本稿は、「ワイドクラックミーティングの全記録 WIDE 2018尾鷲」に掲載されたものを、許可をいただいて転載・加筆したものです。

 

 私は登山の一部としてクライミングを始めた。山をより面白く登るためには、岩登りの技術が必要だと思ったからだ。

 

 登山の華、大岩壁において、選んで間違いのないラインは顕著な凹角や広い割れ目だと言われる。ラインを読みやすいことはもちろん、割れ目を使って登ったり、そこに支点をセットできることが予測され、行き詰る恐れが少ないからだ。岩に走る顕著な隙間をホーキング博士とかが見たら、「宇宙物理学的に最も合理的なラインだ」とか言うはず。ならばワイドクラックへの対処法は山岳志向のクライマーとして必須技術。と、思っていた。不動沢に行くまでは。

 

不動沢のワイド

 

 そんな理屈は、クラブの先輩、岩田宏氏に不動沢に引きずり込まれ、はじめてスクイズチムニーとオフィズスとを体験した初日に不要になった。

 割れ目に潜り込み、全身で進む。まず、ホールドなど無いのに体が止まっている神秘を感じる。何も掴んでいないのに、何にも乗っていないのに、背中や膝や肩の摩擦で岩の途中に自分は停まっているのだ。

 こんなことが可能なのか。人間も結構すごいぞ、ちょっと疲れるけど。

 やがてクラックが狭まると、視界の半分には岩の中が見え、もう半分は怖いほど露出した垂壁、何という贅沢な風景!

 

ワイドは異世界の入り口

 

 そして、限られたプロテクション(当時キャメ4まで)をセットし、それが足元になった状態で未知の一手を出す。恐怖は忘れろ、体も頭も動かなくなる。だが危険は忘れるな!自分に言い聞かせないと進めない。頭がキーンと集中する、その心地よさ。

 精神・頭脳・肉体、自分の能力をこんなにもいっぺんに求められたことが今までにあっただろうか。

 そうして上へ、時には横に進んで、いつの間にか岩の隙間をくぐり、飛び出した終了点は未知の場所だった!

 五感の全てに自然が痛いほど感じられる(そう、痛いほど!)この体験に、私のクライミング観が変わった。

 ワイドは大岩壁のおまけなんかじゃない。挑戦・癒し・感嘆・・・人がクライミングに求める様々な要素が最も強く感じられるもの、それがワイドクラックだったのだ。

 

 それからは、トレーニングのためではなく、それ自体のためにワイドを登った。開拓の立役者、中嶋岳志氏、清水博氏の記事を読んで不動沢で鍛えていただくのはもちろん、当時、その質に反してローカルな岩場であった名張、三倉などにも、紙のトポを人づてにコピーさせてもらってお邪魔し、地元クライマーの胸を借りながら登った。

 

三倉の岩も素晴らしい花崗岩だ

 

 難しい課題はまだ無く(というか知られておらず)、5.11前半までではあったが、とにかく様々なワイドを登った。易しいものでも、未知のワイドのムーブはいつも新鮮で、様々な手足肩尻背の組み合わせを考えては、飽きることなく試した。ネット情報も、良い教本も、もちろん動画もなく、教えあえる仲間はわずか。学習は遅々としたものだったが満足度は高かった。

 

名張のガードレール橋

 

 当時はクラックを登るクライマーが大変に少なく、しかもワイド。さらに、たかが5.10や11。周囲からは特に評価もなかったが、評価なんてどうでもいい。変態と呼ばれることも心地よいくらいだった。

 

 そのうち結婚し、子供が生まれた。子供がいると、人気(「ひとけ」でも「にんき」でも可)のない当時のクラックの岩場は都合がよかった。子供は海だの山だの関係なく、外敵危険のない場所で、親が面倒を見てやっていればご機嫌だった。

子供の様子を見て、これならば、あのワイドにトライできると、摩天岩のそばに眠るルーフクラックを思い出した。

 

 それは、妻が以前に教えてくれたものだった。

 

 結婚前の妻から、見せたいものがある、と言われ、連れていかれた森の奥。正面にはさえない小スラブがあり、これがどうかしたか、と首をひねっていると、上を見ろと言われた。

上には、ルーフが覆いかぶさっており、それは大きく割れていた。ルーフのワイド?その時代、それは書物の中の存在だった。一目見て、はるか未来の課題だと思い、それきり行っていなかった。

