タイトルを見て「おや?」と思った方、あなたは鋭い。
 そう、これはセンチュリークラックではない。センチュリー君の話だ。それは、センチュリークラックを登るために作られた、通常では理解不能な工作物の名だ。

 念のため、センチュリークラックについて説明しよう。
 それは、米国ユタ州にある、凄まじいルーフクラックだ。砂岩の洞窟の天井が、24mにわたって平らに延びており、その真ん中がパックリ割れている。完全に水平なルーフクラックだ。さらに出口に向かって、傾斜が申し訳程度に緩くなった部分が8mある。
 それだけなら、ふーん長いルーフクラックだね、となるだろう。
 凄いのは、その割れ幅のほとんどが12センチ程度だということだ。もちろんフィストはほぼ効かないし、かといって胴体を入れることもできない。ひたすらオフィズスなのだ。
 32mのルーフオフィズス。それがまるで、モーゼの前で海が割れたかのように岩の天井に示されている。ここを登れ、と。お前のために用意した道だぞ、と。


センチュリークラック


 初登時のビデオを見ると、その遥かな道のりを、ずっとワイドムーブで登っている。いや、登っているというよりも、ほとんど天井を横に這っているだけなのだが。あまりにも壮大な、もう叙事詩オデッセイア級と言っていいだろう。
 何度写真を見返したか。素晴らしすぎる。世界自然遺産に入っても不思議ではない。いや、人類の到達点としての文化遺産かな。
 が、私にとっては高嶺の花だ。我が家では、親父だけが時間をとって、このような難ルートにトライすることは考えられないので、私には写真を鑑賞するだけの対象だ。

 だが、これに実際にトライしようとしている人間もいる。まず、北平友哉だ。
 また解説で申し訳ないが、北平友哉は複数の5.13を含む様々な高難度ワイドを登っており、「セカキタ」というあだ名があるほどのクライマーだ。多分、世界の北平という意味だろう。
 しかしセカキタにとっても、簡単な課題ではない。かといって、30m以上あるワイドルーフのトレーニングができる場所などない。そこで彼は材木でルーフワイドを作った。それが「センチュリー君」だ。



 センチュリー君は、高さ1.5mほどの、大きなハードルのような形をしていて、ハードル部分が幅12センチほどのルーフクラックになっている。彼は時間ができると、このクラックにぶら下がって、2m弱の長さをひたすら行ったり来たりしているというのだ。
 ここまで聞けば、誰もが思うだろう。遊びに行きたい。私も思った。手足を挟んで、どうやって効かせるかを語り合い、新しい技を身に付ける、最高の時間だ。
 この時はまだ北平氏とお友達ではなかったが、いつか仲良くなって遊びに行きたいと思った。こんな代物を我が家で作るのは、おそらく許されないからである。ちなみに私もワイド練習機の設計図だけは作ってある。

 その夢が、思わぬ形でかなうことになった。

 ある日、佐藤裕介が家をリフォームしているので、妻の提案で手伝いに行くことになった。
 不要かとは思うが一応また解説しておこう。佐藤裕介は日本を代表する登山家で、超高所以外のジャンルは全て最高のレベルでこなす。高難度の沢、ヒマラヤのミックスルート初登、黒部横断、フリーをやればトラッドもスポートも5.14。しかも笑顔は爽やか。奥さんはちょっと大変。ちなみに、超高所に興味が無いのは、彼の目指す未到の難しいミックス壁がないからだ。
 だが、ここで言っておくが、彼は実は変態だ。ワイドクラックに体をねじ込んでズルズルヒィヒィ言うのが好きなのだ。こんな風に書いても、彼が気を悪くすることはないだろう。何しろ、それは素晴らしいことだからだ。
 話を戻そう。彼の家にリフォームの手伝いに行ったんだった。到着した時、彼は庭先に作られた山道具小屋の内装を作っていたのだが、開口一番、何の解説もなく言った。
「センチュリー君を作ったんですよ!」
その一言で私が理解することを、彼は知っていた。
 そして、彼はなによりも先に、小屋に併設されたワイドクラック練習装置に案内してくれた。
 小屋の軒下には、3.6mほどのルーフワイドが作られていた。それだけでも驚きだが、今後は小屋からはみ出させ、さらに2m近く、敷地の限界まで、傾斜150度ほどの部分を再現したいというのだ。



