今シーズンは久しぶりに、夏のプレシーズンを初日からチームで過ごしています。
いつぶりだろう?ってくらいご無沙汰なので、この時期の走りや筋トレ、強度の高いトレーニングで心身共に追い込めて、刺激的な毎日を過ごせています。
去年もW杯があり、プレシーズン途中に移籍があったりと、バタバタしてしまった中でシーズンがスタートしました。
フランクフルトでのシーズンも2シーズン目に突入。
2年目や3年目に比べると、それとは違った苦労が多いのが1年目。
なので、移籍するとかなりのエネルギーを使います(笑)
1から人間関係作らなきゃいけなかったり、チームが違えば規律やルール、スタイルも違って、チームメイトも違うので、そこを理解して合わせていくことであったりと、様々な地味なコミュニケーション作業があります。
さらに、もれなく引っ越し作業もくっついてきますしね!(笑)
そんな苦労を知っているのに懲りずに移籍を繰り返す私も馬鹿なんですけど、それには色々と私の考え方と価値観があるので。
なかなか周りには理解されないところもあるんですけど、そこはおいといて。
もはやその苦労を苦労と思ってないんでしょうね(笑)
基本的に、全部1人でやらなきゃいけないので助けを求められる人脈作りも大切。
さて。
私が、どうやって海外移籍に辿り着けたのか。
知ってる方もいれば、知らない方もいると思いますので
今日は、そんなところを振り返って書いていきたいと思います。
私がドイツに渡ったのは、2010年1月。
まだなでしこジャパンがW杯で優勝する前のことでした。
遡ること7年前の2009年、大学4年生のシーズンが始まる前のこと。
その年のベレーザでのシーズンを最後にドイツに移籍しようと覚悟を決め、シーズンを迎えました。
今思うと、その覚悟があったからこそ移籍を決められたとも思います。
ただ、ここで1つ疑問が浮上。
「どうやったら海外のチームに移籍できるのか」
当時のプリンツやワンバック、ロイドやモーガンといった高い身体能力を備えているわけではないですし、マルタのようなスピードとドリブルが飛び抜けているわけでもないので、当然海外のチームからオファーなんてくるわけがありません。
私のプレーはものすごーく、地味なので。(笑)
そんでもって、誰もドイツでプレーしている日本人女子選手がいない……ので、聞く人もいません。
当時も代表選手でしたが、その時の日本代表は2008年の北京オリンピックでやっと4位入賞を果たした頃。
私にみたいな選手にオファーなんてくるわけないので、そんなの待っていたらきっとこのまま移籍できずに終わってしまう。
そう考えた私は、スイカ割りをして美味しくスイカを食べているこの夏の時期に、練習の合間をぬって毎日パソコンと睨めっこ作業していました。
自分の試合映像をかき集め、その映像から自分の得点シーンや自分のストロングポイントであるシーンを切り取って、繋げて編集。
なんだかとても気の遠くなる作業でしたが、なにせこんなことやるのは初めてだったので、15分くらいの映像を作るのに1ヶ月くらいかかりました。。
自分のプレーを見ながら本当に地味な映像集だなぁ(笑)と思いながらも、夏休み中に完成。
その映像をドイツのいくつかのチームに送り、返事を待ちました。
そして、2010年1月1日の全日本選手権(現 皇后杯)で優勝。
これが私のベレーザでの最後の試合になりました。
やっぱり今振り返ってみても、本当に素敵なチームメイトに恵まれてサッカーができていたんだなぁと、改めて感じます。
残念ながら、このプリクラに写りきれてない人が誰なのかは思い出せません。。。笑
4連覇したチームにいれたこと、そんな最強のメンバーたちとサッカーできたこと。本当に幸せすぎました。
恵まれていたからこそ点も取れたし、得点王にもなれました。だって、決めればいいだけのパスをみんなが出してくれるんです。
そりゃ、点取れて当たり前ですよね。
だからこそ、海外に挑戦したくなったというか、海外に出なきゃダメだって思えたんだと思います。
待つこと数か月。
送った映像に興味を示してくれたチームが2つありました。
1月の中旬にそのチームのトレーニングに参加しに行くことに。
最初に行ったチームは、ブンデスリーガでは中位くらいのイェーナというチーム。
トレーニングに参加しながら1日、2日と経過し、自分の求めていたレベルとのギャップを感じ、ちょっと困惑。
どうしようと思いながらも、当時の代理人と相談し、イェーナを切り捨ててもう1つコンタクトを取っていたポツダムに行ってみようということに。
この時点でイェーナでメディカルチェックも済ませ、あとは契約書にサインというだけの状態でした。
ですが、それをせずにその足でポツダムに向かうということは、イェーナとの契約はなしになるということを意味します。
契約できるかわからないポツダムに行くというのはかなりリスキーでしたが、ポツダムはUEFAチャンピオンズリーグに出場していて、ブンデスリーガでも何度も優勝しているチーム。
そんなチームに入れるチャンスが少しでもあるのであれば、そこに賭けてみたいと思いました。
ポツダムとアポを取り、電車を乗り継ぎイェーナからポツダムへ。
行くとすぐに監督室に案内され、いきなり私の起用法はこう考えているみたいな話をされてビックリ。
てっきり私は練習に参加してプレーを見てから決めるものだと思っていたのですが、その場で契約書にサインという流れに。
ぶっちゃけ、ビックリポンでした…笑
当時のポツダムは、ドイツ代表選手が多数在籍し、前線にはタレントが揃っているチームでした。
リオ五輪のメンバーでは、ミッターク、ヘニング、ペーター、ケショロスキー、Ballon d'orを獲得したケスラー、昨年出産を機に引退をしたアルーシ(旧姓 バイラマイ)…etc
そんなメンバーがひしめく中で、当然レギュラー争いは過酷になることが想像できました。
その反面、外国人選手は1人もおらず。
ポツダムという街も、日本人も全くいない環境。
完全なるアウェー!!
でしたが、迷いなくこの環境に飛び込んでいく決心をした自分にこれまたビックリ。
なんだろうね。とにかく好奇心が旺盛で、やりたいことをやりたいっていう意志の塊なんですよね。
それよりも、そんな選手たちとプレーできる。
その楽しみとワクワクの方が大きかったような気がします。
そんなこんなで、2010年1月末より、ポツダムライフがスタート。
そんでもって、その年にチャンピオンズリーグ優勝しちゃうし。。。
ちなみに、私もこっそり蹴ってます。。。
ざっと、ポツダム移籍までの道のりはこんな感じでした。
まぁ、入ってからの戦いの方が熾烈だったんですけどね(笑)
今でこそ、なでしこジャパンがW杯カップで優勝し、ロンドン五輪でも銀メダルを獲得したことによって、世界からの注目度はかなり高くなり、海外への移籍はかなりしやすくなっていると思います。
とにかく海外のチームでプロとして挑戦したかった。
自分をさらに向上させたかった。
その意志だけで、ここまで辿り着けたと思ってます。
実際、サッカーの能力がずば抜けて高いというわけでもないので…
ということで、次回のブログは3年半過ごしたポツダムでのことをざっくばらんに書いてみたいと思います。
P.S
SMAP解散報道のショックが大きすぎる。。。涙
They'll be in my heart forever....