吉村の"和"み ~吉村和人のブログ~ -3ページ目

習いごと

季節が秋らしさをまとい始めると同時に、それまでは不思議と聞こえてこなかった吹奏楽部の練習音が近くの学校から聞こえてくる。

 

どう見えているかは知らないが

こう見えて私はエレクトーンを習っていた。

 

私が小学生の頃といえば、世間は空前の習い事ブーム。

クラスメイトの1人に至っては週7で習い事。

それを聞いた瞬間その子と遊ぶのを諦めることは余儀なくされた。

 

個人の習い事の他に私たち田舎の少年少女の大半が身をおいていたのが

 

スポーツ少年少女団、略してスポ小だ。

私の学校では男子は野球、女子はバレーボールであったのだけれど

今では母校も双方に男女が入り混じっているそう。

時代の流れを感じる。

 

当の私はというと、野球のやの字も出てこない家で生まれ育ったせいか

自然とクラスの少数派となっていた。

今プロ野球チームでMCをしていることを吉村少年は知る由もない。

 

スポ小、塾、ピアノ、習字、スイミング、そろばん

 

毎日のように放課後遊んでいた友達が、学年を増すごとにひとりまたひとりと

捕まらなくなっていく。

 

すっかり吉村少年は公園のヌシと化していた。

 

同級生は捕まらずとも近所の子供達がわらわらと集まってくる。

公園で遊んでいれば楽しい。楽しいのだが、その一方でいつも埋まらない何かを探している。

 

向かいのホーム、路地裏の窓、こんなとこにいるはずもないのに。

 

 

 

”なんでもいいから習い事がしたい”

 

母親にそんな思いを吐露したのは、校内マラソン大会でもとうとうスポ小に所属する同級生に一等賞の座を明け渡すことになった頃。

本当はサッカー教室に通いたかったが贅沢は言ってられない。

 

家にとてもとても古い型のエレクトーンがあったこと

姉が習っていたピアノの先生がエレクトーンも教えていたこと

 

この二つが見事に実を結び、晴れて私はエレクトーンを習うこととなった。

言うなれば、なし崩し的にエレクトーンを習うこととなったのだ。

 

教える側の先生のことを考えると申し訳ない限りではあるけれど

先生の苦悩としてはこれはあくまでも序章に過ぎなかった。

 

先生はコテコテの関西弁でよう喋る、”おばさん”につま先だけ侵入したキレイなお姉さんだった。

 

レッスン内容は主にエレクトーンの実技と筆記のワークショップ。

 

通常であればとにかく弾きたいと思う子供が大半だと思うが、ひねくれものの私はというととにかくこのワークショップを好んだ。

 

鍵盤に体を向けて横から後ろから指導されることよりも

音楽ドリルを進めながら先生と面と向かって”おもろい話”をするのがとても大好きだった。あとは単純に集中力がなかった。

 

当然普段から練習などするタイプではなかった私はレッスンが始まる15分ほど前に課題曲を一通りなぞる。当時始まって間もなかった名探偵コナンを横目に。

 

そして教室に到着したら決まってこう言うのだ。

 

”先生!今日もワークやろう!”

 

 

 

そんなこんなで人生初、週1回の”お稽古”は3年という月日を重ねる。

 

吉村少年は青年への階段を登りはじめていた。

 

鍵盤に向かう姿勢、楽譜を見つめる横顔にも

心なしか大人の兆しが見えはじめてきたように思う。

 

彼が真剣な眼差しで取り掛かっている曲目は誰もがよく聴く名曲中の名曲。

 

この曲を自分の中に落とし込むのだ、その思いは先生の指導にもあらわれる。

 

相変わらずの関西弁で厳しい激が飛ぶ。

 

楽譜のタイトルは

 

『ふるさと』

 

 

まるで成長していない。

 

 

 

 

坂道を転がるボールのように、そのまま自然と辞めてしまったエレクトーンは、その3年間でこれっぽっちも実を結ばなかったように思えるが

先生がコテコテの関西弁で話す、私が大好きだった起承転結のある小話。

そして先生になんとかうまく伝えようと、学校であった出来事を話した時間。

 