 ところで、今回の訪問の本来の目的はリフォーム作業だったのだが、その話などする前に、彼は熱く語ってくれた。
 秋に北平氏とセンチュリークラックに行くためのトレーニングであること、北平氏がクライミングビデオを何度も見て正確な幅を割り出し、再現していること、実際のクライミングではルーフ部分の通過時間は15分程度と見込まれるので、このセンチュリー君を30分往復し続ける力があれば余力を持ってルーフの抜け口に挑めること・・・
 私の頭はぐるぐるしだした。ぶら下がりたい。これに。すぐにでも。
 だが、自分は小市民。他にも工事を手伝っている人たちが2、3人おり、その中で自分だけが遊んでいるわけにはいかない。私は平静をよそおって作業についてたずね、家財道具を組み立てたり、壁に断熱材を固定する作業にとりかかった。


幅などが正確に再現されているらしい。キャメ4サイズ。


 しかし、どうにも我慢しきれない。資材や工具を出し入れする間に、こっそり両手をセンチュリー君に差し込んでみるのだった。チラチラと周りを見ては、ちょっとぶら下がる。何度か繰り返すうちに大胆になり、ぶら下がった状態から、運動靴のまま、足も上げてみた。
 残念ながら、足は入らなかった。私は足がでかいから、仕方ないな・・・、と下半身を降ろすと、そこには佐藤裕介が立っていた。
 サボっていたのを見られた!とうろたえる小市民の私に、彼は言った。
「クライミングシューズでないと、入りませんよ。」
「え?あぁ、じゃ、じゃあ後で持ってこようかな・・・」
気弱に応える私に、彼は畳みかける。
「チョークを付けなきゃ。テーピングもしたほうがいいですよ。」
周りでは、まだみんな作業していた。
佐藤裕介は今まで十分に作業していたのだからいいのだろうが、私は2.3時間ほど前に来たばかりだ。
「じゃあ、とりあえずシューズ持ってこようかな。後でちょっとやらせてね。」
とりあえず靴だけでも、と車からクライミングシューズをとってくると、そこにはすでにシューズの靴紐を締めている佐藤裕介がいた。彼は語りだした。
「オレ、センチュリークラックはジャミンググローブして登ろうと思うんです。そのことで何のかんの言う奴はいるかもしれない。でも、今まで登った奴はみんなテーピング増し増しで登っているんです。違いはないはずだ。」
いや、別にそれ批判とかしないから・・・と思っていると、彼は新品のジャミンググローブのパッケージをバリバリと開け、両手に着けた。本気だ。そして、センチュリー君に両手を突っ込むとハンドフィストスタックを決め、軽々と下半身を振り上げた。
 私は、ためらっていたのを忘れ、見入った。ハンドフィストスタックを完全に決めているのは当然として、足が片方ずつクラックに吸い込まれ、彼はガニ股でセンチュリー君にぶら下がった。
 私には分かった。彼は今、足だけで完璧にスタックしている。その証拠に、彼が両手を解除してもずり落ちることなく、別の場所に安定してジャミングを決め、横に進み始めた。手と足を交互に動かして、天井を進む。その先には、本物のクラックにはない補強の横棒が立ちはだかっていたが、彼は、足を一旦抜いて大きく進め、その核心を超えた。見事だった。私の目には、床上20センチに浮く彼の向こうに、本物のセンチュリークラックが見えた。
 降りてきた彼は、息を弾ませながら私に笑いかけた。
「どうぞ。ボルダ―マットも使ってください!」
やるしかない。私はクライミングシューズに履き替え、天井に両手を差し込んだ。
 私の手は彼よりも若干大きく、ハンドフィストが決まりにくいことはすでに確認していた。ここは、バタフライジャムだ。背中合わせにした両掌に圧力を加え、ジャムさせて下半身を持ち上げる。ここまでは予定の範囲内だ。だが、果たして足は入るのか。
 とりあえず、左足よりは少し小さい右足をクラックに押し込んでみた。何と、右足は、ザザザと、小気味良い摩擦を感じながら入っていった。歓迎されている、と感じた。左足も同様。両足が入ると、足首と股のバネで気持ちよくスタックしているのが感じられた。
「よく来た。」
そう語りかけられている気がした。
 さて、快適に進ませてもらおうか。しかし、次第に手が滑り始めてきた。実は、クラックの中にはツルツルタイプのガムテープが貼り付けてあるのだ。さっきまではチョコチョコとしか触っていなかったのでわからなかったが、今回は長時間接触できているため、次第に汗が影響してきた。何の罰だ、このテープは!全力でバタフライジャムを決めなおし、横に進む。しかし、ジャミングは体重をかけると、ゆっくりと下にズレてゆく。必死で力を入れるが、2、3手進むとわずかな汗で滑りだしてしまう。チョークを使わなかったから?いや、それは言い訳だ。チョーク程度ではフォローできない滑りだ。私は頭から落ちないうちに、足を引き抜き大人しく着地した。


