鵜戸神宮(うどじんぐう)
官幣大社 日南市


主祭神  日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊 
社格等  旧官幣大社 
     別表神社 
創建   崇神天皇朝 
本殿様式 八棟造 
例祭   2月1日
主な神事 神幸祭
     シャンシャン馬道中

祭神 
日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと) 
大日孁貴(おおひるめのむち)(天照大御神) 
天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと) 
彦火瓊々杵尊(ひこほのににぎのみこと) 
彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと) 
神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)(神武天皇)

創祀の年代は不詳であるが、古代以来の海洋信仰の聖地で、社伝によれば、本殿の鎮座する岩窟は豊玉姫が主祭神を産むための産屋を建てた場所で、その縁により崇神天皇の御代に上記6柱の神を「六所権現」と称して創祀され、推古天皇の御代に岩窟内に社殿を創建して鵜戸神社と称したと伝える。また、延暦元年(782年)、光喜坊快久という天台僧が桓武天皇の勅命を蒙って別当となり、神殿を再建するとともに、別当寺院を建立し、天皇より「鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺(うどさんだいごんげんあびらさんにんのうごこくじ)」の勅号を賜わったとも伝える。

「ウド」は、空(うつ)、洞(うろ)に通じる呼称で、内部が空洞になった場所を意味し、祭神名の「鸕鷀(う)」が鵜を意味するのに因んで、「鵜戸」の字を充てている。古くは「鵜戸権現」とも称されたが、
明治元年(1868年)の神仏判然令によって権現号を廃し、翌2年「鵜戸神社」と改称。明治7年に神宮号が宣下されて現社名となった。

日向灘に面した断崖の中腹、東西38m、南北29m、高さ8.5mの岩窟(海食洞)内に本殿が鎮座し、参拝するには崖にそって作られた石段を降りる必要があり、神社としては珍しい「下り宮」のかたちとなっている。
『日本三大下り宮』
宮崎県『鵜戸神宮』
群馬県『一之宮貫前神社』
熊本県『草部吉見神社』


明治元年(1868年)の神仏判然令によって別当寺院の仁王護国寺を廃し、1874年(明治7年)に「神宮号」が宣下されるとともに官幣小社に列した。1889年(明治22年)に社殿を改修、1895年(明治28年)に官幣大社に昇格し、第二次世界大戦後は神社本庁の別表神社となっている。
1965年(昭和40年)NHKの朝の連続テレビ小説『たまゆら』の舞台に宮崎が選ばれたこともあり、昭和40年代には新婚旅行の定番地となった。巨人軍長嶋茂雄名誉監督も訪れたそう。
1968年(昭和43年)に本殿及び末社を修復したが、翌々1970年(昭和45年)、文政年間(1818~30年)に建てられた茅葺書院造の社務所を原因不明の火災により焼失し、それとともに古文書類の大半を失った。1997年(平成9年)に屋根の葺き替えと漆の塗り替えを施したのが現在の社殿である。 潮風が吹く場所であるため、境内にある住吉神社の屋根は、銅製から腐食に耐えるチタン製に葺き替えられた。神宮本殿でも同様の改修が検討されている。




宮崎県日南市大字宮浦3232