 

 

 あのクラックに行ってみよう。下地も良かったし、子供も大丈夫だろう。あの岩には妻がトライする対象がなく、「親父だけがいいように遊ばない」という私の主義に反するが、妻が勧めてくれたものでもあるし、と了解をとってトライすることになった。

 

 妻が生後半年の子供を、私が他を背負って摩天までの道を久しぶりに辿ると、そのワイドは変わらずにあった。出だしのスラブの塵さえ払えば、あとは登るだけ。敗退はエイドでできると見切り、トライを開始した。

  ルーフの出だしから苦しく、手の厚い私にはなかなかシンハンドが決まらない。色々試し、何とか天井に貼り付けた。と、今度はワイドの入り口で動けない。当時は足から入るという考えはなく、ひたすら頭から突っ込んだ。

 3日目で何とか解決。疲れ切った体には岩の懐に入ってからも厳しかったが、やっとのことで上に抜けた。

 この時、若干詰まっていた土を体で掃除したせいか、家で風呂に入ると下腹部にダニがついていた。解決の喜びに、このダニですら愛おしかった(とはいえ、抜いて潰した。)その他は、クラック部分で掃除はしていない。きれいな内面は、誰かが来るのを待っていたようだった。

 

 ほとんど掃除をしないで済んだのは幸運だった。掃除をするということは、岩の表面の使えそうな部分(ホールド・スタンスとは言うまい。尻や肩をこすりつける部分を何と呼べばいいのか。)をあらかじめつぶさに確認するということであり、オンサイトアテンプトはできなくなってしまう。このワイドでは、最初のトライ後も試行錯誤を本当にたっぷりと楽しめた。ムーブを試してはズリ落ち、ぶら下がっても十分に呼吸して休むこともできず、自分の弱さを思い知らされ、まさにワイド。このクラックの存在を教えてくれ、ビレイしてくれている妻に感謝であった。

 

 4日目、完登。(次の一段落は若干ムーブに触れることをお許しいただきたい。)

 

 すっかり馴染んだシンハンドから天井にぶら下がり、快適なハンドを挟んで、急速に広がるフレアチムニーに頭と肩を入れる。何度ここで空しく岩を叩いてズリ落ちたか。だが、もうわかっている。足でルーフ下を蹴りながら左手を下向きに切り替え、一気に岩の中に入る。足が一瞬空中に泳ぐが、スクイズチムニーの中に畳み込むことができた。しかし、下向きにフレアしたスメアリングには油断ができない。左手を様々な向きに押し、右手も少しずつ進める。落ちそうなはずなのだが、その狭間で体はあわてもせず動き続け、一手一手が淡々と決まってゆく。呼吸は荒くなるが、苦しく感じない。静かな気持ちだ。次第に傾斜は垂直となって、スタンダードなアームバーとニーロックの体勢になる頃、上半身が岩の上に抜けだした。

簑和田一洋撮影(画質調整とトリミングをしています。実物のポジはすごくきれいなのですが。)

 

 もうすぐ、終る。この奮闘とも今日でお別れなのだろうか。寂しさが胸をかすめる。だが、ここで登ってしまうのがクライマーだ。私はスクイズチムニーを抜け、岩の上に立った。目の前には、ひたすら不動の谷が広がっていた。

 

 終了点まで、ワイド部分には特殊なムーブは使わなかった。しかし、一手一手、地味でも厳しい動きをつないだように思う。今まで登ってきたワイドたちが教えてくれたことが、数センチ登るたびに次々と役立ってくれたように感じた。目の前に広がる谷を見て、感じた。

 

 これに、不動の拳、と名付けた。

 

 グレードについては、ワイドに入るまでの前半で少なくとも5.11cくらいはあると感じたが、ワイド部分で困った。時代柄、それまでに11bまでのワイドしか登ったことがなかったので、判断できなかったのだ。ただ、それらはオンサイトしていたので、これは明らかな差があると思い、「後半5.11d以上あるだろう、ならば、合わせて5.12bはある。」と考えた。それ以上は完全にイメージ外。だから、グレーディングが変だと言われたら素直に謝ります。5.12bより難しいかも?って自分でも思っていました。

 もちろん、ワイドの難しさは体格によって大きく変わるので、易しく感じる人もいるかもしれない。

 どちらにせよ、グレードをつけたことで広く知られ、近年トライしてくれる人がいるのは嬉しいことだ。

 

