令和2年4月1日大安吉日。よりによってエイプリル・フール。

父の人生劇場は幕を閉じました。マイペース人生で、容態急変の知らせを受けて家族が病院についたときには、

さっさとあちらに旅立っていました。ちょ待てよ!とキムタクにでもなった気分です・・・。

でも笑い顔でした。痛々しい手術跡ではありましたが、飲み仲間でも迎えにきたのでしょうか?前の晩は炭坑節を歌っていて、

先生も看護師さんも術後経過も良くて、急変は本当に想定外だったようです。

「苦しまずに逝ったことは、確かです。」

そうですよ、先生、泣いてくれた看護師さん、父は楽しいことが大好きです。楽しい飲み仲間が迎えに来て、なんだかあっちのほうが楽しそうだなあ・・・と、さっさとあちらの世界に旅立ったんだと思います。執着心なく(笑)

一回、家族が、入院中の父に、今誰に会いたい?と聞いたら、ああ、裕美子に会いたいな・・・と言ってくれたそうで、

ふ、お互い、百発百中父子とわかる顔だものな・・・と理由はよくわかりませんが、ちょっとうれしかったです。なんだか、そういう何気ない言葉が、自分のお守りになってきますね。照れ

 

糸井重里さんとリリーフランキーさんの「死」についてのお考えが、頭をよぎります。

糸井さんは夜中にトイレに起きて、ふと、自分のベッドを振り返ると、シーツに自分の体のへこみ部分が残っているのを見て、隣で眠っているパートナーを見て、

「人の死って、こんな風に、こういう鋳型が残るのかなあ・・・自分ではないけど自分のカタチがぼんやり残っていく、そう思ったら泣けてきてねえ・・」と、なんて感性豊かなんだろうと感動いたしました。

 

そしてリリー・フランキーさんは、「東京タワー」のメガヒットの最中、NHKのトップランナーという番組で、

母の死に、「こんなに悲しいことってあるんだなあっていうほど悲しくて、交差点で立ち止まったら、知らない人たちがたくさん歩いていて、ああ、みんな同じようにこんなつらい目に合ってるんだと思ったら・・・なんか、みんながんばってるんだなあって思うようになった・・・」的なことを、

ぽつりとおっしゃり、ワタクシはズシンときました。

その時はまだまだ両親は健在でしたが、たぶんどこかで知っている感情なんですよね、魂的にウインク

 

あとは入院中の母にどう伝えるかコロナの最中のお葬式だの、

頭の痛いことは、続々、もれなくマックスではあります。

けれど家族やじぶんの周りの皆様と、力を合わせて、未熟者ながらもがんばりますグラサングラサン

社会的インパクトはないけれど、自分周りには十分なインパクトでしたので、ここで語ってしまいました(笑)

 

合掌。

父が横たわるそばで、

ウォーキング・デッドみたいに目がぴかっと開いて動きだしたりして・・・という、のんきな弟の声が聞こえてきた朝に

(∩´∀`)∩