※注 

1.本稿は不動沢を訪れるクライマーがほとんどいなかった時代に書かれています。

2.画龍点睛のムーブが書かれています。文中に予告がありますので、オンサイトを目指す方はご注意ください。

 

 

画竜点睛全景

画竜点睛 左下のルーフクラックから上部中央のクラックへ抜ける。

 

 2005年5月28日、不動沢で新しいラインを登った。

 不動沢、深い森に閉ざされたワイルドなクラックのエリア、という私のイメージは、その日あっけなく覆された。久しぶりに訪れたその岩、ルーフを抜けるラインを示すボルトが、そこにはあった。聖地を乱す行為とも受け取られかねないボルト。その課題は、このエリアに最も古くから関わっている者の一人、南裏健康氏によって見出されたものだった。

 このルート、革新的なことは間違いないが、果たしてゴールドたり得るのか。これを登って得た私の答えを記したい。

 

 不動沢から瑞牆山頂へと向かう登山道を辿り、最初に出会う岩が屏風岩とエンペラータワーである。高さ50メートルの薄かぶりの一枚岩に目を奪われるが、この岩を回り込んだところに、また驚かされる大きなルーフがある。

 岩を四角く三段に切り取ったルーフは、概ね一辺10m以上で、不動で雨に遭ったとき、いつも絶好の避難場所となっている。

最下段には見事なルーフクラックがあり、「岩小屋ルーフ(5.10d)」として古くから登られている。何と第一回ジャパンカップのボルダリング競技の課題だったというが、クラックだし、ロープは使用していたしで、隔世の感がある。

 ちなみに、ルート競技のほうは、5.11bのフェースルートで、屏風岩正面に現在も残っている。RCCボルトは打ち換えられたようだが。(※現在は延長され、「百獣の王」と呼ばれている。)

 

 昔話はともかく、「岩小屋ルーフ」は珍しい180度の完全なルーフクラックで、現在でも人気があるが、最下段のルーフを乗り越した少し上でクラックが閉じ、終了点のボルトにクリップとなるため、三段の大きなルーフ全体では、相当下のほうで終了している。(現在の、画龍点睛の一本目のボルトがそれである。)

 クラックが閉じたポイントより上は、圧倒的なルーフが段になって覆いかぶさっている。岩の表面は花崗岩の典型で、満足な凹凸が無い。不動沢に通い始めてしばらくは、クライミングの対象として見た事すら無く、単なる雨宿り用の洞窟だった。クライミングと関係あるにしても、未来人か宇宙人の課題、そんな認識だったかもしれない。

 

 ある年から、中段にボルトが打たれ、ルーフと壁のコンタクトラインを左右に抜けるラインが示されていることに気づいた。信じられなかった。このルーフをクライミングの対象として捉える人間がいるとは。ボルトの設置自体、どのように行ったのか考えあぐねるほどである。

 しかし、依然として自分の挑戦するものとは思えず、宇宙人の残した謎の課題程度に考えていた。そう、ナスカの地上絵みたいなものだ。そんなところに、「関東周辺の岩場」いわゆる「ガメラ本」が出版された。

 メジャーな本にもかかわらず、何を間違えたか当時無名だった不動沢が紹介されており(実際図が間違っている)、ルーフを抜ける2本のうち、左のラインが「アルカイックスマイル(5.12c)」として紹介され、右はプロジェクトとなっていた。噂では、南裏健康氏のものとのことだった。

 

 アルカイックスマイルをトライしてみると、明らかに弱点をついてルーフの外に飛び出す自然なラインにも関わらず、見た目を裏切る悪さで最後まで刺激的だった。(後に、杉野保がオンサイト) トライ中に土砂降りとなったが、全く気づかず、終了点に飛び出し、雨に驚いて完登を実感した。

 ちらりと、右のラインのラインも見てみた。

 負けた、と思った。それはアルカイックスマイルよりもはるかに長くルーフ下を右に辿り、しかも、遠くから見る限りはっきりとしたスタンスが無い。抜け口のクラックも極度にかぶっている。巨大なルーフを解決する、攻撃的かつ合理的な、間違いなく最も美しいラインではあるが、自分が取り付けるような代物ではない。宇宙人が南裏健康になろうが、同じようなものだった(実際そうでしょ?)。

