所在地   大分県佐伯市上岡(栂牟礼山)

城主    佐伯氏(さいき)

時期    鎌倉時代~慶長六年(1601)

 

 

 

訪城紀行

最初に佐伯氏の菩提寺龍護寺に行く予定で地元の人に何度も聞き、ようやく行く事が出来た。

その後、平成11年に訪れている栂牟礼城跡に行っていたのだが

登山道の側面のコンクリートを吹き付けている壁の法(のり)部分が崩れ落ち前面通行止めになっており

今回は登城を諦め引き返すことにした。

 

 

栂牟礼城主 佐伯氏の菩提寺龍護寺の山門

 

 

毛利鶴屋城主祈願所

 

栂牟礼城主 第13代佐伯惟真(これさね)公の墓。

 

栂牟礼城への登山道の側面部分のコンクリートの法部分が

崩れ落ち通行止めになり今回は登城をすることができない。

引き返す事にする。

 

此処から跡の写真は平成11年2月11日の写真

 

山頂の本丸跡

 

 

本丸跡全景

 

 

中央に見える山が栂牟礼山

 

 

城址より山麓を写す。

 

 

 

 

 

沿革

佐伯氏は、豊後の佐伯地方(現在の佐伯市)に平安時代から根を張る地方豪族である。

鎌倉時代に大友氏が豊後守護職として入国した際に協力したことから、大友氏の重臣

となっていた。だが、戦国時代には国力増強のため集権化を図る大友氏と、代々築き

上げた独自の勢力を保持する佐伯氏とが衝突する。

こうした背景から大永一年(1521)ころ,当代の佐伯惟治は栂牟礼城を築城した。大永

七年(1527)大友義鑑は惟治に謀反の疑いをかけ、臼杵長景に命じて2万余りの軍勢で

栂牟礼城を攻めさせたが、険しい地形に守られた天然の要害である栂牟礼城を攻め落とせず、

やむなく和議をもって惟治を城から誘いだして殺した。

これにより一度は大友氏と決別した佐伯氏だが、のち義鑑の子、宗麟の要請に帰参し、

島津氏の侵攻や豊臣秀吉の九州平定、さらに朝鮮出兵でも大友氏に従って戦った。

 

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