読み終えましたよー。

東野圭吾ワールドでした。

暗い闇の中に様々な伏線が張り巡らされ…

人間は何処までも愚かであり

自分のために過ちを犯し、また大切な人を
守るために過ちを犯し…

『白夜行』や『容疑者Xの献身』もそうだけど、東野作品て大切な人の生活や気持ちを守るために
本当に切ないくらい献身的。

自分への犠牲をいとわない。

この物語は、元オリンピック・スキー選手である父親とその娘のスキー選手との親子を軸に進んでいく。

親が子を想う気持ち。

子が親を想う気持ち。

善悪の判断。

人間のエゴと良心の呵責。

才能と自己達成。

はたして人にとって恵まれた環境とは何なのか。



東野作品は平気で人間の深い部分を揺さぶってくれちゃうよね。




この作品を読んで改めて感じたことは


『人と人はきちんと向き合わねばならない』

という事。


ちょっとしたスレ違いや距離のためにボタンが掛け違えられ、やがては大きな溝へと発展してしまう。

そのために誰かが傷ついたり、取り返しのつかない痛手を負う事もある。




私は、気になる事があれば聞くし、逆に聞かれた時は、その真剣度合いにもよるけど、出来る限り誠実に答えている。


少なくともそうしているつもりであり、これからもそうであり続けたい。


悩んでばかりいるのはどうかと思うけど、時には真剣に物事を捉え、一方からではなく、色々な方向や立場になって考える事が必要だと思っている。


現代人は希薄な人が多いとよく言われているよね。

言葉のアヤや誤解を解かないまま人間関係が疎遠になったり…

『間に挟まれるのは面倒くさいな』と都合のいい被害者モードに入って人間関係を打ち切ったり…

自分を守りたいだけの八方美人に成り下がったり…


そんな風になるくらいならぶつかったとしても私は向き合いたい!


人間が成長するために必要なのは、揉めない事でもなく、ぶつかり合うだけでもなく、ぶつかり合った後の『繕い直し』なのではないでしょうか。

何故ならばそれが一番ハードルが高いと思われるから。。。



善悪の意見を言って一方と揉めるくらいなら皆にいい人でいようとしたり、
自分の正義を押し付け、相手の気持ちや立場、経緯を無視したりするのはどちらもそう難しい事ではないし、結局は両者共自分に都合がいいように考えるエゴイストなんじゃないかなぁ。。。 

きちんとした善悪の判断基準を持ち、それを伝え、柔軟な心で話し合えたらいいよね。

それって簡単にはいかない事なんだけどね~。



小説でもエゴと贖罪の気持ちに挟まれもがいている人達が出てきて、過去の自分達のエゴを精算しようと格闘している。


この話は『白夜行』ほどは暗くないし、救われる部分もあるのよ。

350ページくらいでわりとスラスラ読めちゃうし。

興味が沸いた方はぜひ(^-^)/