ツルツルしたガムテープが貼ってある


 佐藤裕介にガムテープの訳を聞くと、木材むき出しよりもこのほうが摩擦があるのだという。そんなわけ、ないだろう、と思ったが、彼の真剣な目に気おされてしまった。
 とりあえずその日は、残りの作業をやって大人しく帰った。だが、センチュリー君のことは頭から離れなかった。本物の岩と同じくらい忘れ難い、素晴らしい課題だ。佐藤くん、ありがとう。
 その佐藤裕介は確実にジャミングを決め、核心を悠々と超えていた。自分には、できなかった。それが事実だ。
 やるか。もう一度。
 2週間ほどして、引っ越し祝いを持ってもう一度訪ねた。佐藤裕介は海外の沢に行っていたが、奥さんのでんちゃんは、「どうぞどうぞ、いくらでもやっていって。」と快く迎えてくれた。
 だが、あくまで表向きはお手伝いだ。佐藤裕介のお父さんの指導の下、小屋の床を貼ったりと十分に作業をし、自分を納得させた。小市民の私には、この作業が必要なのだ。
 作業が終わって静かになった床で、私はテーピングを巻いた。集中が高まるのを感じる。留守の間に他人のクラックを勝手に汚すわけにはいかないので、今回もチョークは使わない。

 


 靴紐を締め、両手をセンチュリー君に差し込む。両手の甲を合わせハンドジャムを決めると、十分な圧力を感じた。スッと周囲の建材や家財道具が消える。今、私はルーフクラックに向き合っている。
 下半身が上がり、両足が心地よくクラックに入る。ツルツルの割れ目なのに、足はしっかりとしたスタンスに立っているかのように固定された。
 手を解除し、進める。次に足を解除し、進める。いよいよ補強の横棒を超えるのだ。テーピングのおかげでしっかりと保持できている。大きく足を進めて私は横棒を超えた。
 まぐれではなかった。次にやっても横棒は超えられた。材木の隙間に、私の体がピッタリとフィットするのは、思惑どおりでもあり、神秘でもあり、どちらにしても喜びに満ちていた。




 後日、私は北平氏の居室を訪ねて、元祖センチュリー君を見た。元祖センチュリー君は、幅が2mもないハードル型で、「君」という可愛らしい呼び方にふさわしい。しかし北平氏は、このセンチュリー君に何度も、何度も、毎日ぶら下がっている。そして、その日に何時間ぶら下がったのかの記録を、センチュリー君に書き込んでいた。表面はその書き込みで半ば埋め尽くされ、さながら耳なし芳一といったところだ。表面が完全に文字で覆われたとき、そこには魔物に打ち勝つ力が宿るのだろう。私も佐藤家のセンチュリー君で、少しは力を付けられたろうか。

 佐藤家のセンチュリー君も、材木で軒下に作った練習器だ。ワイドクラックを知らなければ単なる物干しにしか見えない(実際、佐藤家の洗濯物がかけてあった)。しかし、これを登ることに私は人間の知恵の素晴らしさを感じる。幅12センチの、一見保持不可能な隙間に、両手両足をスタックさせて動き回ることができるのだ。
 何の動力も、機械も使っていない。肉体と知恵だけでこれをやっている。人類が資源にあまり頼らずに生きてゆくヒントにもなるかもしれない。この隙間を通して人間の知恵の可能性が見えるのだ。
 ワイドクラッククライミングは、人類の動作の歴史の輝かしい到達点の一つと言っていいだろう。材木で手作りされたセンチュリー君は、そのことを我々に教えてくれるのだ。