ヒトラーのユダヤ人虐殺もここから始まった…「世界は公正、努力は必ず報われる」という思想が危険である理由

人間は「世界は公正」「努力は必ず報われる」と信じやすい。コンサルタントの山口周さんは「『公正世界仮説』を提唱した社会心理学者のラーナーは、そうした信念が普遍的に存在することを理論化した。『世界は公正』という信念は、ヒトラーのユダヤ人虐殺を招くほど危険なものだ」という――。
※本稿は、山口周『武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
メルビン・ラーナー(1929~) ウォータールー大学社会心理学教授を1970年から1994年まで務めたのち、現在はフロリダアトランティック大学の客員研究員。「正義」に関する心理学的研究の先駆者とされる。
■「努力は必ず報われる」という思考はとても危険
日の当たらない場所であっても、地道に誠実に努力すれば、いつかきっと報われる、という考え方をする人は少なくありません。つまり「世界は公正であるべきだし、実際にそうだ」と考える人です。
このような世界観を、社会心理学では「公正世界仮説」と呼びます。公正世界仮説を初めて提唱したのが、正義感の研究で先駆的な業績を挙げたメルビン・ラーナーでした。
公正世界仮説の持ち主は、「世の中というのは、頑張っている人は報われるし、そうでない人は罰せられるようにできている」と考えます。このような世界観を持つことで、例えば「頑張っていれば、いずれは報われる」と考え、中長期的な努力が喚起されるのであれば、それはそれで喜ばしいことかも知れません。
しかし、実際の世の中はそうなっていないわけですから、このような世界観を頑なに持つことは、むしろ弊害の方が大きい。注意しなければならないのは、公正世界仮説に囚われた人が垂れ流す、「努力原理主義」とでも言うような言説です。
■「1万時間の法則」はなぜ誤りなのか
「努力は報われる」と無邪気に主張する人たちがよく持ち出してくる根拠の一つに「1万時間の法則」というものがあります。
「1万時間の法則」とは、アメリカの著述家であるマルコム・グラッドウェルが、著書『天才! 成功する人々の法則』の中で提唱した法則で、平たく言えば、大きな成功を収めた音楽家やスポーツ選手はみんな1万時間という気の遠くなるような時間をトレーニングに費やしているというものです。
この件について、私はすでに複数の書籍やブログで反論を掲載しているので、ここではごく簡単に、反論の骨子だけを述べたいと思います。
■論拠に乏しく、逆の命題を真としている
グラッドウェルの主張はシンプルで、「何かの世界で一流になりたければ、1万時間のトレーニングをしなさい。そうすれば、あなたは必ず一流になれますよ」ということなのですが、ではさて、これだけ大胆な法則を提案しているにもかかわらず、同書の中に示されている法則の論拠は、一部のバイオリニスト集団、ビル・ゲイツ氏(プログラミングに1万時間熱中した)、そしてビートルズ(デビュー前にステージで1万時間演奏した)についてはこの法則が観測されたというだけで、非常に脆弱(ぜいじゃく)です。
これはグラッドウェルに限ったことではなく、「才能より努力だ」と主張する多くの本に共通している特徴で、例えばデイビッド・シェンクによる『天才を考察する』では、「生まれついての天才」の代表格とされるモーツァルトが、実際には幼少期から集中的なトレーニング=努力を積み重ねていたという事実を論拠として挙げて、やはり「才能より努力だ」と結んでいるのですが、これはよくある論理展開の初歩的なミスで、実は全く命題の証明になっていません。まず、真の命題は次のようになります。
命題1:天才モーツァルトは努力していた
この命題に対して、逆の命題、つまり
命題2:努力すればモーツァルトのような天才になれる
を真としてしまうという、よくある「逆の命題」のミスです。
正しくは
命題1:天才モーツァルトは努力していた ----------
という真の命題によって導出されるのは、対偶となる命題、つまり
命題3:努力なしにはモーツァルトのような天才にはなれない
であって、「努力すればモーツァルトのような天才になれる」という命題は導けません。
■努力が技量に与える影響は分野によって異なる
では努力は全く意味がないのかというと、もちろんそうではありません。実際の研究結果はどうかというと、1万時間の法則が成立するかどうかは、その対象となっている楽器・種目・科目によることがわかっています。
プリンストン大学のマクナマラ准教授他のグループは「自覚的訓練」に関する88件の研究についてメタ分析を行い、「練習が技量に与える影響の大きさはスキルの分野によって異なり、スキル習得のために必要な時間は決まっていない」という結論を出しています。
具体的には、同論文は、各分野について「練習量の多少によってパフォーマンスの差を説明できる度合い」を紹介しています。
テレビゲーム:26% 楽器:21% スポーツ:18% 教育:4% 知的専門職:1%以下
この数字を見ればグラッドウェルの主張する「1万時間の法則」が、いかに人をミスリードするタチの悪い主張かということがよくわかります。「努力は報われる」という主張には一種の世界観が反映されていて非常に美しく響きます。しかしそれは願望でしかなく、現実の世界はそうはないということを直視しなければ、「自分の人生」を有意義に豊かに生きることは難しいでしょう。
■「スジの悪い努力」に人生を空費してしまう
さて、話を「公正世界仮説」に戻して進めます。公正世界仮説、すなわち「頑張っている人はいずれ必ず報われる」という考え方は、実証研究からは否定されており、努力の累積量とパフォーマンスの関係は、対象となる競技や種目によって変わる、ということを説明しました。
