吉村の"和"み ~吉村和人のブログ~ -2ページ目

新年のご挨拶

毎度遅ればせながら、明けましておめでとうございます。

 

旧年は色々なことがありましたが、新年新たな気持ちと面持ちで勢い猛々しく翔けていければと思っております。

 

 

世間よりもひと足早めに仕事を納め、準備万端で迎えるはずだった2019年。

 

準備を整えるのが早すぎたのが運の尽きか。

いつもバタバタと年越しを迎えるタイプが慣れぬことをするなとばかりにほころびが見えはじめたのがまさに年越しのその間際。

 

体調不良とともに迎えた新年。

 

こうなったら毎年恒例の初詣も初売りも、ここはグッとこらえて飲み正月。

と、テレビのお供に買い込んだお酒とおつまみ。

 

しかし、どうもおかしいは喉に感じる異物感。

 

なんじゃらほいと鏡を見るもその正体はわからず。

 

どうしたものかしらとぼんやり眺めていると、ふと気づく。

 

あれ?”のどちんこ長くない?”

 

普段気にも留めぬ部位のマイナーチェンジに私の脳もアハ体験でした。

 

調べてみるに扁桃腺が腫れることが原因でのどちんこが下がることがあるそうな。

これまで風邪を引くといえばもっぱら鼻風邪か喉風邪で

扁桃腺が腫れるということが初体験の私はのどちんこという部位を少々なめておりました。

 

祝いの席のカニ鍋も、祝いの席のすき焼きでさえも

のどちんこを一緒に飲み込みそうになってロクに味わえず。

 

自分ののどちんこでむせる日が来るだなんて誰が想像したでしょう。

 

 

しかも思いっきり体調不良であれば、寝込み甲斐があるというもの。

 

どっこいこちとら、のどちんこが長いだけで身体はすこぶる元気なものだから夜は全く眠れない。だって一ミリもエネルギーを使ってないんですもの。

年始で鳴らない携帯電話のほうが放電しているくらいだ。

 

とはいえ出かけるのはなんだか道徳的に違うし、お酒飲んだらのどちんこも飲むから気がすすまないし。

 

つまるところすこぶる寝正月でした。

 

「お休みはぁ、家でずっとゴロゴロしてますねぇ」

って言っているアイドルなんかよりはるかにゴロゴロしていたはずである。

 

 

家でできることのひとつ

昨年書き始めた”ほぼ日5年手帳”は

1つのページが5分割され、365(366)ページを5年間使うというもので

 

書き始めである昨年は毎日新しいページに書く、いわゆる普通の日記と同じことなので、それはそれは我慢してなんとか続けた一年だったのだが、今年からはようやくその本領を発揮する。

 

去年はこんなことを書いていたのかと思いを馳せながら綴れるわけだ。

 

が、今年がはじまってからはとんと書くことがないもんで

 

ついには

 

”嗚呼、のどちんこ”

と書いたところです。

 

許せ、来年の私。

 

 

予定外の幕開けをした新年ですが、おかげさまで充電バッチリ。

 

なぜだかフライングで今年の抱負を年末のブログに書いてしまったので

兎にも角にも今は、いつも初詣に決めている大神神社のなでうさぎの

のどをなでなでしまくろうと心に決めました。

 

 

今年は喉からいい声を!

 

もといのどちんこからいい声を少しでも届けられるよう邁進いたします。

 

 

本年もどうぞよろしくお願いたします。

 

 

写真はない、寝てたから。

今年の一枚 〜 2018 〜

あれよあれよという間に、今年を振り返る季節。

 

こんにちは。ふらりとあらわれたかと思えばしばらく帰ってこない現代版寅さんの私です。

 

今年は思いのほか早く仕事を納め、大掃除や忘年会など恒例の年内行事も済んでしまい、こりゃ本格的にのんびりとした正月を過ごしているなぁ!

 

と思っていたらどっこいまだ2018年で驚いているところです。

 

あやうくフライングで猪突猛進するところ。

一旦、”お手”と”待て”で冷静さを取り戻しつつ、

しっかり今年を”おかわり”することにします。

 

さて、この一年も様々なことがありました。

 

男はつらいよ、お涙頂戴の人情劇、はじまりはじまりでやんす。

 

 

 

わりとゆったりゆっくりとマイペースに人生を歩んできたタイプの私にしては珍しく今年は、様々な選択を強いられ、様々な試練を課せられ、そして様々な壁にぶつかった年でした。

 

”奈良県民”であるだけで勝てるほど、現実は甘くはなかった。

 

当然、ここは天国かと言いたくなるほど楽しい瞬間もありましたが、もう間もなく黒魔術が使えるのではないかというほどに濁った瞬間もあったのです。

角ぐらいは生えていたのではないだろうか。

 

 

そもそも今年がはじまってすぐに、パソコンがクラッシュしてデータを全て失ってしまったところからこの一年がスタートした気がします。

 

これまで書き綴ってきた書きもの、作りもの、ラジオの同録

そして写真写真写真、思い出思い出重いで。せくしーなあれやこれ。

 

なによりの痛手は一切のバックアップを取っていなかったこと。

詰めが甘い吉村で有名ではございましたが、なんと入り口からすでに甘かったのです。激甘。ティムタムよりも甘い。

 

”男はだまって綱渡りの人生”

的なことをおっしゃるダンディズムな殿方にはもれなく保険のチラシを差し上げます。

 

他には、自分の下積み時代からお世話になり大好きだった憩いの場所がなくなってしまったり、周りの環境そのものにも様々な変化がありました。

 

 

