やりたい邦題 | マノンのMUSIC LIFE

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最近、気がついたことなんですが、Parlophoneレーベルの新譜がワーナーミュージック・ジャパンから出てるのに「あれ?」と思って調べてみると、5年位前にユニバーサルがEUの独占禁止法的なものにひっかかって、Parlophoneカタログの大部分(ビートルズ関係は除外)をワーナーに売ったらしい。

ParlophoneといえばEMIだったのに!
東芝EMIから「東芝」が外れて「EMIミュージック・ジャパン」になった時ほどの感慨はないけど、時代の流れを感じますねぇ。
いまや音楽とはとりあえず電話機で聴くもの。東芝は電話からも早々に撤退したし、基本的に白物家電の会社だったんだなぁ、と再認識。

そこで、去年の話なんですが、ビートルズの曲に好き勝手な邦題をつけて、我が国での普及に貢献した(と謂われる)高嶋弘之氏がマツコ・デラックスに出ていました。

たしかにね、「抱きしめたい」なんて意味的にはちょっと勇み足かもしれないけど、1964年当時そのタイトルは音とリンクするにふさわしい刺激をもって日本中に響いたのでしょう。
B面の「こいつ」は訳さなくてもよかったと思うけど。だって続けて読むとゲイ・カップルを連想するしww


「ノルウェーの森」にしても「誤訳ですがなにか?」って態度。
実際その邦題の元に聴き始めてしまうとユニークなシタールのリフとあいまって、PVもない時代なので、当時の日本人にとっては完全に森のイメージの曲になったんでしょう。

まぁタイトルはともかく、そのやり口は強引というか、なんでもアリ。
ラジオのリクエスト番組の10人の電話オペレーターの中に、息のかかったバイト3人を送り込んで、ストーンズのリクエストが多い時には「ビートルズ」と書き換えさせたとか。
別に相手がストーンズでもなんでもいいけど、音楽で勝負させたらんかい!

 

 

そんな事を武勇伝のように語るこのじいさん。さすがあの高嶋ちさ子の父親。
まぁテレビだし、不遜な雰囲気からして制作側のリクエストだってのを差し引いても、音楽そのものに対して何のリスペクトもない態度に、さすがのあたしも珍しく憤りを感じたわけです。


東芝EMIには生まれてこのかた500万位は余裕でつぎ込んでる(たぶん)はずだから怒ったっていいでしょう。
でも、このジジィは69年には東芝音楽工業を早々に退職して76年までキャニオン、その後はユニバーサル系でクラシックの方をやってたみたいなので、直接的にはあたしのお金は一円も行ってないみたい。

よかったw

要はね、裏工作みたいな販促活動に使う金と頭があったら、アーティストのメッセージを正しく伝えようとする努力に使え!ってことですよ。


60年代の日本盤でも「ラバー・ソウル」だけは対訳がついていたという情報を最近知りましたが、そういう要望もリスナー側からあったということだろうし、ピーター・バラカンみたいに日本語にも英語にも通じた人を探し出そうと思えばできたはず。

まぁアルバムタイトルに関しては、映画ものは別として、このくそジジィでさえも手をつけなかったのでまだましだったけど。
「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」は水野晴郎氏がつけたというのは有名な話ですが、レコードよりもまず映画主導だったわけですね。考えてみれば邦題という発想自体、映画の方が先だったのかも。

洋楽の日本盤に本格的に歌詞・対訳が付くようになったのはビートルズの赤盤・青盤が出た'73年あたりからじゃないかと思うんですが、プログレやシンガーソングライターブームなど、ロックが多様化して文学的に読み解こうとする欲求が増えてきたからなのかも。


その頃の東芝EMIはもっとも訳詞に積極的だったと思います。
落流鳥(おちるとり)という正体不明の人がメインで訳していましたが、今回ググり直したところ、どうやらビートルズ本の執筆で有名な香月利一氏の高校時代の友人らしい。
ピンク・フロイドの「狂気」なんかもその'73年、インスト部分が多いだけに、この人の訳詞をよく読み込んだもの。

ピンク・フロイドといえば、高嶋翁の直接の後継者である石坂敬一氏の一連の邦題シリーズを見過ごすわけにはいかないですね。
彼はビートルズの来日公演を見たのがきっかけで68年に入社してホワイトアルバムからディレクターになったらしい。東芝のおエライさんの息子だから堂々たるコネ入社。


・・・「原子心母」「おせっかい」「狂気」
賛否両論あるでしょうが、「原子心母」はAtom Heart Motherの直訳だし、アーティストの意図をそのまま伝えるという意味でいいと思うけどMeddleを「おせっかい」は単なる勘違い以外の何物でもないでしょう。


人間関係じゃなくて物理的な意味での波の「干渉」なのはジャケットから明らかだし、それなら「神秘」からの漢語タイトルの流れ的にもピッタリなはず。石坂氏も後悔してるらしいけど。
まぁ「狂気」を「月の裏」にしていたら売上は30%位落ちてたかもしれないし、「ウマグマ」を「馬熊」にしなかっただけでも許してあげようw。

 

最近、アーティスト本人を褒めるのもやり飽きたからか、この辺のクラシック・ロック関係者をやたら持ち上げるような風潮があるけど、良いところは良い、悪いところは悪いと、時代性も考慮したうえで功罪含めてちゃんと評価することがなにより大事だと思います。

実際、70年代前半まではロックスターなんて雲の上の人、洋楽ディレクターでも本人に会うのは一生に一度か二度の機会だったのでは?