つまり、いたずらにこの仮説に囚われると、やってもやっても花開くことのない「スジの悪い努力」に人生を浪費してしまいかねない、ということです。
さて、ここからは「公正世界仮説」の別の問題点を指摘します。それは、この仮説に囚われた人は、しばしば逆の推定をするということです。つまり「成功している人は、成功に値するだけの努力をしてきたのだ」と考え、逆に何か不幸な目に遭った人を見ると「そういう目に遭うような原因が本人にもあるのだろう」と考えてしまうわけです。
いわゆる「被害者非難」「弱者非難」と言われるバイアスです。例えば日本にも「自業自得」「因果応報」「人を呪わば穴二つ」「自分で蒔いた種」など、弱者非難に繋がることわざがありますね。
■「世界は公正」の考えは社会や組織を逆恨みするようになる
ナチスドイツによるロマ人やユダヤ人虐殺、あるいは世界の多くの国々で行われた弱者への迫害は、このような世界観、すなわち「世界が公正である以上、苦境にある人は何らかの理由があってそうなっている」という世界観に基づいてなされたということを決して忘れてはなりません。
さらに「努力は報われる」という公正世界仮説に囚われると「社会や組織を逆恨みする」ことになりかねないという点も指摘しておきたいと思います。ロジックは非常に単純です。「世界は公正でなければならない」とすると、実直に誠実に努力を続けている人は、いずれ抜擢されたり脚光を浴びたりしなければなりません。
しかし、先述した通り現実の世界は公正ではないので、日の当たらない場所でいくら頑張ったとしても抜擢もされず、脚光を浴びることもない。すると何が起きるか。
■「スジの悪い努力」に人生を空費してしまう
さて、話を「公正世界仮説」に戻して進めます。公正世界仮説、すなわち「頑張っている人はいずれ必ず報われる」という考え方は、実証研究からは否定されており、努力の累積量とパフォーマンスの関係は、対象となる競技や種目によって変わる、ということを説明しました。
つまり、いたずらにこの仮説に囚われると、やってもやっても花開くことのない「スジの悪い努力」に人生を浪費してしまいかねない、ということです。
さて、ここからは「公正世界仮説」の別の問題点を指摘します。それは、この仮説に囚われた人は、しばしば逆の推定をするということです。つまり「成功している人は、成功に値するだけの努力をしてきたのだ」と考え、逆に何か不幸な目に遭った人を見ると「そういう目に遭うような原因が本人にもあるのだろう」と考えてしまうわけです。
いわゆる「被害者非難」「弱者非難」と言われるバイアスです。例えば日本にも「自業自得」「因果応報」「人を呪わば穴二つ」「自分で蒔いた種」など、弱者非難に繋がることわざがありますね。
■「世界は公正」の考えは社会や組織を逆恨みするようになる
ナチスドイツによるロマ人やユダヤ人虐殺、あるいは世界の多くの国々で行われた弱者への迫害は、このような世界観、すなわち「世界が公正である以上、苦境にある人は何らかの理由があってそうなっている」という世界観に基づいてなされたということを決して忘れてはなりません。
さらに「努力は報われる」という公正世界仮説に囚われると「社会や組織を逆恨みする」ことになりかねないという点も指摘しておきたいと思います。ロジックは非常に単純です。「世界は公正でなければならない」とすると、実直に誠実に努力を続けている人は、いずれ抜擢されたり脚光を浴びたりしなければなりません。
しかし、先述した通り現実の世界は公正ではないので、日の当たらない場所でいくら頑張ったとしても抜擢もされず、脚光を浴びることもない。すると何が起きるか。
■「公正世界仮説」に囚われた人の末路
世界は公正でなければならないにもかかわらず、この組織は公正ではない、つまりこの組織は道義的に間違っていると考え、やがてその組織を逆恨みするようになるわけです。これは、テロルが生まれる心理過程そのものです。
1999年のことですが、意に反して早期退職優遇制度を勧められたグループ企業(ブリヂストンスポーツ)の58歳の課長が、ブリヂストン本社の社長室に押し入って切腹するという事件がありました。社長室に押し入った男性の抗議文が残っているのですが、その一部に次のような箇所があります。
入社以来三十有余年、ブリヂストンと運命共同体として寝食を忘れ、家庭を顧みる暇もなく働き、会社を支えてきた従業員の結晶が今日のブリヂストンを築き上げたのである。
この告発文はまことに怨嗟の血が滴るような内容で、公正世界仮説に囚われた人が、最終的にどのように組織を逆恨みするようになるか、これ以上はないというくらいに明白に示してくれています。
■残酷だが、世界は公正ではない
寝食を忘れ、家庭を顧みる暇もなく働いたのは、そのような人生を選んだ個人の自由意志であって、そうすることに対して会社が報いるかどうかはまた別の問題なのですが、「世界は公正でなければならない」と考える人にとって、これは許されないことなのです。
世界は公正ではありません。
そのような世界にあってなお、公正な世界を目指して闘っていくというのが私たちに課せられた責務でしょう。人目につかぬ努力もいずれは報われるという考え方は、人生を破壊しかねないのだということをよく覚えておいてください。
山口 周(やまぐち・しゅう) 独立研究者・著述家/パブリックスピーカー 1970年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修了。電通、ボストン・コンサルティング・グループ等を経て現在は独立研究者・著述家・パブリックスピーカーとして活動。神奈川県葉山町在住。著書に『ニュータイプの時代』など多数。
独立研究者・著述家/パブリックスピーカー 山口 周
2023年12月5日閲覧