 

 それから3年後、2004年、生後半年の娘を連れて屏風岩に行った。例の洞窟は下地が平らで、落石の危険もなく、小さい子供を連れてゆくのには、おむつ替えなど安心してできる(当時の不動沢では他のクライマーに会うことは滅多になく、ほぼ独占状態だった。)のだが、その時、松本CMCの馬目さん(やはり宇宙人)がこの課題をトライしているのを見た。南裏さんは瑞牆のさらに奥にある課題にとりかかっており、このプロジェクトは開放となったとのことであった。

 夜、子供を寝かせると、焚き火を囲んで、馬目さんにルートのことを聞いた。手ぶらでは申し訳ないので、森で採ったキノコを料理して差し出した。私が毒見をしたうえで、とはいえ、名前もわからないキノコで、あまり食は進まないようだったが、フレンドリーに話をしてくれた。

 感触は、かなり厳しいとのことであったが、トライ中のルートのことを楽しそうに話す馬目さんを見て、自分も少し触ってみようかとはじめて思った。

 

※現在では焚火は勧められません。

 

 翌日、ルートを見上げた。登る気で見れば、見えてくる。それとも3年の間に少しは目が肥えたか。そのラインは、ルーフの最奥から始まり、段の間のわずかな隙間やルーフ奥の凹角、天井から下がったフレークなど、わずかな可能性をつないで、見事にルーフの外に飛び出しており、まさに登るべきラインであった。

 ボルトとクラックを目で追い、ルーフから飛び出て岩の上に立つことを想像しただけで、完登したような爽快感が私を突き抜けた。

 クライミングは、こうありたい。それを示す見事なラインだった。過去の自分の観察の鈍さを嘆くと同時に、このラインを課題として見出した南裏氏に驚嘆した。

 

 よいことが重なり、しばらくして宇宙人(よく言えば天上の人)南裏さんと話す機会を得、トライのお許しを直接いただくことができたが、仕事が忙しくなり、シーズンは終わってしまった。

 

 

 冬の間は城が崎のマニアック扱いのクラック(どれも素晴らしい)に家族で通って文字通りはまり(子供ははまっていません)、春になって、しばらくは普通のボルトエリアに行こうね、等と妻と話していたにも関わらず、ゴールデンウィークに西日本の岩場を巡ったツアーの最後につい不動沢に寄ってしまった。

 我ながら予想はしていたが、やっぱり不動沢が一番いいエリアだね、と妻と同意してしまい、気になっていたあのラインに挑戦せざるを得ない流れとなった。

 久々に見上げるあのライン。相変わらず美しい。このルーフにこれ以上のラインは考えられないだろう。この大きな洞窟の最奥を左右にくねりながら最も長いラインで貫いて外に飛び出している。これは龍だ。この岩に龍を見出した南裏健康、その眼力、恐るべし。

 何回トライすることになるだろう。妻よ、許してくれ。子(1歳5ヶ月)よ、おとなしく寝ていてくれ。

私のトライに先立ち、妻がオリジナルの岩小屋ルーフ(ルーフクラック部分)をレッドポイントする。2年前にも一度登り、出産をはさんだが、以前よりもはるかに巧くなっている。足も軽く振り上げ、手を確実に差し込みと、以前が足ブラになりながら力と根性で登るロッキーなら、今はモハメド=アリである。

 負けてはいられない。私も気合十分で取り付いた。

 

 さて、ここからはムーブの解説も入るので、オンサイト狙いの人は読み飛ばそう。オンサイトできなくても、自分でムーブを見つける楽しみも大切にしたい。でも読んでくれたら嬉しいけど。

 

gear1

画龍点睛に使用したギア。このほか、延長のためのスリングと、ボルト用のヌンチャクも使用している。

 