そんな一年を振り返ってみてもやはりその場所その場所にはいつも色んな人がいて、決してひとりぼっちで一年間を生きてきたわけではなかったんだなと今年も気付かされるのです。

 

 

毎年、振り返ると結局分岐点にはいつも人がいて、人によって自分が巻き巻かれていくのだと、書いているしもう十分に知っているつもりでした。

 

それでもやはりこうして振り返る作業で、私を鬼の形相にするのも、仏のような顔にしてくれるのも、そしてアルパカのような顔にしてくれるのも、人によるものなのだと改めて気付かされます。あ、アルパカは標準装備でした。てへぺろむしゃむしゃ。

 

 

 

実は先日の忘年会で一年に一度、その日くらいしかお会いしない方から、

 

”今年のあなたのSNSを見ていて、すごくいい一年を過ごされたんだろうなって思っていたの”

 

と言われました。

 

 

先述したように、初めて”今年の漢字”と一致するような気持ちで一年を過ごしたつもりの私にとっては意外過ぎる言葉でした。

 

それでもひとつ思い当たる節があるとすればそれはやはり”言葉”でした。

 

当然ここでの言葉は”文章”の方。

 

私は日本語が好きで、やはりこうして書くことも大好きです。

 

その時その時でリズム感がいい方や含みをもたせたりする方を選んだりしながらいつも自分の気持ちを綴ってきましたが、

 

その言葉選びに嘘偽りはないと言い切れるし、冗談とわからないほど過度に話を盛るようなこともしてこなかったと言い切れます。

 

天の邪鬼な私はいつも言葉に正直です。哲学の話ですか?

 

 

だからこれからも、黒魔術が使えるほどに濁った時も、一万人の第九が脳内再生されるほどに歓喜する時も、直立不動のアルパカの時も

 

感情は出しすぎることなく、そこはかとなく。

いつも変わらぬテンポ感で嘘偽りない言葉選びをしていきたいと思います。

 

ほくそ笑むほどの時間

 

よろしくお付き合いくださいませ。

 

 

 

 

さてさて、今年も最後の最後に横道それて長々と。

 

それを分割してこまめに更新なさいよという言葉はムーディー勝山も驚きの受け流し対応で

 

今年の一枚を選んでみたいと思います。

 

 

すっきりきれいに、とても少なくなった写真フォルダはほとんど今年のもの。

 

今年を振り返る作業がそんな数少ない写真の中からだとしても、aikoを聴きながらだと涙が出そうでした。音楽は偉大だ。

 

 

それでは、『今年の一枚』はこちら

 

 

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毎年使っていたお気に入りのカメラがその役目を全うしてからというもの、圧倒的に写真を撮る枚数が少なくなったので、やはり選んだものはインスタントカメラによるものでした。

 

最初に選んだものは、”露光に失敗し、真っ暗な商店街の中から向こうの方に光が見えるトンネル”みたいな写真。

今年を象徴しすぎていたためこちらにしました。

 

人の笑顔は無敵ですね。

 

それがかわいい子供であろうと、かわいい女性であろうと、

同年代のおっさんであろうと。

 

 

 

さて、長くなりましたがここまでのお付き合いありがとうございました。

 

来年は人と人とを掛け合わせ、物事と物事を掛け合わせ繋ぎ止める

『ぼたん』のような存在になれるように土台をしっかり返し縫いしていきたいと思います。猪突猛進になんて言ってたまるものですか。

 

 

それでは年末年始は不便な幸せを手にするべく、なるべくネット環境とは距離をおいた生活に励みたいと思います。

 

 

来年が皆さまにとっても良き出来事で溢れますように。

残る2018年をどうぞお楽しみください。

 

 

2018.12.30

吉村和人

ボヘミアン ラプソディ

 

 

公開をずっと待っていた。

 

 

 

”ボヘミアン ラプソディ”

 

 

観てきました。

 

 

 

映画は週1回程度暇さえあればふらっと観に行くようにしている。

 

単なる趣味として。

 

だから映画についてわざわざ書くのは久しぶりかもしれない。

 

 

 

Queenと出会ったのは高校生の頃で

 

もちろん、テレビやラジオやなにかしらでその存在や曲は知っていた。

 

当時、JAZZだったりボサノヴァだったりゆったりとしたポップスだったり

 

どちらかというとBGM程度に音楽を楽しんでいた私は

 

ロックやバンドにはほとんど興味がなかった。

 

そんな私にもQueenの音楽はわかりやすく強烈な一撃を与えた。

 

無知な私でもわかる革新的で型破りな楽曲の数々

 

1曲の中でガラリと姿を変える色とりどりの曲たちは

自然と身体にリズムを刻ませ、顔を歪ませ、そして口を開かせ、天を拝ませた。

多分軽く拳も突き上げた。

 

 

 

”音楽には人を動かす力がある”

 

そう信じ、そう発信し続ける今でも

 

Queenほどに気持ちを高ぶらせ、気持ちを落ち着かせ、そして気持ちをかき乱された”音楽”はあっただろうかと思う。

 

だから私は、今でもなにかの勝負の前や、気持ちを落ち着かせるときはいつも

暗示をかけるようにQueenを再生する。

 

 

そしてその都度思う。

この歌声を、このファミリーの空気を生で感じてみたかった。

 

 

 

 

 

鑑賞後、これほど余韻で頭を支配されたのは少々久々の感覚で

 

言うまでもなく今日はQueenを聴くし、ここしばらくはベルボトムのジーンズを履いたりする。

 

Queen好きはもちろん、そうでない人もぜひ。

 

もやもやした何かはきっと、吹き飛びます。

 

それは鑑賞後の勢いでブログ書いちゃうほどに。