 石塀

 

 

古大手門跡

 

 

太鼓櫓跡

右側の石垣の上

 

室井戸  井戸の深さ73m 穴の径3m

 

 

本丸への石段  手前が空井戸

 

 

本丸跡

 

 

家老屋敷跡より本丸跡方面をうつす。

 

 

二の丸跡と滝廉太郎

 

 

 

三の丸跡

 

 

秋葉社跡より西の丸御殿跡を写す。

 

 

 

家老屋敷跡

 

 

家老屋敷跡  一段高い所が普請方跡

 

 

井戸跡

 

 

近戸門跡

 

 

井戸跡

 

 

城跡全景

 

 

城跡全景

 

 

城跡全景

 

 

国道より岡城跡を写す。

 

 

 

 

 

沿革

竹田城は文治元年(1185)、この地方を根拠にする豊後の豪族緒方惟栄が築城する。

大友氏の一族、志賀氏が所領となる。建武元年(1334)志賀貞朝は惟栄が築いた下原口の城を大改築し天神山頂を本丸とし岡城と命名する。遺構17代,約260年間、志賀氏が築城として居城する。天正14年(1586)薩摩の島津軍が豊後に侵入し諸

城を落としたが、岡城は島津軍三万の大軍に3回にわたり攻撃されたが落城しなかった。

文録2年(1593)主家の大友氏の改易によって志賀氏も岡城を去る。文禄3年、播磨三木城から中川秀成が六万六千石で入封すると以降277年間世襲して明治に至った。

 

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