 まずは、岩小屋ルーフに取り付く。ハンドジャムがガッチリ決まる180度のルーフクラック。こんなに爽快なルートはそうあるものじゃない。  

ルーフの出口では両手を離してゆっくり休める。ルーフ下のプロテクションは、後々ロープが重くなるので、ここで外してしまう。

 最下段のルーフを抜け、我慢のシンハンドをこらえて2段目のルーフに突き当たると、クラックは閉じる。「岩小屋ルーフ」ルートはここで終わりだ。

 クラックの最後は広がっており、ハンドで少し休むと、フェースに突入だ。2段目の下、ルーフとフェースの接合部を気持よいカチで進む。接合部には何とかナチュプロを置けそうな場所があるが、効きには期待できないので、本気でフォールする私は既存のボルトを活用させていただく。

 左足を高く上げてルーフのスタンスを使用するため、柔軟性が無いと、厳しいボルダームーブが予想される。

 どん詰まりでレストしてから、2段目を越える。狭いムーブの次が遠いホールドとなり、どんな身長の人にも平等だ。傾斜は垂直程度で、大きな凹凸があるが、油断した手がスローパー気味のホールドに戒められる。

 

どん詰まりでのレスト。右上のクラックが遠くに感じられる。

 

 残るは最上段。ここでルートは左右に分かれ、左に抜ければアルカイックスマイルだ。これから進む右を見ると、うんざりするくらい長い。進むのは垂壁とルーフの接点で、完全なルーフクライミングではないが、6メートルくらいあるだろうか。ずっと頭をルーフで押さえられている。これからしばらくこの下を進まなければならない。

 しばらくは、アンダーガバを拾って足をスメアリングさせ、難なく進むが、突如ホールドが消えた。1メートル先には再びアンダーフレークやカチが見えているのに、その間、まともなホールドはないのである。スタンスはと見ると、これこそ何も無い。わずかな膨らみは、ポロポロと崩れていった。表面を崩しながら、持てるはずのないホールドを試しているうち、力尽きてテンション。

 ぶら下がって観察すると、足元には顕著ではないがダイクが走っている。ここをスラブと考えれば、十分な膨らみだが、垂直ちょいかぶりだと、私の限界に近い立ちこみである。

 足を右側遠くの高いカチに飛ばし、つま先で引き寄せてアンダーを取る。ほとんど手に足の逆だ。これでホールドは得られた。だが、足を下のダイクに下ろす時、体が剥がされてしまう。
 数度試み、一度成功し、抜け口のクラックにつながった。
 決して簡単なムーブではないが、一回目で解決するとは。レストポイントは多いし、もしかして2撃できるか?と考えたが、2回目は全くできない。何の望みも残さず引き剥がされてしまう。救いは核心の上にしっかりとカムがセットでき、安心して落ちられることくらいだ。

 妻が言ったが、体を下げるムーブのため、一度目はロープに多少のテンションがかかって成功したのだろう。甘すぎた。ロープに助けられていたのに気づきもしないとは!疲れきってゴールデンウィークは終わった。

 

 次に行った時も妻にビレイしてもらい、トライする。極小ホールドを使って何とかこなせるが、私には確信を持ってできる動作ではなく、なかなか成功率が上がらない。何度もやっていると、指紋はすり減り、ホールドの脆い表面がはがれたのは良いが、黒くぬめってきた。

 もう少し小柄なクライマーなら、あの狭い体勢、剥がされるムーブ、小さなホールド、いずれも有利だろうと、自分の体格に負け犬の責任転嫁をしたくなってきた。私に合ったムーブを探さなければ。

 夜、焚き火を見つめながら、今までの不動沢生活を振り返ってみた。ワイドクラックやスラブ、様々な技術を不動沢は与えてくれた。手足だけではなく、全身で登る充実感を教えてくれたものだ。そう考えていると、あるムーブを考え付いた。このムーブで、どうか、あの岩小屋に止めをさすような素晴らしいラインを登らせてくれないだろうか。

 

 翌日、核心部手前で後頭部をルーフに押し当ててみた。ワイドクラックでは、背中を押し当てて登るのが普通であるから、今まで試さなかった自分が不思議なくらいだ。

 何と、極小ホールドが保持できるではないか。しかもジワジワと持ち替えまでできる!ブランクセクションの先にある、カチに手が届いた。

全く、今までなぜ私は試さなかったのか。いや、単に私のムーブの蓄積が足りなかっただけなのだろう。それにしても、これは人には教えたくないな!

