先日、母校の大学で学園祭が行われたらしく、
久しぶりに行ってみようか、とも思ったのだけどやめた。
先輩の話を聞こう、的なイベントも同日開催だったようで、
そこでは、私の同級生たちが後輩に、自身の様々な経験について話したものと思われる。
そのメンバーの一人が、どうしても出くわしたくないヤツだった。
その人は、埼玉県の公立小学校で教員をやっている、男性新米教員だ。
大学時代は、同じゼミに属していた。
これだけ書くと、教員試験に落っこちた私の逆恨みのようにも見えるけれど、
この人だけは、卒業から半年経った今でも、どうしても許すことができない。
この人物は、大学時代に何の理由もなく、日常的に、
私の頭を全力でたたいたり、足を踏んだり蹴とばしたり、
私の持っていたマイボトルに入っている飲み物を飲んだり、
私のカバンの中をあさったりしていたのである。
思い出しただけでも、とにかく気持ち悪い。
やめてほしい、と言っても全く聞かない。
それどころか、どんどん状況は悪くなっていく。
付け加えておくと、この人物と私は能力的にはほぼ同等だった。
言い方は悪いが、底辺のあの大学において、
かなり優秀な部類に入る2人だった。
進学校の落ちこぼれではあったけれど、周囲にそんな学校出身の
者は居なかったし、勉強以外の能力もかなり高いと、教授の方々には
褒めていただいていた。
私にとっては、あの大学で唯一、同じようなポジションで、
まともに話ができる人だと思っていた。
けれども、実際は違ったのである。
私は、毎日頭をたたかれたり突き飛ばされたりすることで、
首がおかしなことになってしまった。
今でも治ってない。とても痛い。
蹴とばされて、あざになったこともあった。
両親は非常に怒っていた。
怒り狂う両親をなだめて、試験に受かってヤツを見返してやろうと思った。
また、その人物は、カンニングの手助けをしたようだ。
学内の定期考査において、頭の悪い友人たちを救ってやろうと思ったのだろう。
LINEで、自分の解答を、数人の友人たちに回したようである。
救ってやろう、というより、自身の優秀さをひけらかしたかったのだと思う。
それで、感謝されて尊敬されるポジションに居ようと。
きっと、私よりも価値のある人間になりたかったのだと思っている。
なんとも情けない話である。
ここまでにも色々あったのだが、詳細は省くとして、
そんなことしなくても、私は彼の地位は脅かさないし、奪おうとも思わないし、
クラスの中心人物になりたいとも思わないし、
そもそも比較しようとも思わなかったのに。
教授に相談してもらちがあかないので、できるだけ関わらないようにしながら、
それでも日常の暴力は続いた。
結果的に、その彼は教員養成セミナーに参加することで、念願の
教員になれた。
私は、一般受験をして、二次試験で落ちた。
なので、結果だけ見てしまえば、彼のほうが優れていたし、努力したと見えるだろう。
私がどんなにピアノが得意だろうと、書道に自信があろうと、学力があったとしても、最終的に受からなければ意味がない。
それに、どんな大学生活を送っていようと関係ない。
教員になれさえすれば、一生食っていける。
3億円の生涯賃金を手にすることができる。
教員試験に落ちた後、唯一信頼していた教授には
「お前には人間的魅力がない」
と言われた。
それを聞いていた、私に暴力を振るい続けた人物には、卒業までの半年、
なぜか汚いものを見るような目つきで見られていた。
まるで、優秀な自分に関わらないでくれ、お前は底辺なのだから、とでも言うように。
彼にとっては、私の存在は邪魔だったのだろう。
私さえいなければ、すべて一人勝ちできただろうに。
本人もそのつもりで、浪人までしてこの大学に入ってきたのだろうから。
それで、つぶしにかかったのだと思う。
抹殺したかったのだろう。
でも、実力で勝とうとしないで、叩いたり蹴ったりしてつぶそうとするのって、
違うと思う。
小学生のいじめみたいだ。
そんな人が、春から小学生を教えているのかと思うと、笑える。
私は心が狭い。
半年たっても、卒業して接点がなくなっても、許せない。
ただ、今日も埼玉県のどこかで、
そんな人物を「先生」と呼び、勉強を教わらなければならない子どもたちが
いる。
その彼は、子どもがいじめをしているのを見て、なんと教えるのだろう。
まさか、「いじめはしてはいけない」とは言えないはずだ。
だって、少し前までご自身がされていたではないか。
なかったことにして見過ごすのだろうか。
カンニングをする子どもに、どう指導するのだろう。
「カンニングをしてはいけない」
そんなありふれた文句を言うのだろうか。
子どもも保護者も、まさか自分の担任が、ちょっと前までそんな愚かな行為を
していたとは思わないだろう。
ましてや新任教師。
やる気に満ち溢れて、若くて溌剌としていていいわ、なんて思っているかもしれない。
もちろん、すべての教員がそうと言っているわけではない。
真面目に一生懸命、寝る間も惜しんで子どものために、と働く教員がたくさんいることも、実習などを通して、十分に知っている。
ただ、たった一人、そういう人物を知っているだけで、教員に対してあまり良いイメージは持たなくなった。
半年ぶりに大学に戻ってきて、後輩に何を語ったのか。
教職とは何ぞや、とか、大学時代の過ごし方について熱く語ったのだろうか。
気になるところだけど、私には関係のないことである。
私は、当面は教員を目指そうと思わないし、実際今年の採用試験も受けなかった。
なのできっと彼とは、一生接点はないと思うが、どうか子どもに手をあげたりして、違った意味で名前を見ることにならなければいいと思う。
教員の、子どもに与える影響は大きい。
どうか自分の発言、行動、常に見られていることを忘れずに、
過去の事は、あなたはもう忘れたのだろうけど、
覚えている人もいること、記憶は消せないこと、
公の奉仕者であること、
肝に銘じて、3億円分の働きをしてほしいと思う。
人格の完成を目指して、
子どもの良きお手本になれるように、改心して
日々、研究と修養に励んでほしいと思う。
ただ、私は一生許すことはないが。


