悲しいことに、私は統合失調症だ。

 

 

それは今までもこれからもずっと、私につきまとう巨悪だ。

 

 

誰にもどうにか出来るものじゃないし、自分でも振り払えない。

 

 

患ってしまったことを物凄く悔やみ、同時に、背負ったその巨悪を憎む。

 

 

希死念慮が出て来るのも当然のことだ。

 

 

だが、そんな風に自分を卑屈にならせても、一切得は無い。

 

 

割り切るしかないのかもしれない。

 

 

でも、前向きに捉えると『統合失調症を患ったことで得たもの』というものも確かに存在する。

 

 

それは『自由』と『個性』だ。

 

 

私達統合失調症患者は、寝るのも起きるのも食べるのも、自分の好きな時間に出来る。

 

 

お金や生活水準に関して高望みしなければ、障害年金や生活保護などの需給で十分生きて行ける。

 

 

中には作業所に通ったり障害者雇用で働いている統合失調症患者も居るが、それは個人の自由である。

 

 

働きたければ働けばいいし、働きたくなければ働かなければいい。

 

 

やりたければやればいいし、やりたくなければやらなければいい。

 

 

私の場合、とにかく働きたい!という気持ちが常にあるので、中学を卒業した後はすぐにたくさんの仕事の面接を受けた。

 

 

仕事が続かないのは統合失調症の特徴なので、何の仕事に就いても三ヶ月以内には辞めてしまったが。

 

 

今現在のところ、フリーランス業は手探り状態で進行している。

 

 

が、仕事自体はもう長いこと続けられているので、私にとっては天職のようなものだ。

 

 

自分の好きなことで生きられているというのは、『自由』そのもの。

 

 

かと言って、そうでなくても統合失調症というものを背負っていれば皆自由人だ。

 

 

統合失調症患者には、健常者のよく言う「仕事に行きたくない」は当て嵌まらない。

 

 

いつだって自分の気の向くままに生きられるからだ。

 

 

そう考えると、スッと気が楽になるのではないだろうか。


 

私が好きなことで生きて行けているのは、何よりも統合失調症を患ったおかげなのだ。

 

 

統合失調症になっていなければ、こんな風な啓発的な内容の記事は書けなかっただろうし、そもそも自身に『個性』が無いからネタ出しに困り果てていたと思う(私は統合失調症歴が長いので、ネタは腐る程ある)。

 

 

『個性』を得れたのも、これは一つの特権だったのだと自負出来る。

 

 

元々冗談も言えないツマラナイ人間だった私が、統合失調症を患ったことで“面白人間”になれた。

 

 

十秒前に言ったことを忘れたりすると、周りの人達が「面白い」と言って笑ってくれる。

 

 

言うことがめちゃくちゃだと、それを周りの人達が拾って笑いに変えてもらえる。

 

 

そんな『個性』を持った自分が私は好きだ。

 

 

身を着飾る物にも『個性』が出、流行りを追わず、いつもオリジナリティーのあるファッションをしているのも自分の好きな所の一つだ。

 


統合失調症であっても、視点を少しズラすだけでポジティブになれる。

 

 

あなたも、そういった点で自分の統失人生と向き合って、統合失調症に対する見方を変えてみてはどうだろうか。

 

 

きっと、前向きな自分になれる筈。