 

 翌週、8回目のトライ。すでに自動化した下部を登り、核心に入った。後頭部を岩に押し当て、ブランクセクションの向こうのカチがよどみなく取れた。次は足元だ。はじめは何も無い壁面に見えていたが、私の目は、今やはっきりと足元のダイクを認識している。

無事にダイクに立ちこみ、次のホールドを取った。これで終わる、と思ったとき、指の下で小さな結晶が欠けた。少し持ち直そうとしたその弾みで、左足が外れた。背中に電流が走った。左足が引き剥がされてゆく。駄目かと思った時、振れが止まった。ホールドの持ち直しが成功していたため、振れに耐えられたのだ。あきらめかける心を無視し闘い続けた体に感謝した。私にもいつの間にかクライマーの本能とでも言うべきものが宿っていたのだろうか。

 このチャンス、絶対に生かす。今度は心が体に応える番だ。手がクラックを捉え、エイリアンを一つかませると、後は一気に登ることにした。グラウンドフォールする高度ではない。これ以上のカムは、本気でレッドポイントするつもりなら不要だ。

 フィスト、ハンド、シンハンド、と手を送り、一気に最後のガバを捉えた。慎重に終了点にクリップすると、歓声が喉の奥で沸騰をはじめる。だが、ここは不動沢。このラインを完成させるには、ぶら下がった終了点に下からクリップするだけでは不十分だ。足だけで立てる場所まで登る、それが本当のフリークライミングであり、ルーフを抜けたことになる。終了点の木をつかみ、一面が分厚いコケと潅木に覆われた岩の上に立った。これで、このラインは本当に完成だ。

 

 

 

 さて、査定である。少なくとも5.12dはあるだろう。もしかしたら5.13か?とも思うが、レストポイントが非常によいし、何回もトライして何だかよくわからなくなってしまった。続登者の意見を待ちたい(いれば)。
 いずれにせよ、大きなルーフの中心から、自然かつ攻撃的な長いラインで貫く素晴らしい形状、優れた設定を登る機会をいただき、グレードに替えられない満足を得られた。

 このラインを形作った自然と、ラインを見出した南裏氏は、そろいの芸術家と言えよう。それを最後に完成させる栄誉をいただいたことから、このラインを「画龍点睛」と名づける。

 名人の描いた龍の壁画に、最後に瞳を描き加えたところ、生命を得て飛び出したという故事にちなんだものである。わが娘の目には、このルーフはどのように映っているのだろうか。自然の造形の偉大さを生かしつつ人間が情熱を彫り込んだクライミングの芸術が、心を成長させてくれていることを期待してしまう。

 

 私が完登した日、妻は不動沢ならではのクラシック、「梅雨のため息」1ピッチ目を、3時間の奮闘の末、登った。力を出し切ったこの日、河原の焚き火でパンを焼き、祝った。これもまた、不動沢らしい自然を感じられる素晴らしいラインであった。

 

 瑞牆山には、まだまだ多くの龍がいることだろう。この山では、何も生じない壁面へ強引に稚拙な絵を掘り込むよりも、岩に潜む本物を探し歩きたい。多くの龍を見たものに備わると言われる眼力を磨きながら。


 

 その後、7月18日にあの杉野保氏に登っていただきました。やった~!私の登ったルートが再登されるのは珍しいことなのです。
「5.13aでしょ」
とのお言葉。どひゃー、嬉しい。我ながらミーハーです。まあ、私のトライ回数(8回)から言っても5.13aで妥当かな?僕もそれくらいのグレードじゃないかと思っていたんですよ、実は。

 

※現在、不動沢は当時とは比較にならない人気エリアとなり、本ルートも多くのクライマーに再登されるようになった。ほどなく、よいムーブが見つかり、もろい粒子は落ちた。

 ここから先はさらにムーブを書いてしまうが、ルーフトラバースではルーフと垂壁の間のクラックに左足(後足)を残しておけば、剥がされることなく体を下して小さなフットホールドに足を持って行けたのである。人工壁に通いなれた今なら当たり前のムーブだ。なぜ思いつかなかったのか、悔やまれる。

 私のこの記事を読んで、頭を天井に押し付けるためにわざわざニット帽を被ってトライした人もいたのだ。ごめんなさい!

 現在は5.12dとされている。