 その後、ますますワイドが好きになり、登り続けた。偶然、雑誌climbingでビデブー特集を読んで熱に浮かされ、今井君から情報をもらい、2度行った(日本人初のリピーターは、多分私たち家族だろう。また行きたい!)。スクワットは情報がなかったため、ほぼ頭先行で登り、ルシールも取り付き手前までは行った。子連れには取り付きは危険であきらめたが。ワイドにはまりはじめた当時のパメラ=シャンティ=パックにも会った。彼女は日本から来た子連れのクライマーのことを覚えていてくれているだろうか。

スクワット。多分ベストのムーブとは程遠いので真似しないでください。

 

 当時、ワイド、というよりクラックの人気がなく、私たちは静かにクラックを登り続けた。こんなにも面白いことを、なぜ皆やらないのかと思いながら。

 カサブランカもスコーピオンも、いつ行っても順番を待つ必要はなかったし、不動で会うのは限られた知人だけだった。不動の拳は静かに歴史に埋もれていった。

 

 しかし、近年どうしたことか、ワイドが栄えている。AKBが「ワイドに挟まる君に胸キュンつぶれそう~」とか歌ったのか、それともアベノミクスの施策の一つに入っていたのか、信じられないくらいクラックを登る人が増え、そのごく一部ながらワイドにはまる人も増えた。不動の拳も、初登から10年を過ぎたころから増本氏を皮切りに、いずれも素晴らしいクライマーの手で歴史から発掘していただき、知られるようになり、最近では「山岸さん、不動の拳やったことありますか?」と聞かれるほどだ。はい、やりました。

 

 ロクスノでも、素晴らしいワイドや、それを登る創造性にあふれるムーブの写真を楽しめるし、他のクライマーとワイドについて語り合い、互いのムーブを学ぶ会まで催されている。これには最高に魅かれる。

きっとみんなで床にあお向けに寝転がって手足を上に伸ばしてクネクネ動かし笑顔でハアハア(*´Д`)言っているのだろう。ああ、行きたい。各年齢層から集めた美女10名に囲まれ取り合いされる飲み会があるとしても、それよりも、行きたい。

 

 しかし、なぜ今ワイド?時代に何かとんでもない変化がおきているのだろうか。

いや、当然だろう。ワイドを愛すること、それは人として自然な、当たり前のことだ。良識ある人ならワイドを愛さないわけがなかったのだ。世界で一番美しく、険しく、セクシーなもの、それがワイドだからだ。ワイドクラックは自然が人間に示してくれた道、ここをお登りなさい、さあ、全身でぶつかっておいでなさい、と呼びかける岩の誘惑だ。

 

 呼びかけておいて拒絶することもたまにはあるけど、心を吸い込むその割れ目の奥には神秘のムーブが隠れている。岩の表面の小さな凹凸に手先足先だけで触っているのとはわけが違う。だいたい、サルにフェースを登らせたら、もしかしたら人間よりも上手いかもしれないが、ワイドでは人間にかなうまい。ワイドは、神も想定していなかった人間の知恵と、恒星よりも熱い情熱を全身でぶつけ、解き明かす人間が入ってくるのを待っているのだ。

 

 さらに、ムーブだ何だとスポーツみたいなことを言わずとも、ワイドを登れば、岩の内部に入って反対側に抜けることに驚き、抜け出ながら、自分が産まれたときにこの世に泣きながら出てきたことを考え、沢のゴルジュにも通じる様々な形状や結晶に出会って、それが産まれた太古に思いをはせ、岩の内面世界と、外側の露出感のある山の空間を同時に感じたりして、好奇心と探美心が揺さぶられてめまいがするほどだ。ワイドに漂うこの文化と知性の香りはどうだろう。

 

 ワイドへの挑戦、それは刺激、それは創造。ワイドとの一体化、それはやすらぎ。それは美。それはまさに、人間が人間である証拠なのだ。人生なのだ。

 

 そう、人生。

 

 いつか私の命が終わる日が近づき、最後にどこか行きたいところがあるか、と問われたら、不動沢と答えるだろう。

その時、もう歩くことすらかなわなくても、林道の終点から木々の間に垣間見える前絵星岩を見上げ、沢の音を聞きたい。そしてワイドクラックたちに思いを馳せたいものだ。

 きっと胸熱く、喜びに満ちるだろう。