それは今、”喋る仕事”という花を咲かせました。

 

 

小学校のその日を最後に先生とはお会いしていないが

それでも毎年欠かさず年明けには年賀状が届く。

 

”美人より”

を末尾に付けて。

はならぁと2018

風に乗った金木犀の香りがどこにいても感じられる季節となりました。

 

最盛期、台風を持ちこたえられるかな。

 

春と対をなす季節。

 

サクラと対をなす存在、キンモクセイ。

 

散り際の儚さまで似なくていいのに。

 

さて、久々の写真ブログ。

 

そして、久々のアート散歩。

 

去年行けなかったなぁ、と思っていたらなんと3年ぶりだったのでした。

 

はならぁと2018 八木札の辻エリア

 

に行ってきました。

 

 

アルバイトをしていたことや、友達の家が近くにあること。

 

もうほとんど庭に近いこの町をアート巡りできる喜びはひとしおで

 

今年もまずは畝傍駅。

 

Chizuru Kishimoto / ねぇ、あのドアの向こう側には何があるの?

 

扉を開ける高揚感と開いてからの吸い込まれ方は添えられた言葉と共に噛みしめる。

 

SKNYYYKTKKSS12+Ms&Mr Shu / 駄菓子屋散歩

 

元駄菓子屋が装い新たに再オープン。

 

 

中には駄菓子はもちろん

 

 

アートイベントならではのくじびきが。

 

 

たくさんの番号から出てきた数字は28。

 

 

コニシマキコさんのピアスが当たりました。

 

楽しい。

 

そして入り口には子どもたちが製作途中の作品が

 

 

この卵ひとつひとつに”世界”があるそうな。

 

 

同じく子どもたちの力を借りた作品がはならぁと常連作家さんの

やまきみなこ ✕ ふくいまさお / またね

 

地元橿原の晩成小学校と幼稚園の子ども達の言葉が不思議な繋がりを見せます。

 

 

昔は子供が作り出す、いびつで不確かなもの=作品

 

みたいな捉え方がとても苦手だったのだけれど

 

こうした地域のアートイベントに赴く度に随分考え方は変わりました。

 

子ども達の足跡や息遣いが聞こえるということは、その町や村は生きている証。その土地の鼓動なんですね。わらべうた。

 

 

お気に入りのカメラが動かなくなってしまってからというもの

ブログにも写真を掲載する機会がうんと減り

 

クセが強いんじゃ、なことばかり書き綴っておりましたが

 

借り物の一眼カメラを振り回しての闊歩。

 

設定変更などで戸惑い、下手くそな技術に戸惑い。

 

でもやはり写真は楽しいと再確認するのです。

 

 

クセじゃ

 

な日記も書きますが

 

写真もまた載せます。

 

 

かしこ。

 

男のクセに使ってみたかった。

NTN

基本的にすん、としていると捉えられがちだけれど心配性でして。

仕事中のタイムキープは得意な方だが日常生活のタイムキープは苦手だ。

目的地にはだいたい早めに着いてしまうし、絶対間に合うとはわかっていても目の前で踏切が叫び出したら走り出す。

沖縄タイムなる時間感覚が羨ましいと思うことが30年に一回くらいはある。

そんな心配性の私は今日も駅に向かって小走りに駆けていた。
しかも今日に至っては、やや時間がギリギリである。

前方には堂々と歩く女性がひとり。

急ぐ様子もない。

一歩一歩、大地を踏みしめるかのように。

惑わされてはいけない、こちとらギリギリなのだ。

当然追い抜く。

改札が見えてきた頃、待ってましたとばかりに踏切のチェッカーフラッグ。

ほらジャストタイミング。

ホームからふと後方を振り返ると

堂々と歩く女性がひとり。

急ぐ様子もない。

一歩一歩、大地を踏みしめるかのように。

ホームに滑り込む電車。

踏みしめる女性。

開くトビラ。

降りる人はほとんどいない。

乗り込むわたし。

堂々と歩く女性。

急ぐ様子もない。

一歩一歩、大地踏みしめるかのようなそのままの速度で

乗り込む女性。

閉まるトビラ。

開くわたしの口。

閉まらないわたしの口。

なんて、なめらか。