ピンク・フロイドは71年、72年と続けて2回来日していますが、とんでもないタイトルに変えられてデカデカと帯がついているのに気づいたんでしょうね。

CBSソニーからの発売になった次作はバンドサイドからの指定タイトルとアナウンスされましたが、「炎~あなたがここにいてほしい」と、たしかに直訳だけど「炎」は日本側の意地で付けたようです。(担当ディレクターは菅野ヘッケル氏)

それまでならどんな売り方されようがたいして鼻にもかけなかったのかもしれませんが、日本がマーケットとして重視されるようになってきた表われと見ていいのかもしれません。

これが'75年初回盤の仕様。黒いシュリンクを開けて中身を出してみないとその意味はわからないにもかかわらず、ラベルには大きなポイントで「炎」だけが目立つ。どんな意地の張り方w


その後、デヴィッド・ギルモアのバンドになってからは、何も口出しされくなったのか「鬱」だの「対/TSUI」だのとまたまたやりたい放題。クレームつけてたのがロジャー・ウォーターズだったってことかもしれないけど、ここまで来ると、ろくに情報も寄こさない本国のレーベルサイドに対する反骨心や気概までが感じられて、ちょっと日本サイドに肩入れしたい気持ちも沸いてきた。


そうこうしているうちに日本人の英語リテラシーも上がってきて、帰国子女も多くなって翻訳の人材には事欠かなくなってきたようです。
洋楽天国80年代中期には西森マリーなんて人も出てきたけど、ロックやポップのフィールドは特に旬のスラングを使うことも多く、そこをわかってないと意味を成さない歌も多いので、文学的価値とは別のところで、きちんとその辺を拾う流れが出てきたのは、その後のヒップホップの隆盛に備える意味でもよかったと思います。


訳とは別に、ワーディング(原詞の文字起こし)にも、昔から間違いは多かったんですが、忘れもしないLinda Hennrickという人のはあたしでもわかるような間違いが多くって。
エコー&ザ・バニーメンなんかは特にひどかったんですが、今思えばイングランド北部のアクセントは津軽弁なみに自国民でも聴き取れないって言うからムリもないところか。
今回、改めて調べてみたら80年代から日本で作詞・翻訳として名前が出てる人でOASISという男女デュオで歌も歌ってたらしい。

へーえ・・・実はバリバリの日本男子なんじゃないかと疑ってた。

90年代に入る頃からは「これくらいの英語なら訳す必要ないや」って感じで一気に邦題が減ったし、曲タイトルも含めカタカナにも直さない、横文字そのまんまのものが増えてきた。

あたしの買った物ではジョージ・マイケルの2ND「LISTEN WITHOUT PREJUDICE : VOL.1」が初めて、やっぱり90年ですね。

「先入観なしに聴いてね」って意味でしょうが、わかりやすい邦題をつけた方がいいようなタイトルだし、お店で目を惹くための帯の背に横書きになった原題を見て、時代が変わった気がしたものです。

90年代は洋楽ジャーナリズムとアーティストの距離がより縮まって、新人を日本で育てるような流れも出てきました。インタビューもかつてのような切り貼りじゃなくて、紙幅をたっぷり取って、メンバーの関係性も見える臨場感あるものに変わっていったので、タイトル・歌詞の意味・意図も発売以前に雑誌を読めばわかるようになってきたのです。

21世紀になって出てきたのは「カタカナ・ニョロ系」
たとえばこれは2005年の曲ですが、日本でもけっこう売れました。


バッド・デイ~ついてない日の応援歌/ダニエル・パウター (2005)

 

そして積極的に日本語字幕入りのPVを作ってくれるアーティストも増えました。というか売る側の熱意かな、これは。



いまや日本のバンドでも英語詞は普通にアリなので、CDに訳まではつけてなくても、PVに字幕つけてるケースは最近よく見かけます。
まぁカラオケ的な要素もあるから、リスナーとしては訳よりも原詞の方がありがたいのかもしれないけど。


そんな感じで、前世紀の遺物化しつつある「邦題」
アーティストの意図が正しく伝わるようになったのはいいけど、誤解だけで付けられて後から笑えるようなネタがなくなってしまったのはちょっとさびしいかな。

 

The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars
「屈折する星くずの上昇と下降、そして火星から来た蜘蛛の群/デヴィッド・ボウイー」

ジギー・スターダスト率いるザ・スパイダーズ・フロム・マーズってバンドの栄枯盛衰がテーマってのはいまや誰もが知るところとなりましたが、当時は

「シュールでかっこいい。さすがボウイ!」と思っていたんです。

 

そもそも区切る場所が間違っとるんじゃあ!

 

(補記)

ボウイの死後に増補改訂されたシンコーのムックを読んでいたら、ジギー当時のビクターの担当ディレクターが追悼文を寄せていました。

髙橋明子という、その人はまだ3年目とかその程度の若手だったらしいですが、ボウイの評判が本国で盛り上がるのを知って、ジギー発売前に自らロンドンに出張して行ったところが、神格化を謀ろうとするマネージャーのトニー・デフリースに、質問や撮影もさえぎられてろくな取材ができなかったそうな。
アルバムの音とタイトルだけで「これを売れ!」と言われて途方に暮れたのには同情するけど、Ziggy played guitar~!って歌ってんだから、ロックスターってことだけは少なくともわかったはずだけど。

破壊力ある邦題No.1の座が揺らぐことは今後もないでしょう。

 

 

どくしゃになってね!