何かを持っているにも関わらず、その有り難さに氣がつくことはほとんどないものです。




  何故なら、それを持っているのは普段から当たり前だと思っているからです。




  しかし、それを失った時に初めて、それが如何に有り難いもので在ったのかということに氣づくことができるのです。





   例えば、普段当たり前だと思っている家で寛げるということが無くなった場合、お金が無ければ、何処で寛げるのでしょうか?




  今のような温かい気候ではなく、真冬日に休めるところが無ければ、凍死する可能性もあるということです。





  こうしたら、こうなるという頭の予測をして行動すると、外に出るべきときではない時に外に出てしまうことになり、反って今までの基盤も失ってしまうという結果に甘んじなければならないようになってしまうということを忘れてはならないのです。






  たくさんの人と出逢って、自分の見聞を広めようとすることも、十分な余裕が在って初めてできることであり、自分の今の基盤を大切にしないで手を伸ばそうとすることは足元を掬われる結果になることもあるので、闇雲に動き回らず、今ここという最も大切なポイントを楽しむことを第1にすべきです。
 




  お金にしても、外側から来る情報を鵜呑みにして、様々な投資などの安易な使い方をしてしまうことによって、全てを失うこともあるということに氣づくことであり、よくよく学んで、誰にも決して騙されることがないようにすることです。





  つまり、旨い話には乗らないことです。





  自分の今の状態は、自分の意識の結果として現れている自分に相応するものであり、自分の意識状態を外側から来る情報によって決めるのではなく、今ここに在る全てのものに感謝するということを何よりも先決すべき重要なことにすることです。





   自分に無いものに目を向けさせようとして欠乏意識を持たせて、無駄なお金を使わせようとしている利益第1主義のサバイバルモードの人間たちにはよくよく注意することです。




 全てが同じ根源物質である素粒子で出来ていると言っても、各々が全く別の異なるプロセスを経て来ているので、万人が全て善人であるという性善説を採用することは自ら騙して下さいと言っているようなことだということに氣づくことです。





 要は、自分の体力知力と基盤を何よりも重要視することであり、最高の波動になるまで何かを信じ込まされて闇雲に動き回らないことが、自分を本当に守ることに繋がるのです。











    最後まで読んで頂きまして、まことにありがとうございます。